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- コスタリカにおける国際協力50周年記念 インタビュー 綿引浩之さん
インタビュー
綿引浩之さん
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氏名:綿引浩之
配属先:Colegio Universitario de Cartago
任地:Cartago
職種/指導科目:S.E.
派遣期間:1991年4月~1993年4月 -
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コスタリカの印象(印象に残っている人やその理由、一押しの観光地等)
「アメリカ合衆国で働きたいという人もいるけど、あなたはどうですか?」という私の質問に…
「ここは平和です。なぜここを離れる必要があるの?」と普通に言った若い女性秘書。
さすが平和憲法を持つ国だと思った次第。
さて、同じ平和憲法を持つ我が日本。
茨城には自衛隊百里基地があり、空を飛ぶ戦闘機の音が普通に聞こえてきます。
イラス火山を臨むカルタゴの空は穏やかで、ヘリコプターの音を1回聞いたぐらい。 -
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活動内容/業務内容
他校の学生アルバイト(本校の講師もする)と一緒にシステムを作る予定だったが、勉強が忙しいと言う理由で、結局ひとりで作ることになる。
カウンターパートは着任と同時に転職したので不在。
1991年、当時のパソコンはIBMコンパチブルが主流。Windowsはまだなく、DOSで動く。学生(社会人もいる)はワープロ、表計算ソフトを使いこなすのが第一目標。
パソコンがある家庭はまずなかった。日本も同じ。持っていても何ができるのか、人々はわからなかった。 -
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コスタリカでの経験がご自身に与えている影響
泥まみれの仕事なんてしたくない、と子どものころから思っていた。
バブル期のコンピュータ・ソフト会社を退職し、協力隊へ参加。
在任中に日本のバブル崩壊。
隊員宿泊所にて、ふと手にした農業の本との出会いが、後々の転機となる。
帰国直後、冷夏で米不足。
自分の足元を見つめ、コスタリカで読んだ本に紹介されていたと思われる有機農業の帰農志塾へ進み、泥まみれ(泥とまではいかないが・・・)となる。
帰国して、農業隊員でなくても農業の道を志すOBは少なくない。
帰農志塾の卒業生には協力隊OBが何人(何十人?)もいたし、派遣前に入塾する人もいた。
ちなみに、私のは生業の農業ではなく、難行苦行の農行です。(笑)
変人に付き合う妻には感謝しかない。妻はOL。 -
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現在の隊員を始めコスタリカ協力に携わる皆さんへのメッセージ
お身体、大切に! -
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コスタリカの皆様に送るメッセージ
La vida en Costa Rica era muy divertida. Qué linda Costa Rica! Tuanis!
Qué le vaya bien!
授業の一コマ。今はなきOHPを使用。女子生徒が多く、優秀。
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