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JICA海外協力隊に聞く~第10回美弥子所長が聞く

2024.12.27

 今年12月10日、ラオスで活動している44名の隊員が、ラオス首相を表敬しました。ラオスでは毎年、JICA海外協力隊員による首相表敬が行われており、今年で22回目となります。一国の首相が毎年、海外のボランティア全員と面談する国は非常に珍しく、それだけ協力隊員がラオスの人々にとって大切な存在であることを物語っています。
 この機会に、ラオス各地で活動をしているJICA海外協力隊員が首都に集まってきましたので、来年前半に任期を終える隊員に今までの活動についてお話をお聞きしました。

ソーンサイ・シーパンドン首相とJICA海外協力隊員​​​​

JICA海外協力隊員:​
梅谷 正人(コンピューター技術、ルアンパバーン県情報文化観光局)​
曽明 航  (コミュニティ開発、ルアンパバーン県農林局)​
岩田 健太(小学校教育、サワンナケート教員養成校)​
小池 柚衣(体育、ルアンパバーン県教育スポーツ局)​
永岡 未来(体育、ビエンチャン県教育スポーツ局)​
山本 佳奈(小学校教育、バンクン教員養成校)​

ファシリテーター:​
小林 美弥子(JICAラオス事務所 所長)

左から永岡隊員、小池隊員、山本隊員、美弥子所長、梅谷隊員、曽明隊員、岩田隊員

●自己紹介と活動内容

小林美弥子所長(以下、美弥子所長):12月5日は国際ボランティア・デーということで、今回は、JICA海外協力隊としてラオスですでに1年以上活動されている皆さんにお話をお聞きします。最初に、自己紹介と配属先、活動内容を教えてください。

梅谷正人隊員(以下、梅谷隊員):ルアンパバーン県情報文化観光局文化課に所属し、 配属先のICT環境の改善を行ったり、ルアンパバーンの伝統的な文化を保存するためのデータベースを構築したりしています。

右が梅谷正人隊員

山本佳奈隊員(以下、山本隊員): バンクン教員養成校で、附属小学校で算数の授業支援や教材準備 、現職教員・大学教員に対して教員研修を行うのをお手伝いするような活動をしています。

左後ろが山本佳奈隊員

岩田健太隊員(以下、岩田隊員):サワンナケート県教員養成校に派遣され、エコヘルスという教科の導入のための活動をしています。また、付属小学校で1年生の算数の授業に入って、 チームティーチングのような形で一緒に授業をしたり、授業で使う教材をCPと一緒に作成したりしています。

右前が岩田健太隊員

小池柚衣隊員(以下、小池隊員):ルアンパバーン県教育スポーツ局に派遣され、ルアンパバーン市内の4つの小学校を巡回して、子どもたちに体育の指導をしたり、現地の先生方に体育の指導方法を伝えたりしています。

中央奥が小池柚衣隊員

永岡未来隊員(以下、永岡隊員):ビエンチャン県教育スポーツ局に配属され、体育隊員として 近隣の中等教育校、それから小学校を巡回して体育の支援をしています。

中央が永岡未来隊員

曽明航隊員(以下、曽明隊員):ルアンパバーン県農林局で、有機農家組合の商品開発と売上促進、 新たな有機農家の組合への加入を中心に活動しています。

左前が曽明航隊員

●ラオスらしさが分かるエピソード

美弥子所長:皆さんの活動の中でラオスらしいと思われるエピソードをそれぞれ教えてください。

梅谷隊員:仕事をしていると突然カウンターパートから電話がかかってきました。普段、電話がかかってくることはないので何かと出ると、観光イベントで縦2.5メートル、横9メートルという大きな看板を作ることになったので、すぐそのデータを作ってくれということでした。デザインを相談しながら、その日のうちに看板のデータを作ったところ、次の日のお昼ぐらいには、大きな看板が出来てきて大変驚きました。ラオスの方から、ときどき急なお願いがあることがありますが、いざという時の行動は意外に早く、あっという間に完成させていて本当に凄いなと感心します。

山本隊員:任地に赴任して1週間ほどのこと、ラオス人の同僚と一緒にご飯を食べているときに、たまたまカブトムシが外を歩いているのを見つけました。「日本の子どもたちはカブトムシが大好きなんだよ」「それを夏休みに取りに行くんだよ」という話をしたところ、「これ食べられるからね」と返答がありとても驚きました。その後、カブトムシを袋に入れて冷蔵庫にしまい、次の日に食べていました。ラオス人の方は、いろいろなものを見て「食べられる」「食べられない」ということを、こちらから聞かなくても教えてくれます。子どもがバッタを見せに来て「これ食べられるよ」って教えてくれます。日本の小学校とオンライン授業をするときに、この話をすると、日本の子どもたちたちはとても興味深い反応をしてくれます。

岩田隊員:日本では地域猫という言葉を聞きますが、ラオスは、牛が道路を渡っていて、それを車が待っています。牛が地域に馴染んでいるのです。初めて見たときは衝撃的でしたが、今はそれを受け入れている自分がいて、自分自身がラオスに馴染んだんだなと感じています。

小池隊員:お昼休みの昼食時にラオスらしさを感じます。小学校で活動をしているので、 学校の先生たちと一緒にお昼ご飯を食べることが多いです。 午前の授業が終わると「一緒に食べよう」といつも誘ってくれて、もち米やおかずをたくさん分けてくれます。1人で食べている人はほとんどおらず、皆で一緒にご飯を楽しんだり、自分のものも当たり前のように皆で分け合ったりする姿にラオスらしさを感じます。

永岡隊員:中等教育校では、学校の大きなイベントの1つとして、入学予定の近隣の小学校の児童たちとサッカー交流会をしたり、舞踏イベントをしたりします。中等学校生が司会をして皆を盛り上げてくれます。最近その練習が始まりました。中等学校の生徒たちと一緒に活動できる光景はとてもいいものだなと思います。

曽明隊員:このJICA海外協力隊が初めての海外生活なので、日本と比べて違うなと感じるところは沢山あるのですが、それが世界と比べてのラオスらしさなのかは分かりません。ただ、ラオスの人々はとにかくお祭りやお祝い事が大好きなのだなと強く感じています。先日、同僚の息子さんの1歳の誕生パーティーがありました。そのためにテーブルやイスをレンタルし、ビール などの飲み物を沢山用意し、料理のための豚肉も大量に買ってきていました。愛する子どものパーティーのためにたくさんのお金を使っていて、この「全力さ」は凄いなとあらためて感じました。また同じラオス国内でも多様な民族の文化があることも感じています。モン族の村を訪問した時に、日本のしめ縄のようなものが飾ってあり「これは何ですか」と聞いたところ、新しい子どもが産まれたので、悪い精霊から子どもを守っているということでした。

●「結ぶ、繋ぐ、紡ぐ」~ラオスJICA海外協力隊派遣60周年~

美弥子所長:派遣中のラオス隊員の皆さんから、JICA海外協力隊派遣60周年のテーマとして「結ぶ、繋ぐ、紡ぐ」を提案してくれました。ラオス伝統の美しい織物を思い浮かべることのできる素晴らしいテーマだと思います。このテーマにあったエピソードがあれば教えてください。

梅谷隊員:私が所属している情報文化観光局文化課にはラオスの伝統文化を保存し、後世に伝えていくという活動があります。この活動の一環で、地方の学校に赴いて、映画の上映会を行っています。長編の映画だったので、子どもたちが最後まで見るか心配だったのですが、そのような心配は必要なく、最後まで子どもたち皆が楽しんでいました。獅子舞大会の優勝を目指すという映画では、主人公の男の子が頑張っている姿に、見ている子どもたちは見入って共感して、クライマックスのシーンでは全員が「キャー」という大きな声を上げて応援しており、皆で一つのものに夢中になっている様子に、大変心が温まりました。子どもたちに、「平和への願い」「希望」などのメッセージを、映画を通じて伝えるのはとてもいいなと感じた光景でした。

山本隊員:私の活動しているバンクン教員養成校には、歴代の前任隊員の方がおり、同僚が「あの隊員はこのような活動をしていた」など、それぞれの隊員のエピソードをよく話してくれます。また、大家さんも歴代の隊員のことを良く覚えてくれていて、「あの隊員はこうだった」など話してくれます。私も帰国後には「山本さんはこうだった」と話されるのではないかなと想像しています。このように隊員の縁が紡がれていくことで、私の任期終了でこの縁が切れるのではなく、自分の行った活動も未来へと繋がっていくように感じています。

岩田隊員:私の活動するサワンナケート県には元隊員の方が住んでいます。彼を通して知り合った日本人の方が、偶然、私が日本で勤務していた学校の同僚の先生の教え子だった、ということがありました。 日本と離れたラオスで、繋がりのある人と出会えたのは縁だなと思いました。

小池隊員:最初の頃は 上手くいかないことが沢山ありました。でも、一生懸命に活動していく中で、 体育の授業で伝えたことを子どもたちが休み時間にも行っていたり、授業で指導していたことを同僚の先生が真似して教えてくれたりしています。 最初は1人で始めた小さな活動でも、続けていくことによって子どもたちの笑顔に繋がり、少しずつでもラオスのよい方向に繋がっていくことを感じました。

美弥子所長:ありがとうございます。小池隊員は、先日、日本風の運動会をルアンパバーンで開催しましたね。手作りの日本の玉入れなどを、子どもたちは皆とても楽しんでくれたと聞いています。これも活動の大きな成果の一つですね。

永岡隊員:1年半活動してきて、来月からは新しい私立の小学校でも活動することが決まりました。カウンターパートに理由を聞くと、活動先の小学校の児童たちが家に帰ってから「体育の授業が楽しい」と話してくれていて、その話が伝わって、私立の小学校からも是非来て欲しいという話があった、ということでした。別の日には、買い物中に「未来さん!!」と、声をかけてくれた子どもがいて、そばにいた親御さんから「子どもがあなたのことが大好きで、体育の活動を楽しみにしているの」と言われ、とても嬉しく思いました。今後は、後に残るよう動画を作成しようと計画していて、体育の活動の一環としてこの動画を使ってもらうことで、また縁が紡がれていってほしいと思っています。

曽明隊員:赴任当初は、何をしてよいか分かりませんでした。ただ、会食があるときは断らずに、一緒に連れていってくれた人が「帰ろうか」と言うまで絶対に帰らないことにしていました。1年半後、赴任当初に会食で出会ったラオス人と再会する機会があり、任地のルアンパバーンで日本語の観光ガイドをしていて人間関係も広いその方の繋がりで、結果的に少数民族の村でコーヒーを製造して販売する活動に繋げることができました。人との繋がりを大事にしてきたからこそ、この事業を始めることが出来たと思います。このコーヒー事業は、少数民族の村の自然を守っていきたいという気持ちを持つラオス人とも繋がっています。1年半少しずつ紡いでいった人と人との繋がりが、実を結ぼうとしていることを嬉しく思っています。

●あなたにとってボランティアとは?

美弥子所長:最後にあなたにとってボランティアとは?との質問です。協力隊に応募したきっかけも含めて教えてください。

梅谷隊員:小さい頃、テレビでJICA海外協力隊のCMを見て、もしJICA海外協力隊に参加できたらすごくやりがいがあるのだろうなと子ども心に思っておりました。時は経ち、会社を早期退職したのをきっかけに、再びJICA海外協力隊になりたいという考えが浮かび、応募した次第です。実は、娘が先にJICA海外協力隊(※1)で派遣されていましたので、娘を見倣ってJICA海外協力隊になったのだろうと周りからは言われますが、僕らの世代は、いつかはJICA協力隊に参加したいなと考えていた人も多いと思います。私もその1人です。
 私にとってのボランティアとは、要請された事項にしっかリ取り組んでラオスに貢献するということも大切なのですが、ラオスの人々と同じものを食べて、一緒に住んで、同じ言葉を使って話すというのがJICA海外協力隊の1番大切なことではないかと考えています。現地の人の中に入り込むことで、ラオスの人々に一緒に何かした記憶が残るということがボランティアの大切な要素なのではないかと思います。

山本隊員:新型コロナの影響が大きかった時期に日本の教育現場にいて、なかなか思い通りの教育活動ができずに、 子どもたち自身も「あれは出来ない」「これも出来ない」と我慢させられる部分が多くありました。このような環境の中で、もっと違う経験を積んだり、自分の教育活動を見直すきっかけが欲しいと思うようになりました。小学6年生の担任時にJICAの活動を学ぶ時間があり、自分自身も経験した方がいいかなと思って、JICA海外協力隊に応募しました。
 ボランティアというと、何かの役に立たないといけない、何かに貢献しないといけないと考えていましたが、実際にラオスに来てみると、ラオス語も上手に話せない中で、ラオスの方々から色々と助けてもらったり、教えてもらったりすることがとても多かったです。今は自分の経験をまず積ませてもらう、周りに感謝をしながら楽しく過ごす、そして日本に戻った後、子どもたちに海外に興味を持ってもらえるように自分の経験を伝えるというようなことができればよいなと考えています。

岩田隊員:高校2年生のときに JICA中部センターにある地球ひろばに見学に行き、JICA海外協力隊の元隊員の方からお話を聞きました。また、同じ時期に、従兄弟が 南アフリカに協力隊で派遣され、自分でも参加してみたいなと思いました。
 私も、山本隊員と同じように、ボランティアは何かに貢献しなければいけないと考えていました。けれど、自分の持っている知識や経験を、皆でシェアして、よりよいものを作っていくという面があると同時に、自分の能力や価値観を広げるきっかけにもなっています。ラオス語には「ボーペンニャン」という言葉があり、「気にしなくていいよ」「大丈夫だよ」を意味します。日本の社会も見習うべきなんじゃないかと思うようになりました。日本の子どもたちを見ていると「失敗しないように」「ここの道から外れてはいけない」「この流れに乗らないと」と考えているように思います。でも、失敗したとしても、「ボーペンニャン、大丈夫だよ」って言って、認めて、許してあげるという寛容さを日本の子どもにもっと伝えたいと思うようになりました。

小池隊員:日本では、小学6年生の社会科の授業の中に国際協力を取り扱っている単元があります。教科書通りにやっても、子どもたちの反応があまり良くありませんでした。そんなとき、大学の同級生がラオスでJICA海外協力隊に参加していたことを思い出し、彼女の活動を授業で紹介しました。すると、子どもたちは身近に感じて、興味関心を持って生き生きと授業に取り組んでくれました。私も、自分が経験したことや体験したことを自分の言葉で子どもたちに伝えられたらいいなと思い、JICA海外協力隊に参加しました。
 ボランティアというと現地の人を助けてあげるとか、 自分が何かをしてあげなければいけないと考えていました。しかし、実際に現地で活動して、文化も言語も全く違うところで生活していると、逆にラオス人に助けてもらうことの方が多く、私自身の活動も、 カウンターパートや、学校の先生、子どもたちなど周りのラオスの人々がいてこそ成り立っていることが分かってきました。私にとってボランティアとは「お互いに助け合うこと」なのかなと思います。

永岡隊員:長崎県のJICAデスクを訪れた担任していた高校の生徒が、夏休み明けにパンフレットを持って来て、「先生、行ったら」と勧めてくれました。現職参加制度もあるみたいだよ、と。生徒の言葉に、こういう経験をすれば、人間も大きく豊かになるのではないかと背中を押されました。学校では保健の授業も教えていたので、役に立てるのではと考えました。
 要請の中に体育の授業をできる教員が少ないとの記載があったので、とにかくラオスの子どもたちと楽しく運動をして、運動が楽しいことを知ってほしい、それを私がいなくなっても続けてやってほしいっていう気持ちで活動をしています。 一緒に楽しんでやろうと思って活動をすると、自然と笑顔も増えていきます。日本に戻ってからも、この経験を高校生に伝えることで、いろいろな世界に目が向いて、 自分がこれから進むべき道を考えるときのヒントを伝えることができるようになれば嬉しいです。

曽明隊員:国際協力ともボランティアとも関係ない世界でずっと生きていました。日本では眼鏡屋で働いていて、お客様を笑顔にするのは楽しい仕事で、やりがいを感じていました。お客様の中には、外国人もいて、技能実習生として日本にきている方もいました。中には言葉がわからないなかで眼鏡を買いに来るお客様もいらっしゃいました。日本人のお客様に対してと同じぐらい笑顔にできたかのかというと、本当に心残りがありました。それは、語学の問題だけでなく、相手の気持ちを思いやることとか、何か足りなかったことがあるのではないか、自分が成長したいという思いでJICA海外協力隊に応募しました。
 JICA海外協力隊が初めてのボランティア経験です。ボランティアとは何なのかと考えたときに、自分にとって利益になることじゃないと、本当に本気になれないと考えました。自分の利益と相手の利益が一致することが必要だと。僕にとっては、僕が相手を笑顔にすること。 他の皆さんもおっしゃっていたとおり、一方的に与えるものではなく、共に学んで、そして、ラオスの人々のやり方を教えてもらうという関係性作りが、ボランティアなのではと考えています。

美弥子所長:皆さん共通のことをおっしゃっていましたね。自分自身が豊かになる、ラオスの人々と学び合う、日本に帰国後には学校の子どもや周りの方々にも経験を共有して、繋がって、またその先の人々や機関と連携し、新しい価値を紡いでいく。こういった価値の創造が、ラオス、日本双方の新しい時代を切り開く原動力となることを期待しています。

※1 梅谷隊員のご家族である梅谷菜穂さんは、元JICA海外協力隊員としてラオスで活動をし、任期終了後にはラオスの布で服を作るブランド「siimee」を立ち上げられ、JICA帰国後隊員社会還元表彰のアントレプレーシップ賞を受賞されています。

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