「ラオスの布の可能性を拡げる~梅谷菜穂~」
2023.06.26
帰国後に国内外で活躍する帰国隊員のインタビューシリーズ「協力隊経験を未来へつなぐ」。第2回は、『帰国隊員社会還元表彰』のアントレプレナーシップ賞を受賞した梅谷菜穂さんです。梅谷さんはラオスの伝統的な織物を素材としたアパレルブランドを立ち上げ、フェアトレードとしてではなく、顧客視点による高い付加価値を売りとすることで事業の持続性を担保し、生産者の収入向上と事業継承に取り組んでいます。世の中のマイナスを平等にすることに貢献したいと思ったことが国際協力に興味を持ったきっかけという梅谷さんにお話を伺いました。
―大学時代から国際協力に興味があったそうですが、どんなことがきっかけで国際協力やJICA海外協力隊を目指したのですか?
梅谷菜穂さん(以下「梅谷」):大学2年生の時に一人でタイに旅行した経験がきっかけです。東南アジアの路上で暮らす人などに衝撃を受けたのと同時に、当時はインフラが整っていないのを目の当たりにし、国を整えていくこと、マイナスを平等にすることに貢献したいと思い、インフラ系の商社に就職しました。実際に東南アジア担当になり、インフラに携わりましたが、旅先で出会った方一人一人に届いているのだろうかと思うようになり、「協力隊」という選択肢が出てきました。NGOという選択肢もありましたが、一番一般市民に近い形で活動できるのはJICA海外協力隊だと思い、応募しました。
大学では異文化コミュニケーションを専攻し、文化の多様性に興味を持っており、市民のコミュニティに入り込みたい、と思っていたので、そういう視点でも協力隊がよいと思いました。
―東南アジアに興味があったようですが、職種はどのように探したのですか?
梅谷:東南アジアにも興味がありましたが、協力隊で何がしたいかを考えた時に、地域コミュニティに入ってみたいと思ったことに加え、ものづくりに興味があり商品開発に携わりたいという思いもあり、東南アジア×商品開発、という形を探し、コミュニティ開発にしました。
協力隊時代の梅谷さん
―ラオスに派遣され、実際にコミュニティに入ることになりますが、具体的にはどのような活動を行いましたか?
梅谷:配属先は産業商業局で、任地はラオス中部の地方都市でした。カウンターパートである産業商業局と任地であるボリカムサイ県の特産品生産者の村を回って、商品開発と販路開拓を行っていました。外国人に売ることで収入を増やすことが外国人である自分の役割であると思い、主に布製品の生産者と関わる活動をしていました。
―活動の中ではどんなことに苦労しましたか?またその苦労や悩みをどう解決しましたか?
梅谷:現金収入が目標なので、展示会に出展したりしましたが、はじめは全く売れずにどうしたら売れるかを考えました。しかし、ただ商品を作ってそれが売れればよいのか、というジレンマもあり、自分の役割は何か、という悩みも持ち始めました。
いろいろと考えていく中で、全部自分がやるのでは続かない、新しいつながりを作ることが自分の役割だと考え、生産者と首都のブランドオーナーをつなぐなど、自分が帰国した後も続くように工夫しました。
―活動の中での喜びや思い出はどんなことがありますか?
梅谷:生産者自身がより良い製品ができたり、新しい挑戦ができたりしたことで、表情が変わったときがあり、やる気をモチベートできたことと、もともと自分が持っていた誇りをより強く感じられるようになった瞬間を見られたことが一番うれしかったです。
生産者の表情が変わった時が嬉しかった
―どのような経緯でsiimeeを立ち上げようと思ったのですか?
梅谷:ラオスのものを伝えたい、という気持ちから始まりました。ラオスはよい素材があるのに、製品化するところで「惜しいな」と思うところがあり、そうしたものを形にして日本の人たちに伝えられたらなと思ったのがきっかけです。
協力隊活動では「つなげる」役割でしたが、終了後はものづくりの「当事者」になりたいと思い、帰国後、siimeeを立ち上げる前に専門学校に入り専門的な知識を身につけました。
ラオスの現場を見ている自分だからこそのインスピレーションを日本の方に伝えたいので、自分でデザインしています。
―今のsiimeeの活動に協力隊の経験が生かされていると感じるところはありますか?
梅谷:協力隊の活動では、様々な立場の方と関わりますが、それぞれの立場の視点になって考えるようになったのは、協力隊経験が生きていると思います。
―今後、どのような社会になってほしい、というビジョンはありますか?
梅谷:ラオスと日本、お互いの違いを大事にしながら、対等でありたい、と思います。協力隊の派遣国は「途上国」と言われる国が多いですが、ラオスにいるとき、「途上国」という感覚はありませんでした。ラオスにも夢を持った人はいますし、優秀で尊敬できる人もたくさんいます。そうした人々が活躍できる、自分の出身国の個性を生かしながらも、対等に活躍できる世界を作りたいです。
ラオスの製品を扱っていると「支援活動ですか。」と聞かれることも多いのですが、そうしたことを言われない世界を作りたいです。
今後は現地の組織化も目標の一つです。
織物に取り組む梅谷さん
―活動する中で苦労も多いと思いますが、悩みはありますか?また壁に当たったときはどうしますか?
梅谷:結構くよくよするタイプなのですが、悩んだ時こそ何かアクションをしてみると思わぬ方向に進んだりするので、動くようにしています。誰かに会ったり、悩んでいたアクションから一つ選んで動いてみるよると、悩みやモヤモヤがいつの間にか晴れていたりするので、動き続けることが大事だと思います。
協力隊活動では「とにかく動いてみよう」と挑戦できる環境でもあったので、「動けば何かが変わる!」と思えるようになったのも協力隊経験のおかげです。
染色に挑戦する梅谷さん
―梅谷さんを突き動かす原動力は何ですか?
梅谷:原動力は感情からくるものだと思います。協力隊時代に生産者さんと共有した喜びが自分の中に残っており、一緒に成長できた喜びが忘れられず、頑張った先に喜びが待っているという「未来への期待」が原動力になっていると思います。
また、挑戦すれば何かが得られる「挑戦する経験」も協力隊経験で得られました。「挑戦することで人も自分も社会も変わる」という希望も「未来への期待」であり、原動力となっています。
Siimeeの製品
―最後に、これから何かに挑戦したいと思っている方や協力隊応募を考えている方へメッセージをお願いします。
梅谷:動き続ければ何かが変わると信じているので、今では遠くに見えるものも、動き続ければそこにたどり着けると思うので、自分が思い描いたビジョンを諦めずに動き続けてほしいです。
協力隊時代の梅谷さんと地元の生産者たち
梅谷菜穂:東京都八王子市出身。大学時代に東南アジアへ訪問したことがきっかけで同地域に関心を持ち、卒業後は専門商社にて東南アジア担当として貿易関連の業務に従事。2018年よりJICA海外協力隊としてラオスに派遣され、ラオスの伝統的な織物の製品開発等を行う。
帰国後、ラオスの布素材をつかったアパレルブランド「siimee(シーミー)」を立ち上げる。2023年3月よりラオスのアトリエにて本格的に現地縫製チームと生産を開始。
報告者:市民参加協力第一課 我妻みず穂
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