monthly Jica 2007年10月号

特集 人々のためのインフラ インフラが開く可能性(1/4ページ)

近年、国際協力の世界では「インフラ」(インフラストラクチャー)の役割が注目されている。国際的な目標であるミレニアム開発目標(MDGs)が目指す貧困削減の実現には、貧困層に裨益する持続的な経済成長が必要であり、その成長の促進にインフラが重要な役割を果たすとして評価し直されているのだ。また、MDGsは2007年に中間地点を迎え、2015年の目標達成に向けてさらなる努力が求められており、今後、インフラ支援への期待が一層高まる。

インフラには、運輸交通、エネルギー、情報通信、灌漑(かんがい)、上下水道、学校、病院などがあり、物理的な施設だけでなく、サービスや政策・制度なども含まれる。開発途上国ではこうしたインフラが未整備なために、経済的な自立が困難である上、さまざまな社会サービスへのアクセスを妨げ、貧困層の拡大や社会不安の増大につながり、人々の生存すら脅かしている。

日本は従来、インフラ支援を重視し、とりわけ東アジアの発展に貢献してきたが、今後も、貧困削減に不可欠である持続的な経済成長のために、その基盤となるインフラ整備に力を入れる方針だ。JICAも、これまで以上に「人」に着目し、人々の持つ潜在的な能力の発現、そして人間の安全保障につながるインフラ支援に取り組んでいる。また、インフラ整備に大きな役割を果たしてきた国際協力銀行(JBIC)の実施する有償資金協力と外務省の実施する無償資金協力の一部との統合を1年後に控え、さらなる連携促進に努めている。

人々の潜在能力を高め、新たな可能性を実現するJICAのインフラ支援を紹介する。

VOICES from Nepal(ネパール)
「新しい道ができて、世界が広がった」

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シンズリ道路の第4工区。道路のほとんどは人力で土を掘り起こし、期間限定ではあるが地元住民の雇用も促進された

首都カトマンズと南部のタライ平野を結び、ネパール経済を支えるシンズリ道路の建設に日本が協力している。全区間の開通を目前に、すでに利用されている区間では、人々の生活改善や収入向上の成果が見えつつある。開通して約6年がたつ第4工区の地域を訪ね、人々の声、暮らしぶりを取材した。

道路はネパールの命綱

【写真】「店がこんなに増えたんですねぇ。工事前までは2、3軒しかなかったのに…」

ネパールの首都カトマンズから東に車で約2時間の町、バクンデベシを2年ぶりに訪れた門脇昌伸さんはその変容ぶりに目を細める。バクンデベシはこの数年で急速な変化を遂げた。バス停ができ、周辺地域から多くの人が集まり、さまざまな商店が軒を連ね、そのおかげで、食べ物から生活用品まで、以前なら約20キロ先の町ドゥリケルまで歩いて買いに行かなければならなかったモノを容易に手にできるようになった。今ここを訪れると、トラックの荷台から野菜を降ろしながら、「残りはカトマンズに運んでいくんだ」とうれしそうに話す配送業者や、「この町で洋服店を開いてから生活が安定したわ」とほほ笑む女性店主に出会える。町が活気づき、そんな彼らの笑顔が見られるようになったのは、“一本の道”が開通したからだ。

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道路が通る前は2、3軒の店しかなかったバクンデベシの町。今は、沿道の両側に、食料品店、生活用品店、理髪店など数十軒の店が並ぶ

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バクンデベシで出会った野菜配送業者。この日は、トマトとニンニクをカリマティ・マーケットに運んでいった

中国とインドに挟まれた内陸国のネパールでは、「道」が経済を支える最も重要な交通インフラだ。しかし、ネパール政府が約50年かけて道路の総延長を1万7800キロにまで伸ばしたものの(2006年)、舗装率はいまだ35%程度で道路にアクセスできない人が多く、課題は残されている。

中でも道路整備の重要性が高いのが、カトマンズ盆地と南部のタライ平野をつなぐ路線。国内総生産(GDP)の約4割、就業人口の8割余りが農業という産業構造において、インド国境沿いに広がる農作物の主要産地タライ平野と首都を結ぶ道路は命綱だ。また、生活物資のほとんどをインドからの陸路輸送に頼っていることも考えると、カトマンズとのアクセスを改善させる必要性は言うまでもない。

だが、現在利用されている2本の幹線道路は、利便性が低く、輸送コストが高い。走行距離226キロのプリティビ・ハイウエー経由の路線は西側を大きく迂回(うかい)しなければならない上、雨期の地すべりや土砂災害で通行止めになりやすい。もう一方のトリブバン・ハイウエー(147キロ)は標高2500メートル級の急峻な峠を越える曲がりくねった道で、大型トラックがすれ違えないほど幅の狭い場所が多い。そのため、この2ルートに代わる新たな幹線道路を整備し、国内外の交通アクセスを安定させると同時に、貧困削減という最大の国家目標達成の基盤を確保することが、ネパールの持続的な経済成長に不可欠だ。

そうした背景から同国政府は、もともと行商に使われていた古い街道を、カトマンズ近郊のドゥリケルと南部地域のバルディバスを結ぶ全長158キロの主要幹線道路として整備することを計画し、国内では技術と財政が不十分なことから日本に支援を要請。そして建設の可能性を探るため、1986年にJICAが実施した開発調査に基づき、交通アクセスの改善はもちろん、沿線地域の社会・経済活動を活性化させ、地域住民の生活向上を目指す無償資金協力「シンズリ道路建設計画」が95年にスタートした。96年の工事着工から11年の歳月を経て、一部未開通の区間があるものの、シンズリ道路は今、国の経済を支え、人々の生活を豊かに変容させる“一本の道”になりつつある。

地元住民の喜ぶ声

雨期真っただ中の8月、交通渋滞のひどいカトマンズ市内をようやく抜け、ドゥリケルに向かった。曇りがちな季節にもかかわらず、道中、ヒマラヤ山脈の一角を視界にとらえることができた。

シンズリ道路建設計画では、全長158キロというその長さから、全体を4つに分けて工事が行われている。バルディバスからシンズリ・バザールまでの37キロを第1工区、その先クルコットまでの39.7キロを第2工区、さらにネパルトックまでの32キロを第3工区、そして終点ドゥリケルまでの50キロを第4工区とし、07年8月時点で、第1・4工区が完成・開通、第2工区が工事中(一部完成・開通)で、第3工区が予備調査の段階にある。

ドゥリケルからシンズリ道路を走り始めると、そこかしこでミルクを集荷する光景を目にすることができた。トラックの荷台で作業する2人の男性は、「これから急いでパナウティ村に売りに行くところなんだ」と、沿道住民から集めた水牛のミルクを一つのタンクにまとめ、足早にその場を去っていった。ミルクの輸送は時間との勝負。特に夏場の品質低下は著しい。今までなら自分の村や周辺の村でしか消費できなかったミルクを、道路の開通で離れた町にも毎日定時に出荷できるようになり、収入向上につながったという。

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ネパルトックで商店を営むラム・ラル・ラマさん夫妻(前列左がラムさん、後列中央が妻のセナムさん)。月に2、3回、カトマンズまで仕入れにいく。前列右は道路局のラナさん

小学生から高校生までが通うパタレケット村のスリ・ハヌマン・スクールでは、道路の開通で生徒の数が増えたそうだ。「450人だった生徒が637人に増え、校舎が足りなくなって、日本のNGOなどの支援で校舎を増築しました。以前は往復3時間歩いて通う子どももいたけれど、バスが通るようになって通学時間が3分の1程度に短縮された。教員の給与は学費から捻出しているので、教員の数も増やすことができた」と、バドゥリ・プラサド・シャルマ・ティミルシナ校長が言う。休み時間、「学校が楽しい」と屈託のない笑顔で子どもたちが走り回る校庭は、道路整備に合わせて安全に使えるよう整地したもの。学校へのアクセス改善で、同校には子どもの母親たちも勉強に通い始めている。

第4工区の始点ネパルトックで出会ったのは、5年前にレストランを開いたラム・ラル・ラマさん夫妻。もともと隣の郡で農業を営んでいたが、収入向上を目指してここに移り住み、店を構えた。「現金収入が増えたので、2人の息子をカトマンズの学校に通わせています。子どもたちはアパートで暮らしていて、今は教育費や仕送りを払うので手一杯だが、この先の道がつながったらもっと多くの人が行き交うようになって、自分たちももう少し生活が良くなると思う。道のおかげで私たちの行動範囲が拡大し、世界も広がった」。

苦難を乗り越えて

こうした住民の喜びの声を聞けるのも、道路建設にかかわった人たちのたゆまぬ努力と苦労があったからこそだ。

中でもプロジェクト関係者を失望させた02年7月の集中豪雨。洪水や地すべりなどで、開通から2年たった第4工区が138カ所、計3.2キロにわたって被害を受け、道路が不通になった。「足が震えた。こんなことってあるのかと…」。設計・監理を担当する片桐英夫さんは当時を振り返ってこう語る。道路の計画・構造・品質には、細心の注意を払ってきたつもりだった。最初の調査段階では、2車線アスファルト舗装で必要個所には橋梁を架ける計画だったが、資金面で折り合わず、一度はプロジェクトが消えかけた。しかし、ネパール政府の熱意もあって再び計画を練り直すための調査を実施。完全2車線を1〜1.5車線に、アスファルト舗装を基本は砂利道に、橋梁を一部コーズウェイ※1に変更し、費用対効果の面から最大限の品質を確保した道路に設計し直した。もちろん防災の視点を欠くことはなかったが、結局「予想をはるかに上回る記録的な自然の脅威には太刀打ちできなかった」(片桐さん)。その後、被害状況の調査を経て、03年に全個所の緊急復旧工事が行われ、05年には、より防災に配慮した道路が整備された。

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パタレケット村のスリ・ハヌマン・スクールの生徒たち。道路工事の残土を活用して整備された校庭で安心して走り回れるようになった

また、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の影響※2バンダ※3など治安悪化や政局不安で工事が遅れたことも、大きな痛手だった。バンダによる工事中断は、全工区合わせてこれまで300日以上。その上、門脇さんら日本人スタッフも寄宿するバクンデベシ事務所の隣の警察詰所(当時)をマオイストが襲撃し、死者18人を出す事件が起こった。門脇さんら工事関係者は事前に情報を入手し、ドゥリケルに避難していたが、今も元警察詰所の壁に生々しく残る弾痕にそのすさまじさを感じた。

だが、こうした苦労を一つ一つ乗り越え、道路整備を進めることができた背景には、プロジェクトのカウンターパートである道路局のビンドゥ・シャムシェール・ラナさんの存在が大きい。「どんな問題も保留にせず、積極的に解決しようとする。分からないことは何でも相談にやって来る。最初の開発調査が行われた20年近く前からこのシンズリ道路建設計画に携わり、『退職するまでシンズリ道路のために働きたい』と、本当に全身全霊を捧げている」と、ラナさんをはじめ道路局職員のオーナーシップに片桐さんは感心する。ラナさん自身、「シンズリ道路は貧困削減を目指すネパールにとって非常に大きなインパクトを与える。そして、ネパールと日本の友好の証になる」と話す。

※1 河川を直接横断する道路で、流量の少ない場所に架けられることが多い。橋梁より、低コスト・短期間で建設できる。

※2 ネパールでは政府軍とマオイストによる内戦が10年以上続いたが、2006年に国王が実権を失い、7政党とマオイストの間で包括的和平合意が結ばれたことで民主的な国づくりが行われている。内戦中、マオイストは主に地方を拠点に活動し、シンズリ道路沿線も影響下にあった個所がある。

※3 ストライキのこと。ネパールでは度々行われ、ほとんどの交通機関が運行を停止する。

新たな課題に直面

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バクンデベシに草の根無償資金協力で建てられたミルク冷蔵センター。1日8,000リットルのミルクを冷蔵できる施設で、地元のミルク生産者組合が管理・運営している。左手前は門脇さん

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大きな農作物を背負ってシンズリ道路を行く女性。道路ができて歩く距離は短くなったが、車やバイクが使えるようになれば、その負担はより軽減される

ドゥリケルから約1時間、マンガルタール村に草の根無償資金協力※4で建設された学校を訪れた。スンダル・シェレスタ校長は「道路のおかげで生活が便利になったけれど、生徒たちが交通事故に巻き込まれる心配がある」と打ち明けた。路線バスやトラックの運転手の間で、歩行者優先の意識はまだまだ低い。第3工区が完成し、全区間が開通すれば、もっと交通量が増し、事故発生の危険性は高まる。

そこでプロジェクトでは交通安全の教育として、特に危険な個所を記したチラシを各学校に配布したり、地元の警察、バス会社、教員らを対象にした講習会なども開いている。「標識を立ててスクールゾーンであることを知らせるのはどう?」というラナさんの提案に、「いいアイデアだ」とシェレスタ校長。「道の駅などで道路情報を配信していく、そんなソフト面での協力もできれば」と今後についても片桐さんは検討している。

また、当初の計画から着工時期が遅れている第3工区の建設では、第1、2、4工区と比べ、一部の地域住民の理解が得られず苦労が絶えない。マオイストの勢力が強かったときは、ある意味で住民の道路建設に対する要望がまとまっていて、プロジェクト側も要望に対処しやすかった面がある。だが今は、「水が足りないから家に水道施設を作ってほしい」と個々でばらばらに意見したり、「工事期間中、雇ってほしいけど力仕事はいやだからオフィスワークにしてくれ」と無理難題を言ったりする人も増え、収拾をつけるのが難しい。そのため道路局は幾度となく住民説明会を開き、ラナさんを中心に住民の理解促進に努めている。もちろん環境面にも配慮し、土を削り取った山肌には木を植えて緑化を進めてきた。

「住民感情と環境配慮を無視すれば、必ず被援助国や地域住民との間に軋轢(あつれき)が生まれる。他ドナーのインフラ整備に途中で頓挫するものがある中で、これら2つを重視し、粛々と作業を進めていることこそ、シンズリ道路建設がうまくいっている証拠だと思う」(片桐さん)

シンズリ道路から戻った翌日、カトマンズ市内にあるカリマティ・マーケットに足を運んだ。ここには全国から運ばれてきたさまざまな種類の野菜や果物が所狭しと並んでいる。マーケットを後にしようとしたときだった。前日、バクンデベシで会った野菜の配送業者の男性と偶然再会した。

「道路ができる前は、1日以上かけてまずバクンデベシに、その後ここに野菜を配送していたから、途中でだめにしてしまうことも多かった。でも今は、野菜の鮮度が保たれたまま売ることができる。おかげでもうけも増えたよ」

道路の開通は、人々の移動を容易にし、より安く品物を手にできるばかりか、自分たちで生産した商品を離れた地域でも販売でき、現金収入を向上させる道をも開く。第2工区の残りの9.8キロと第3工区の32キロが着工・完成し、全工区が無事に開通すれば、シンズリ道路がもっと多くの人々の可能性を広げ、豊かな社会をはぐくんでいってくれるに違いない。

※4 比較的小規模の案件に迅速・的確に対応する無償資金協力の一つ。2003年に「草の根・人間の安全保障無償資金協力」と改称。