人の温かみ(後編)

【写真】栗田 智子(愛媛)昭和58年度4次隊/バングラデシュ/人形製作 平成22年度1次隊/ネパール/手工芸 平成28年度1次隊/ミャンマー/服飾
栗田 智子(愛媛)

ミャンマー (服飾)

ミャンマー家政職業訓練校での表敬訪問

家政職業訓練校修了式

 派遣3回目は仏教国ミャンマーで、2016年7月に赴任がかなった。
 過去2回の派遣ではベンガル語もネパール語も支障なく使えたため、緊張感を持っていなかった私はミャンマー語でつまづいてしまった。
 講師への縫製の指導だった為、見て理解してもらえれば実技に支障はなかったが、十分な話し合いはできなかった。私が配属された社会福祉省の家政職業訓練校では、校長を始め教師は誰一人英語が話せなかった。長い間軍事政権下で英語での教育や自由な発言が止められていたことがミャンマーの人々に大きく影響している事を感じた。
 生徒の就職先に日本企業を紹介したり、毎朝ヤンゴン大学でミャンマー語を2時間学んでからボランティア活動をするように頑張ってみたり、カウンターパートと毎日昼食を共にしたりしたが、家政職業訓練校の講師の方々が積極的にトレーニングに来る事はなかった。

 JICA事務所を通して首都ネピードの社会福祉省の許可を得て、同じ社会福祉省傘下の施設である児童養護施設と軽犯罪に関わった女子の施設に3か月ずつ行かせてもらうことが叶った。
 両施設の所長は女子が教育を受けたり、技術を習得したりする事に熱心で、私を温かく迎えてくれた。特に軽犯罪に関わった女子の施設は日本大使館が支援している「草の根無償資金協力」を得て、工業用の電動ミシンをたくさん持っていた。私が感心したのは、その難しいミシンを長年大切にメインテナンスして、使いこなしていた事だ。私のトレーニングには監視の先生1人と施設の中で縫製技術の高い6人が選ばれて参加し、昼食の時間も惜しんで学んでくれた。私が5分遅れても心配して、校門に私の姿を見るなり、素足で飛び出してきて、私の材料でいっぱい膨らんだリュックをかついで教室に迎えてくれた。子ども達との深い絆ができた。秘守義務の為、今後二度と会うことはないが、彼女たちの幸せを願ってやまない。

人の温かみ

2020年2月12日、ヤンゴン大学での卒業式にて希望に満ち溢れるミャンマー大学生の皆さん。背景に有名なConvocation Hall

 失敗あり、成功あり、私のJICAとのつながりは、私の人生を豊かで国境を越えたダイナミックなものにしてくれた。それが、常に周りの人々の温かい支援によって成り立ってきたことをつくづく感じている。
 
 ミャンマーから帰国してすぐに、イギリス政府が英語教師を派遣するブリティッシュカウンシルでの仕事に夫が応募し、再度ミャンマーに戻ることになった。毎日熱心にブリティッシュカウンシルでの英語の授業の準備に追われる夫を横目に、私は3回のボランティア活動を終えて、やっと自分の時間を持てるようになり、今更ながらにまたヤンゴン大学に通ってミャンマー語を一からやり直している。
 ミャンマーの教育熱は私が見る限りでは高い。貧困層の親も子供を大学に行かせるために身を粉にして働く。また、子供もそういった親の恩恵を感じて必死で勉強をし、家事を手伝ったり兄弟の面倒を見たりして助け合う。教育を受けることで社会的に強い立場になり、苦しい生活から抜け出せる希望が今のミャンマーにはあると思う。 

 これまでの自分のボランティア人生を振り返り、たくさんの人々に関わり、人々の温かい心に助けられて、自分の能力以上のことを成し遂げられた気がする。特に、常に理解をもって支えてくれた夫と、「お母さんを誇りに思う。」と励ましてくれた子ども達に感謝の意を示したい。JICAに関わって良かったと思う。