「明日」へ(後編)

【写真】岡崎 正樹 (愛媛)平成16年度0次隊/ヨルダン/繊維工業
岡崎 正樹 (愛媛)

<ヨルダン/王立研究所編>

ヨルダン

1.ジャバルアンマン丘に翻る国旗

 ヨルダン(写真1)は先進国からの支援、観光と輸入品で成り立っています。産業が無いので自国で生産できるものがないかという要請に、紙つくりが役立つのではないかと考え、産業振興によるヨルダンの自立に寄与する一助になればと勇んで応募しました。
 この頃JICA本部はシニア海外ボランティアの派遣制度の改革を行い、位置付けを明確にし、現地の人々を理解し、共生・協働をもって相手国に寄与する活動を行うことが推進されるようになりました。
 シニア海外ボランティアに望まれるものは要請内容に基づくものが基本ですが、ボランティア自身の自発性に応じ、配属先との間で合意される活動も可能です。王立研究所における活動計画は相手方との合意で作成し、半年毎に実績報告書を提出していました。
 計画立案時を振り返り、ヨルダン国内の繊維産業や製紙産業のあり方を見ると、なんと無謀な計画であったかと反省します。なぜならば、まずベースとなる工業用水に事欠いているし、原料となる綿やウールなどの繊維素原料、製紙原料のパルプなど天然素材が無い等、ないない尽くしだったからです。当然、設備投資のための必要最低限の資金、機械、ノウハウ、マーケットもありません。さらにこの国には美術・工芸などの「ものづくり」をする文化がないので、計画の妥当性を評価するのは困難でした。

製紙方法

3.手漉き叩解したパルプを抄く

4.抄きあがった湿紙を乾燥

5.抄きあがった紙製品

現地には製紙原料となるものが何もない所から始めます。製紙原料となる植物の探索では野菜市場からバナナ園はじめ、モロヘイヤ、トマトの茎、とうもろこしの茎、ヤシの葉など探し回り、皮を剥がしてアルカリで繊維を取り出しました。漉き網を作成して叩解して漉き枠へ流し込み、紙状のものを得、ガラス板に貼り付けて手漉き紙を作成します。(写真3~5)

技術指導に関して

6.5Sの進捗状況1

6.5Sの進捗状況2

6.5Sの進捗状況3

6.5Sの進捗状況4

(1)部内活性化 (TQMや5S※)
時を移さず常に率先垂範で、5S活動を(写真6)(掃除道具、実験台・行き先表示・整理整頓等に関し)する習慣を身に着けさせることを目標にしていました。驚いたのは窓ガラス・床面・室内が砂塵で汚れているので雑巾で掃除をしていたところ、これは他の人の仕事であると注意を受けたことです。習慣が全く違うのには驚きました。このような文化の中でまわりにどれだけの影響力を与えることが出来るか疑問でした。

(2)パルプ化と製紙
手漉きではあるが、基礎的なことは完了しました。プロセス試作案と製造評価、ここまでこぎつければ工業化一歩手前です。設備・予算・技術・原料入手・マーケット開発へ日本の中小企業のようなステップで進めばよいと予測しましたが、途上国であるハンデが予想を簡単に覆します。

(3)紙リサイクリング化(アカバプラン)、水のリサイクリング化
大変重要なテーマです。前者は私の所属していた部署の範疇であるものの、後者は環境・機械技術部の研究テーマとなっていて、ワークシェアリングの建前ではスムーズには進捗しなかったので、自作の装置で実験しました。

(4)ヤルムーク大学との衣料共同研究
織物・染色・デザインなどの品質の評価(耐久性・褪色性・使用するマテリアル)の案は良かったですが、相互の補完性の点で魅力が見出せませんでした。同大学の教授の積極性および物理的に距離が遠く、実施には至りませんでした。

※TQMとは:総合的品質管理、組織全体として統一した品質管理目標への取り組みを経営戦略へ適用したもの
※5S活動とは:整理(いらないものを捨てる)、整頓(決められた物を決められた場所に置く)、清掃(常に掃除をする)、清潔、3S(整理・整頓・清掃を維持し職場の衛生を保つ)、躾(決められたルールを正しく守る習慣をつける)という、各職場において徹底されるべき事項を5つにまとめたもの

現地での心構え

7.パレスチナの山脈に沈む夕日。中東の平和を祈る

 ヨルダン人が一番大切にしているものは、家族でした。国家意識はその次で、それに次いで会社や職場への帰属意識の順番でした。社会は毎日の日常生活、年間の行事、冠婚葬祭、ビジネス、学校など全てが一神教のイスラームのコーランに基づいています。イスラム教徒は他人でも友人でもブラザー(同胞)であり人間関係が強く、特に同族(家族)意識が強く家族親戚関係内でビジネスも農業も完結することが多いです。
 うまく生活するためには“IBM”を心がけることと言われています。I(インシャラー=神の御心のままに)、B(ブックラー=またあした)М(マアイレーシュ=気にしない)。イスラム社会と西欧社会・日本社会の違い、また時間感覚・時間の使い方と価値観の違いがイスラム社会を理解する糸口になりました。とにかく相手を信頼し認め、大人の付き合いをすることです。(写真7)
 ヨルダン国王アブドゥッラー2世が世界中へ全方位外交を進めていますが、ヒューマンリソース、代替エネルギーに視点が移っています。私の勤務していた王立研究所へも無償資金援助により約十億円もの機材供与がなされていました。

最後に

 仕事以外でのヨルダン生活の思い出は、研究所内庭園の美化運動、退職者へのお祝い、アラビア語教室とアラビア習字、日本人生徒へ紙漉とそれを用いた手作り「明かり」作り教室、生け花教室、岡山へのヨルダン便りの定期発信など、様々な思い出があります。
 また、中国で発明され奈良時代に日本へ伝わった紙がどのようにして伝播されたかを知る良い機会でもありました。ダマスカスを首都とするウマイア朝の時代になり、タラス河畔(現在キルギス領)の戦いで捕虜となった中国人がサマルカンドで紙の生産を始めたことで中東地域に製紙法が伝わりました。詳しくは財団法人紙の博物館機関誌『百万塔』 平成19年6月号「中東の紙を求めて」に寄稿しました。