言葉の力 〜日本語を学習する中国の高校生と一緒に成長した日々〜

【写真】近藤 千晶(徳島県)2017年度1次隊/中華人民共和国/日本語教育
近藤 千晶(徳島県)

青年海外協力隊に参加したきっかけ

 高校生の頃、JICAの「クロスロード」という雑誌に出会い、海外でボランティアができる制度があるということを知りました。読み進めてみると、夢である英語教師の職種はありませんでしたが、よく似た日本語教育の職種はあったので、面白そうだな、いつか挑戦してみたいなと思っていました。
 大学院時代に英語教育を専攻しながら空き時間に日本語教育の授業も履修し、日本語教師資格を取りました。最終年次に地元の中学校英語の教員採用試験を受験しましたが不合格。その後、受かるとは全く思っていませんでしたが、挑戦してみようという気持ちで青年海外協力隊に応募しました。誰かの役に立ちたいという思いよりも、自分の好奇心の追求が応募動機でした。
 いざ合格通知を受け取ってみると配属先は中国でした。実は大学時代に中国の湖南省への交換留学の経験があったので、再び中国に行けることは運命かもしれないと思いました。「英語圏だけではない世界を知りたい。外国の学校で働く経験をしたい。」という高校生の頃からの夢が叶いました。

配属先について

日本文化の授業で阿波踊りを紹介

 配属先は中国の江蘇省にある泰州市民興実験中学という小中高一貫校の高等部でした。中国では大学入学試験の競争が激しく、英語が苦手な場合は高校で日本語を選択して大学入試の外国語科目を日本語で受験する生徒が近年増えてきています。配属先は2010年に泰州市で最初に日本語選択クラスを開設しました。そして、私が初めての日本人日本語教師でした。

現地での活動について

夏休み中に湖北省京山市の高校への出前授業にて浴衣の着付けをする様子

作文の授業の様子

2017年度校内スピーチコンテスト(2年生)

 授業の内容は自由に任されていたので、日本文化や会話を教えました。高等部で日本語を選択した生徒は当時約1000人で、1クラスあたり60人前後という規模に最初は驚きました。多くの生徒が日本語を選択した理由はもちろん大学受験のためですが、その中には日本のアニメなどの文化に興味を持っていた生徒も多かったです。
 普段の授業以外にはJICA中国事務所からお借りした浴衣を使っての浴衣体験授業や校内日本語スピーチコンテスト、日本語アフレコ大会などを行いました。私が特に印象に残っているのはスピーチコンテストです。生徒たちが苦労しながら原稿を書き、同僚や私が文法を直し、生徒は一生懸命スピーチを暗記していました。ある時優勝したのは、大好きなウルトラマンについて自信満々に語った男の子でした。またある時は、スラムダンク(バスケットボールを通じて主人公の挑戦と成長を描いた日本の漫画作品で中国でも高い人気がある)が自分に教えてくれたことについて熱く語った男の子でした。2人共普段の日本語の成績は特別に優秀なわけではありませんでした。しかし、自分の好きなものについて、それらがどう自分の人生に影響を与えたのかについて、熱心に流暢な日本語で語る姿は他の生徒たちだけではなく教師たちをも驚かせました。
 私はスピーチコンテストが行われる度に生徒たちの考え方や日本に対する思いを知ることができてとても面白かったです。また、他省に配属されていた後輩隊員の学校で行われたスピーチコンテストに配属先からも生徒を連れて参加したこともありました。何回もスピーチコンテストに参加した生徒の中には卒業後も日本語の勉強を続けている人もいます。
 他には、2018年に参加した全国高校生作文コンテストでは配属先から2名が一等賞に選ばれ、北京での授賞式に参加しました。そのうち1名が日本への研修旅行への参加者に選ばれ、初めて日本へ行きました。
 言い過ぎかもしれませんが、日本語を学ぶことによって自分に自信を持ち、人生を切り開いていく生徒たちの姿をたくさん見ることができました。

活動中につらかったこと

 活動は順調だったかと言えば、そうではありませんでした。私の授業では特に指定された教科書を使っていたわけではなかったので、毎回の授業で何を教えるか、アイディアがなかなか浮かばず、ギリギリまで悩むことが多かったです。授業準備は当日の明け方までかかったこともよくありました。そんな情けない私が何か生徒の役に立てたことはあったのだろうかとずっとモヤモヤしていました。そして、任期を1年延長したのですが、これから一層頑張ろうと思っていた矢先に新型コロナウイルスの影響で任期を半年残したところで一時帰国、待機になってしまいました。その後、任地に戻れないまま、2020年7月に任期満了となりました。待機中は同僚からの日本語についての質問にWeChat(中国のSNS)を通して答えたりなどのサポートをしていました。志半ばで活動を終了することになり、とても悔しい気持ちでいっぱいでした。また戻れると思っていたので、直接にちゃんとしたお別れを生徒や同僚に言うことができないまま日本に帰ってしまったこともつらかったです。

帰国後の現状と将来への展望

 帰国後も交流は続いています。元同僚たちからは今でもよく日本語の文法などについての質問がWeChatで送られて来ます。卒業した教え子からも時々メッセージが来ます。私はまたいつか任地に訪れて再会ができる日が来ることを願っています。
 現在は地元の中学校で英語の講師をしています。なかなか協力隊時代のことについて生徒に話せる機会は少ないのですが、時々中国での経験を授業中に話したりします。子どもたちに英語を入り口として様々な国の言語や文化に興味を持ってもらい、一緒に成長ができる教師を目指して日々試行錯誤しています。