一生懸命、大切にしたいこと

【写真】白潟(旧姓:作道)若菜(愛媛県)平成27年度1次隊/ザンビア/青少年活動
白潟(旧姓:作道)若菜(愛媛県)

「世界では8秒に1人、子どもが亡くなっている」

ゴミの中を歩いて学校へ(インドネシア)

学校での活動を楽しむ子どもたち(インドネシア)

 これは当時の世界の貧困の状況を表すフレーズでしたが、小学5年生の私には、とんでもないパワーワードでした。何か行動するわけでもなかったのですが、なんとなくその頃から国際協力や青年海外協力隊のことが、頭の片隅にありました。
 そして高校2年生のとき、海外協力隊の体験談を聞き、現地の子どもたちの笑顔の写真を見て、協力隊として世界へ行きたい気持ちが爆発します。そこからは、青年海外協力隊になるにはどうすればいいかという一心で、進路を決めました。地元の大学の教育学部で国語科教員の免許をとり、日本語教師になる勉強をし、サークル活動でインドネシアのゴミ山の近くに暮らす子どもたちのもとへ数日間のボランティアへ行きました。はじめてのインドネシアでは、鼻をつく強烈なにおいと、おいしいミーゴレン(インドネシアの焼きそば)と、何もできなかったなという気持ちと、それでも笑顔で迎え入れてくれた人たちの笑顔が心に残りました。


未知の国 ザンビアへ

ザンビアが誇るヴィクトリアの滝

「もっと長い期間関わって、現地の人のためになることがしたい。いろんな世界を知りたい。」大学4年のときに協力隊の試験を受け、父と大ゲンカをしましたが、当時の国際協力推進員さんや協力隊OB・OGの方、家族の後押しで父も納得してくれ、無事、青年海外協力隊としてザンビアへ行けることが決まりました。名前も知らなかったザンビアは、アフリカ南部に位置し、世界三大瀑布のひとつであるヴィクトリアフォールズのある国でした。
 二本松での研修を経て、2015年7月からザンビアで隊員としての活動が始まります。出発するときには、家族や先生から「みんなのことを先生だと思いなさい」「柳のように、柔軟にたくましくいてください」という言葉を送っていただきましたが、ザンビアでの2年間はとにかく驚くことや学ぶことばかりでした。


ザンビアでの活動内容

小中学校での授業(ザンビア)

実習生たちと図書室の整備(ザンビア)

 私の主な活動内容は、算数やICTの指導。リテラシー教育を支える図書館活動や教材作りでした。
 算数の授業では9×9の計算で、一生懸命81本の棒を書いて、それを数えて80という間違った答えを導き出した6年生を見た時には、何とも言えない切なさを感じ、数の概念や足し算からの復習に、フラッシュカードや、スタンプカードを使っての九九の導入をしていきました。
 ICTの時間は、停電との戦い。電気がくる時間帯を狙って、職員室に子どもたちを引き連れ、2台のパソコンを使って実習。そんな時になぜか早まる停電の時間…。隣の中学校に派遣されていた隊員と実施した先生向けのパソコンのワークショップでは、予定していた期間の半分は電気が使えず、紙媒体での説明に切り替えました。
 小学校には外国からの援助でできた立派な図書室がありましたが、盗難の恐れがあるからと生徒に本を貸すことが禁じられていたため、オリジナルの本を作って貸し出しを開始したり、授業で使いやすいように整備したりしました。

心が動いたザンビアンライフ

子どもたちからのダンスのプレゼント(ザンビア)

先生たちとおそろいのチテンゲドレス(ザンビア)

 文化や習慣の違いや、最初のころに持っていたアフリカのイメージとのギャップも衝撃でした。雨が降ると学校に来なくなる先生や生徒(道がなくなり本当に来られなくなる人が半分、さぼり心が出る人が半分?)。初対面のあいさつで通っている教会を尋ねる。靴が壊れたら自分で直す。包丁がなければ鍋のフタを使って野菜を切る。ベッドのフレームも自転車で運ぶ。お茶の間で大ブームのインドドラマ。Appleウォッチを使いこなす校長。
 休みの日には子どもたちやマーケットのおばちゃんたちに現地語を教えてもらったり、アフリカ布(チテンゲ)で服を作ってもらったり、JICA専門家や他の隊員と協力し算数のドリルを作ったり、日本とザンビアの文化交流をしたり…ここには書き尽くせないほど、公私ともにいろんなことを体験させてもらいました。
 学校での活動に関しては、指導の仕方や体罰に関して同僚とぶつかることもあり、教員としての経験がほとんどない私の活動が、本当に現地の人のためになったのかという不安が常にありました。しかし帰国の時、電気の通ってない田舎の学校に町からソ-ラーパネルとスピーカーを持ってきて、先生や生徒が盛大なフェアウェルパーティを開いてくれ、「若菜が来てくれてよかった」「若菜のおかげで教材づくりをする先生や、パソコンに興味をもつ先生が増えた」と言ってもらった時には、ここに来られてよかったと心から感じました。


国際理解と障がい福祉の世界の共通点

ABEイニシアチブで来日した留学生との食事会

 2017年に帰国し、アフリカのご縁で2018年から愛媛のシステム会社で働き始めました。ABEイニシアチブ(JICAの対アフリカ留学生プログラム)でアフリカからのインターンシップ生を受け入れたり、マラウイで事業を展開している会社です。
 私が配属されたのは障がい福祉事業部でしたが、個人的に国際理解や障がい福祉には共通点があると感じています。それは「人と人との違いがわかりやすい」ということ。もちろん人はみな違うところがあるし同じところがあるのですが、一人一人と向き合っていると、それぞれに理解しやすい言語、文化、思想、見た目、背景、経験…いろんなことが違うということがよくわかります。
 これまでの私は潜在意識の中に、「みんながなんとなく同じ感覚を持っていて、自分自身のことは、周りの人にわかってもらえて当たり前。自分は周りの人のことをわかって当たり前。」という考えで、自分の「普通」や「正しさ」のものさしの中で生きていました。しかしその人の経験や人生はその人のものであり、ひとりひとり「違う」のが当たり前で、それが魅力的でおもしろいのだということ。違うからこそ分かり合おうとする歩み寄りが大切なのだということを、協力隊での活動や、仕事を通して感じています。


KUPANGA(クパンガ)がつなげる縁

KUPANGAのアクセサリー小物

アフリカ布スタイを使っている甥っ子

 KUPANGA(クパンガ)はザンビアやマラウイの現地語で「つくる」という意味のことばです。
つくる人や使う人がわくわくする雑貨や、人と人との豊かなつながりをつくっていきたい。そんな想いを込めて、就労継続支援B型事業所の仕事のひとつとしてアフリカ布雑貨ブランドをスタートし、この名前を付けました。マラウイ支社のスタッフや、アフリカにルーツのある友人の協力で手に入れたアフリカ布を使って、利用者さんとともに、ピアスなどのアクセサリー雑貨やバッグやポーチなどの布雑貨をつくって販売しています。
 想像力や几帳面なところを活かして素敵な作品をどんどん生み出し、いろんな手段で広報活動をしてくれている利用者さんやスタッフ。販売時にはお客様と、利用者さんの製作の様子や、布やアフリカの話で盛り上がるなど、誰かの日常の中に、アフリカや障がい福祉の世界が自然とつながっていく感覚は自分自身のやりがいです。


ザンビアで教えてもらった 幸せについて

ザンビアの同僚家族

 日本で生活している中で、ふとザンビア人とのやりとりを思い出すことがあります。幸せについて話した時には、子どもたちからは「家族と教会で祈っている時が、一番幸せ。若菜の日本の家族は元気?」「私はおいしいシマ(※)を食べているときが幸せ。」大人からは「自分が幸せじゃないと、周りの人は幸せにできないから、自分の幸せをまず一番に考えている。」というような言葉がかえってきました。
「家族やパートナーがいること、自分の充実を幸せだと感じていいんだ。自分自身の幸せをちゃんと考えていいんだ。」と、言葉にすると当たり前のことをそれまで知らなかったことに、はっとさせられました。
 ザンビアで教えてもらった「まずは自分自身や周りの人を、一生懸命大切にすること」は、世界中の人たちが豊かに生きる社会のための一歩なのだなと感じています。身近なところからひとつずつ、学んだことを周りへ返していけるように生きていきたいです。


※シマ:ザンビアの主食、トウモロコシの粉でできている