自分のペース、そして人との繋がりを大切に生きる

【写真】甲藤 瞳(高知県)2019年度2次隊/ラオス/日本語教育
甲藤 瞳(高知県)

 私は超マイペースで、いつも直前にならないとお尻に火がつかないタイプです。日本にいた頃は急かされることが多かったのですが(笑)、ラオスはどうやらペースが似ていたようで、特に違和感なく過ごすことができました。そんなことを振り返りながら協力隊にまつわるエピソードを綴っていきたいと思います。

日本語教師になるまで

中学の卒業式にてメリッサと

私に影響を与え続けてくれているメリッサからのメッセージ
「Keep studying English and use it to meet many people. Travel if you can. Study abroad if you can, These things are such great chances.」

 小さい頃から異文化や外国語、教育に関心がありました。それは、小学校の同級生にガーナやインドの友達がいたこと、中学校でALT(Assistant Language Teacher/外国語指導助手)をしていたメリッサ先生と仲が良かったこと、そしてこれまで出会った先生が好きだったからだと思います。特にメリッサとの出会いは大きく、英語でアメリカの生徒と文通をしたり、地域のALTと料理パーティーをしたりと、英語を手段として何ができるかを学ぶ機会をたくさん頂きました。彼女から卒業時にもらった言葉を受けて海外に行ってみたい、留学してみたい、たくさんの人と出会うために色々な言語を学びたいと思うようになりました。大学3年生でベルギーに留学していた時に日本語教育が身近な環境にあり、日本語教師になることを決めました。ちょうど上述した3つのキーワードが交わる仕事だったのも決め手の一つです。当時の日本語教師になるための条件(※)をいずれも満たしていなかったので学部の先生に相談し、就職の選択肢を広げるために大学院に進学して日本語教育を学ぶことを選択しました。

※日本語教師として働くには、(1)420時間程度の日本語教師養成講座(通信講座を含む)の修了、(2)大学または大学院の日本語教育主専攻・副専攻などの修了、(3)日本語教育能力検定試験合格のいずれかが求められることが多い。

JICA海外協力隊に応募した経緯/背景

後の先輩隊員となる方々と。
職種だけでも「PCインストラクター、公衆衛生、感染症・エイズ対策、デザイン」と様々

 修士を終えた後、協力隊員になる前に国際交流基金の日本語指導助手としてラオスに派遣されていました。職場はラオスで最初の日本語学科(2003年開設)が出来たラオス国立大学でした。そこで2年間働いている間に多くの協力隊員と出会い、みんなが生き生きとして楽しそうだったこと、専門も背景も多種多様な人と出会えることに魅力を感じて協力隊に興味を持ちました。そんなとき、ちょうどラオスで2番目の日本語学科(2017年開設)が地方のサワンナケート大学に設置され、既に派遣されている協力隊の後任を募集していました。色々な方に相談しながら、慣れた土地でこれまでの経験を還元しながらキャリアアップしたいと思い、ラオスの協力隊に応募することにしました。

現地での活動

ゲストにインタビューをする一年生。目の輝きが違います!

日本での待機中は、同期の日本語教育隊員の助けも得ながらオンライン授業を継続

 開設後3~4年目の日本語学科で、学生の日本語力向上や同僚教員の教授力・日本語力向上、カリキュラムの改善に取り組みました。その他、同僚教員と協働で卒論指導や教師研修などを行いました。コロナ禍で9か月ほど一時帰国をしていましたが、学生が自分のスマホを使ってオンライン授業に参加し続けてくれたおかげで、どこにいても何とか活動を継続することができました。
対面でもオンラインでも意識して行っていたことは、日本語話者との交流です。対面のときは任地にいる同期や友人、旅行に来てくれた友人を会話授業に招きインタビュー相手になってもらい、オンライン授業ではラオスの他県にいる同期隊員や日本にいる友人に日本文化や習慣などを紹介する授業の講師をお願いしたり、日本で日本語教育を専攻しているラオス人留学生に会話授業のゲストに来てもらったりしました。きっと、メリッサから学んだ「語学学習の意義の一つは新しい人と繋がれること」ということを体現したかったのだと思います。

コロナ禍での活動で大切にしていたこと

できるだけ近くで。同僚の先生と新学期の授業について相談している様子

できるだけ同じ目線で。コの字型での授業

 「現地の人に寄り添う姿勢を持つこと」です。たとえコロナ禍で離れていても、できるだけ近くで、同じ目線で同じものを見たいと思っていました。先生と連絡するとき、急ぎだけど記録が残らなくてもいいときはボイスメッセージ、すぐに相手の反応を知りたいときは通話、書類を確認しながら話したいときはビデオ通話などと使い分けるようにしていました(ラオス人の先生が使い分けて私に連絡をくれたので、それを真似しました)。
 少し脱線しますが、「できるだけ近くで、同じ目線で」と言えば対面授業のとき、学生に相談した上で机はコの字型、私は座って授業をしていました。コの字型は私が中学の時のスタイルで、より多くの生徒が先生との距離を近くに感じられ、生徒同士もお互いの顔を見られるのが良かったので提案しました。座って視線を落としたのは、院生の時の集中講義でカナダから来られた先生が講義初日に「私、教卓の前に立って話すの苦手なの。みなさんと同じ視線で話したいわ」と言って教卓を寄せて椅子に座り、私たちと同じ目線で話してくれたことで先生をより近く感じることができたからです。近くにいても離れていても、学生や先生たちが少しでも私を身近に感じ、気軽におしゃべりしたり相談したりできる関係作りができたらいいなと思いながら活動していました。

活動で学んだこと

授業中も冗談を言い合いながら、一緒に過ごす時間を楽しみます

 「自分や家族を大切に、自分たちのペースで生活すること」です。冒頭でも述べましたが、私がラオスで急かされたことはたぶん一度もありませんでした。周りの先生や学生たちは良い意味で自分のペースで過ごしていましたが(先生が授業に遅れたり、学生も90分授業の残り30分で登場したりすることも(笑))、確かに嫌々授業をしたり受けたりしても気持ち良くはありません。それなら多少時間をずらしても自分が機嫌よく過ごせるようにし、後でうまく調整することも選択肢の一つかもしれないと思いました。郷に入れば郷に従えなので、日本に帰るとまた時間の捉え方は変わると思いますが、自分のペースを理解し心に余裕を持って過ごすことで、周りにも優しくできるというのはどこにいても同じではないかと思います。

帰国後の現在とこれから

 帰国後は出前講座の機会をいただき、「日本語教師の仕事」「ラオスの衣食住」「ラオスの小学生の生活」などについて小学生や高校生、日本語教育に興味のある方にお話ししています。今年の夏前には国際交流基金の専門家として三度目のラオスへ派遣される予定なのですが、次の赴任中もラオスの風を日本の方に届けたいと思っています。そして、いつか高知に戻り日本語教育を通して人と繋がり・繋げることに関われたらいいなと夢想中です。何だかまとまりのない文章になってしまいましたが、私のマイペースなおしゃべりに最後までお付き合いくださりありがとうございました。