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エジプトの秘宝を守る(前編): 日本の専門家や企業による長年の協力で「大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」が読売国際協力賞を受賞

2020年12月25日

エジプト・ギザの三大ピラミッド近くで、日本の協力により、世界最大級の「大エジプト博物館」の建設が来年の開館に向けて進んでいます。JICAは2008年から、この博物館に隣接する大エジプト博物館保存修復センターの人材の育成などに携わり、日本の多くの専門家や企業と協力し、古代エジプトの文化遺産保存に取り組んできました。

この12年にわたる協力が評価され、今年秋、この「大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」は、国際協力分野で活躍する個人や団体に贈られる「読売国際協力賞」を受賞しました。

今回の受賞にいたった背景にある関係者の汗と涙のストーリーを2回シリーズでお伝えします。前編は、歴代の専門家やJICA職員の声をもとに、これまでの協力の歩みと、エジプトとの信頼をどのように築いていったのか、その舞台裏を探ります。

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建設が進む大エジプト博物館(2019年7月撮影)

■取材にご協力頂いた方々(カッコ内は当時の所属や役職)
中村三樹男専門家(チーフ・アドバイザー)
山内和也専門家(活動計画策定・モニタリング/専門家スタッフィング)
松田泰典専門家(テクニカル・チーフアドバイザー/保存修復)
谷口陽子専門家(壁画・石材)
前川憲治職員(JICA社会基盤・平和構築部 都市・地域開発グループ 課長)
小森克俊職員(JICA社会基盤・平和構築部 都市・地域開発グループ 担当者)

JICA初となる大規模な文化遺産関連プロジェクトが始まった

JICAが途上国の国家の秘宝に携わる大規模な文化遺産プロジェクトを実施するのは初めてのことでした。

「日本の支援で建設する大エジプト博物館の展示品を充実させるためには、文化遺産保存に向けた人材育成が必要となり、JICAが協力することになったのです。どの部署が担うのかJICA内で検討を重ね、エジプトの観光や雇用などに大きな貢献が期待される点などから、社会基盤・平和構築部の都市・地域開発グループが担当部署を務めることになりました。まず、2008年3月末にカイロへ出張し、現地滞在3日間、ピラミッドを見ることもなく、会議室に缶詰めで朝から晩までエジプト側と協議し、ここで協力開始に向けたゴングが鳴りました」

こう語るのは、当時、JICA社会基盤・平和構築部 都市・地域開発グループに所属していた前川憲治職員と小森克俊職員です。

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そして、大エジプト博物館に併設予定の保存修復センターの人材育成プロジェクトが正式に始まったのが2008年6月。約2年後に新設されるこのセンターで、大エジプト博物館の展示品をはじめ、エジプト国内の遺物を適切に保存修復するため、必要な体制と技術力を急ぎ整備することになりました。ただ、人類共通の宝ともいわれる遺産を数多く有するエジプトだけに、関係省庁やそこで働く人々の誇りはきわめて高く、保存修復技術に対する自負も並々ならぬものがあり、当初、日本とエジプトのコミュニケーションは、必ずしもスムーズではありませんでした。

脱酸素剤を用い彩色文化財の燻蒸処理を行う「彩色研修」の様子。中央が谷口専門家

プロジェクトメンバーの一人、壁画・石材の材質調査と保存修復のスペシャリストである谷口陽子専門家は「現地では、劣化の進んだパピルスの遺物などを見せられ、そして、修復したいという膨大な遺物リストを渡されて『機材や資金だけを供与してくれれば、それでいいから』などとストレートに言われました」と明かします。

中村三樹男チーフ・アドバイザーは、当時のエジプト側との温度差を端的に表すエピソードについて次のように語りました。

「スタート当初の2008年秋、エジプトのラジオ番組に呼ばれて出演した時、コメンテーターから『日本はエジプトで保存修復の協力をする資格があるのですか?』と問われました。ちょうど日本で正倉院展が開かれていることを思い出し、『日本には現存するものとしては世界最古の博物館である正倉院がありますから安心してください』と答えました。当然ですが、彼らにはエジプト文化への高い誇りと自負がありますので、リスペクトは忘れないようにしなければと肝に銘じた出来事でした」

研修機材の調達にもひと苦労

国際博物館会議保存委員会メルボルン大会で研究発表した大エジプト博物館保存修復センターのスタッフと松田専門家(右端)

プロジェクトのテクニカル・チーフアドバイザーを務めた文化遺産保存学の松田泰典専門家は、日本からの機材や資材が届かず、かといって日本ならどこでも入手できるものがエジプトではなかなか調達できずに苦労したと振り返ります。

「例えば、精密ピンセットが手配できず、カイロの町を2日間探し回ったなんてこともありました。機材や資材の調達は一見地味ですが、プロジェクトの進捗や研修の質にも関わるので、大切な業務なのです。そうした計画や手配をする後方支援部隊の苦労も絶えません」

そして、中村チーフ・アドバイザーは、さまざまなバックアップ業務について次のように述べます。

「これはプロジェクト開始から現在に至るまで一貫して言えることですが、我々専門家が現地でエジプト人専門家と協力して活動を行う裏では、こうした資機材調達や複数の専門家が現地に安全に渡航し活動できるようにするための支援、また税金を払っている日本の国民の皆さまに対するプロジェクトの広報活動など、表立っては見えてこないバックアップ業務に従事するスタッフがいることも忘れてはなりません。全員が一丸となってそれぞれの業務を行うことで、プロジェクトを成功へと導き、エジプト側への最大限の貢献ができるよう尽力していると言えます」

日本の専門家たちの地道な協力が信頼関係を醸成していった

プロジェクトでは人材育成と並行して、文化財データベースの構築にも着手していました。

データベース調査のためツタンカーメン王の遺物を調査する中村チーフ・アドバイザー(前例右から2番目)

中村チーフ・アドバイザーは、「当時エジプトの博物館には統一された遺物の台帳やデータベースが整っていませんでした。遺物があるべき収納棚にないとか、別の博物館に移したのに記録が残っていないといったことも。これではその後予定されていた大エジプト博物館への遺物の移送計画も、研修のためのプログラム作りもできない状況でした」と語ります。

このとき構築されたデータベースは、現在、大エジプト博物館への遺物搬入計画づくりや展示プラン策定などにも大きな効果を発揮しています。

2010年6月には大エジプト博物館保存修復センターが完成。データベースの構築も進み、プロジェクトが進むなか、当初はぎくしゃくしていた日本とエジプト側の関係も、コミュニケーションが潤滑にとれるようになっていきます。

「具体的な研修を地道に積み重ねていく中で、徐々に日本側の予防保存(現状よりも劣化させない施策)の考え方や目指す文化財保存の理念などを理解してくれたのだと思います。まず、柔軟な発想の若いエジプト人スタッフが受け入れてくれて、それが呼び水のようになり、ベテランのエジプト人修復家や研究者の心も動かしてくれていったように感じています」と松田専門家は分析します。

2008年から2016年前半にかけて実施された研修は、素材ごとの保存修復技術のみならず、文化遺産の診断・分析技術やカビや害虫から守るための総合的有害生物管理、さらには労働安全衛生、遺物の梱包や移送など多岐にわたります。研修を受けたエジプト人スタッフ数は延べ2250人にも上りました。

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日本の修復技術を食い入るように見るエジプトの研修生たち

エジプトから「本物の遺物の保存修復を一緒に作業してほしい」との声が

そして2015年9月、エジプト側から、それまでのレプリカ(複製品)による修復研修ではなく、本物の遺物の保存修復の共同作業の申し出が入ります。これには中村チーフ・アドバイザーをはじめ、多くの専門家が驚いたといいます。研修プログラム策定や専門家の人選などに携わった山内和也専門家は次のように記憶をたどります。

保存修復センターの人材育成プロジェクトの終了時に、エジプト側との協議に参加した山内専門家(右から3番目)

「エジプト側は外国人には遺物を触らせないのが基本スタンスでしたし、『人材育成と技術移転が目的なら本物を扱わなくてもいいだろう』との理屈もありました。ただ、私は内心ずっと『実践的な能力を高めるためにも、いずれは本物の遺物を扱えるようにしなければ』と考えていました」

多くの日本の専門家たちがエジプトの若い研修生たちに寄り添うように指導を行い、惜しみない技術移転を積み重ねてきたことが、ツタンカーメンの遺物をはじめとする貴重な文化財の修復を目的とした「大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」へとつながったのです。

シリーズ後編では、2016年から始まったこのプロジェクトで、ツタンカーメンの遺物修復に携わる専門家たちに、知られざる保存修復のエピソードを伺います。