バングラデシュのIT技術者を日本に呼び込め!地方と世界をつなぐ新たな国際協力

2022年12月21日

優秀なIT人材がいながら就職難のバングラデシュと、デジタル人材の不足に悩む日本の地方都市を結ぶ。そんな新たな国際協力の形が、全国の自治体や企業から注目を集めています。きっかけとなったのが、JICAのIT人材育成プロジェクト。バングラデシュで活動する海外協力隊のアイデアから生まれたプロジェクトが、いかにして日本の地方活性化へとつながっていったのか。14年に及ぶ軌跡をまとめた漫画『バングラデシュIT人材がもたらす日本の地方創生—協力隊から産官学連携へとつながった新しい国際協力の形』の公開に合わせ、その推進役を担った2人のキーパーソン、そして日本企業で活躍中のバングラデシュ人IT技術者の方にお話を伺いました。

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海外協力隊のアイデアが国家プロジェクトへ

「ポテンシャルあふれる若者たちに、IT資格という武器を与えられないだろうか」
IT人材育成プロジェクトは、今から14年前の2008年、青年海外協力隊のIT担当としてバングラデシュに派遣された隊員たちの思いをきっかけに始まりました。

「バングラデシュの若者は英語を話せる方が多く、優秀でスマート。でも当時のバングラデシュは、エンジニアとしての能力を証明する国家資格制度が整っておらず、若者たちは将来のキャリアパスを描けずにいたのです」そう話すのは、のちに隊員たちからバトンを受け取り、JICA職員としてプロジェクトの前進に貢献した狩野剛さん。自身も学生時代にITを学んだおかげで、その後の人生が大きく変わったと言います。

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2010年から約5年間、JICA職員として本部とバングラデシュ事務所の両方からプロジェクトを推進し、現在も研究者として関わり続けている狩野さん。現職は金沢工業大学准教授

隊員たちが着目したのが、ITEEと呼ばれる資格試験でした。「情報処理技術者試験(Information Technology Engineers Examination)」は、日本でも年間43万人が受験するアジア最大のIT国家資格試験。若きエンジニアたちが即戦力の人材として認められるよう、ITEE導入を目指して隊員たちの奔走の日々が始まりました。

現場から人を動かし、国を動かす

現地のIT企業協会やダッカ大学、日本の経済産業省など多くの関係者を巻き込み、試行錯誤を重ねる中、大きなターニングポイントとなったのが、当時の科学情報通信技術省大臣との面会の機会でした。IT人材育成事業の必要性を伝えるとともに、大臣がたしなむというバングラデシュの詩「コビタ」に乗せて、隊員たちの思いを贈ることにしました。

「日本とバングラデシュのITセクターに橋を架けよう」と題する詩をベンガル語で詠み始めると、場の雰囲気ががらりと変わったといいます。しばらく黙り込んでいた大臣から戻ってきたのは、「架けられた橋を多くの人が渡り合えるようにしていこう」という返歌でした。「こうした発想は、まさにJICAが掲げる現場主義から出たもの。現場に自ら入り、人々と共に暮らし、その文化を理解して尊重する。そうした姿勢が大臣の心に響いたのではないでしょうか」(狩野さん)。

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IT担当大臣にコビタの詩をプレゼント

大臣のお墨付きを得て、プロジェクトは大きく動き出します。2012年にはJICAの技術協力プロジェクトとなり、2013年にはトライアル試験が実施されることになりました。ところが、行く道々に途上国ならではの困難が立ちふさがります。試験の実施日にはホルタル(ストライキ)が起き、公共交通機関がすべてストップしてしまう事態に。

2012年から現地でプロジェクトを直接担当していた狩野さんは、仲間とともに試験問題をリキシャで運び、なんとか実施にこぎつけます。誰も来てくれないのではという不安の中、応募者332名のうち、なんと158名が徒歩などで会場に現れました。「すごく嬉しかったですね。日本から来た試験官たちも前日から会場に泊まり込みで対応してくれ、無事に終わったときは心から安堵しました」(狩野さん)。

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試験問題をリキシャで運ぶことになった第1回ITEEトライアル試験

そして2014年、ついにバングラデシュは7カ国目のメンバー(2022年現在の加盟国は6カ国)として、ITプロフェッショナル試験協議会(ITPEC)への正式加盟を果たします。ITEE導入をきっかけに、バングラデシュの若者がITエンジニアとしてグローバルに活躍する未来が広がったのです。

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バングラデシュのITPEC加盟式典

日本のIT人材不足は深刻な課題

若年層の人口が多いバングラデシュとは反対に、少子高齢化やIT人材不足という課題を抱える日本。2019年に発表された経済産業省の調査によれば、2030年時点で最大79万人程度のIT人材が不足すると予想され、このままではITを活用したサービスの遅れや情報セキュリティ関連のトラブルなどが増え続けると懸念されています。

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とりわけ地方にとって深刻なこの問題に、いち早く動いたのが宮崎市でした。IT企業の誘致や人材の流出に悩んでいた宮崎市、海外向けにeラーニングを提供していた市内の企業、日本語教育に熱心な宮崎大学という産官学がJICAと連携し、バングラデシュからIT人材を宮崎に呼び込む仕組みを生み出したのです。

宮崎市とJICAを結び付け、のちに「宮崎-バングラデシュ・モデル」と呼ばれる仕組みをつくった立役者が、田阪真之介さんでした。「このモデルが成功したのは、まず受け入れ側に課題意識があったこと。さらに企業、行政、大学というそれぞれの組織にインセンティブと責任があり、主体的に携わる姿勢があったからだと思います」と田阪さんは振り返ります。

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「宮崎-バングラデシュ・モデル」の構築に尽力した田阪さん。青年海外協力隊や教育関連企業を経て、現在は宮崎大学特別教授としてバングラデシュIT人材プロジェクトを推進中

この結果、宮崎県では2017年から2022年までにバングラデシュから50人以上のITエンジニアが延べ24社に就職。東京都に次いで多い数字に、全国の自治体や企業などから注目が集まり、問合せや視察が後を絶たないといいます。

日本への就職を支えたJICAのB-JETプログラム

成功の裏には、JICAが2017年に始めた「日本市場向けバングラデシュITエンジニア育成プログラム(B-JET)」という取り組みもありました。B-JETは、日本就職を目指すバングラデシュのICT人材のためのトレーニングプログラムで、日本語やビジネスマナーなど、日本で働くために必要なことを集中的に学びます。2020年の終了(注1)までに280人が受講し、このうち7割近い186人が宮崎を含む日本各地の企業にエンジニアとして就職しました。

注1:JICAによる支援終了後も、宮崎大学と現地の大学、民間企業の主導で継続中

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B-JETプログラムで言葉や日本文化を学ぶバングラデシュのITエンジニアたち

宮崎市のシステム開発企業でプログラマーとして働くホサイン・モハッマド・ラモザンさんもその一人。B-JETの2期生として、2018年に25歳で来日しました。日本での就職を希望した理由について「いつか起業したいという夢があり、そのために高いIT技術を身に着けたいと思っていました。日本はITレベルの高さはもちろんのこと、同じアジアの国という親近感もあります。そして自宅近くの橋がJICAの支援で建設されたことも大きかったですね」というラモザンさん。「日本に対して良い印象があったので、B-JETのことを知り、すぐに受講を決めました」。

トレーニング中に学んだ「時間厳守」や「報・連・相」といった日本のビジネスマナーは、とても新鮮だったそう。でもそれが今の職場の上司や同僚、顧客とのコミュニケーションに役立っていると言います。「B-JETとの出会いは私の人生を大きく変えることになりました。この先10~20年は日本で働き、将来はその経験とネットワークを生かして起業し、バングラデシュと日本の架け橋になりたい」と流ちょうな日本語で語ってくれました。

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宮崎に来て約4年、IT企業スパークジャパンで活躍中のラモザンさん(右写真の左)

IT人材の確保が難しい地方の企業にとって、日本語ができる優秀なITエンジニアを雇えるメリットは大きく、企業内の活性化にもつながっている例もあります。「安い労働力と勘違いされたり、見慣れない外国人への戸惑いがあったり、最初からすべてがうまくいったわけではありません。でも日本で働きたいという強い思いを持って来日するバングラデシュの若者が増えるにつれ、彼らを歓迎する地域の雰囲気も生まれ、市民が多様な価値観や文化に触れる機会にもなっています」(田阪さん)。

双方向モデルという新たな国際協力の形

「将来はもっと多くの若者がチャンスをつかめるようになれば」という狩野さん。「日本で働くことができる若者は、全体から見ればまだほんのわずか。基本的なITスキルを身につけることで、地方の若者や女性の雇用機会の創出にもつなげていきたいですね」。

若者の雇用先が少ないバングラデシュとIT人材の不足に悩む日本、両国の社会課題を同時に解決するアプローチは、支援する側・される側という関係性を超えた、これまでにない国際協力の形としても注目されています。「このプロジェクトから得られた教訓はIT人材の話にとどまりません。互いをよく知り、それぞれの社会課題を深く理解する中で、接点を見つけ、補い合うのが、これからの国際協力のあるべき姿だと考えています」(狩野さん)。