【隊員たちのイマ】~外国人が日本で安心して暮らせる社会を目指して~「しもつま外国人支援ネットワークTOMODACHI」 中山 美由紀さん【前編】

中山 美由紀さん
(茨城県下妻市在住 元青年海外協力隊/ボリビア/保健師)

【画像】南米・ボリビアで青年海外協力隊として活動した中山さんは、「同じ下妻市に住む外国人のために何かしたい。」 と、地域の仲間と共に、「しもつま外国人支援ネットワークTOMODACHI※1」を2021年4月に立ち上げました。

今回は、多文化共生社会の実現に向け、仕事と育児の傍ら、外国人相談会やコミュニティサロンの運営など精力的に活動している中山さんのストーリーをご紹介します (前・後編)。 前編では、協力隊を経て、外国人支援活動にかかわるまでのお話です。

下妻市で身近に聞こえてくるスペイン語

保健師としてボリビアで活動する様子

ボリビアの子どもたち

中山さんは大学卒業後、看護師として勤務した後、学生時代から興味のあったJICA海外協力隊に参加。南米・ボリビア(スペイン語圏)で保健師として2年間活動した。帰国後は、再び保健師として長崎県で就職するが、結婚を機に茨城県下妻市へ移住した。

下妻市に住み始めた時、中山さんは驚いた。近所のスーパーで飛び交うスペイン語!下妻市の日常だ。というのも、下妻市は、茨城県内でも在留外国人が多い市(※2)で、2,000人以上の外国人が暮らしている。そのうち1/5以上はスペイン語圏のペルー人だ。中山さんは、「外国人が多く住む下妻市で、青年海外協力隊の経験を活かした仕事があるのでは・・・」と考えるようになった。

新たな職探しの末たどり着いたのが、常総市にある「茨城NPOセンター・コモンズ」※3の求人だ。中山さんは。この団体が実施するブラジル人学校の健康診断の企画と外国人のための防災訓練の運営に携わった。そして、1年間の任期が満了した後、再び保健師として民間企業の健康相談業務に7年間従事した。

子育て中にみた外国人の孤立

中山さんは、務める企業の子供たちが通う保育園や小学校の保護者会で、日本人の保護者がグループでおしゃべりを楽しむ中、外国人のお母さんが一人でポツンといる姿が気になった。

「ボリビアではいつも、外国人としての自分は親切にしてもらっていたのに…」 青年海外協力隊時代の体験から、一人でいる外国人をほうっておけなかった。

あるとき、小学校の運動会でのこと。休憩中にアナウンスが流れた。
「(新型コロナウィルス感染拡大防止のため)子どもとの接触を避けて下さい。」 しかし、日本語のよくわからないバングラデシュ人のお母さんは自分の子どもと戯れていた。何度も同様のアナウンスが流れ、周囲からこのお母さんに冷たい視線が注がれた。

中山さんは、そのお母さんのところに駆け寄り、
「今は子どもにさわっちゃだめなんだって。」とわかりやすい日本語と身振り手振りで伝えた。すると、「そうなの?わからなかったよ。ありがとう!」と状況を理解してくれた。

外国人とのコミュニケーションからの気づき

下妻に来た当初、中山さんは何の気兼ねもなく外国人に話しかけることができていたが、ボリビアから帰国後の生活が長くなるにつれ、「外国人に話しかける自分は周囲の日本人からどう思われているんだろう…。」と気にすることもあった。しかし、出会った外国人が孤立し、何等かの困難を抱えていることを知り、「もっと(外国人の人に)話しかけてみよう。」と決めた。

スペイン語圏出身のお母さんには隊員時代に培ったスペイン語で、バングラデシュやフィリピンなど自分のわからない言語の国の保護者には、その保護者の子どもを仲介役にしてコミュニケーションをとった。あいさつから始まり、地域の外国人と会話を交わすうち、外国人が何に困っていて、どんなサポートが必要か、だんだんと見えてきた。

コロナ禍での転機、外国人支援活動への想い

石焼きいもの移動販売のペルー人と中山さんのお子さんたち

日々の生活の中で、外国の人たちと接しながら、年々「(外国人の皆さんのために)何かしたい。」という想いが募っていった中山さん。2020年春、新型コロナウィルス感染拡大の影響もあり、夫の大輔さんが経営する農園では、ネット注文の需要が急増した。中山さんは大輔さんを支えるため、保健師を退職し夫婦で農園を営むことにした。

「農園の仕事ならば、時間を調整して下妻市に住む外国人のために活動する時間も確保できるかもしれない。」そんな期待もあった。(そして、運命的な仲間との出会い、多文化共生への挑戦へ!後編(末尾リンク参照)へ続く)