【JICA筑波ファミリーのメッセージ~「自分には関係ない」と思わず、新しい扉を開け、世界を広げていきましょう!~熊倉 百合子さん】前編

熊倉 百合子(くまくら ゆりこ)さん:(2016年- JICA栃木デスク(国際協力推進員)・2008年に海外協力隊(職種:青少年活動)としてインドネシアに派遣され、活動。

TIAにデスクを置き勤務する熊倉百合子さん

熊倉さんは、インドネシアでの青年海外協力隊としての活動後、栃木県青年海外協力隊OB会での活動や大学院を経て、「JICA栃木デスク」(国際協力推進員)として、2016年-現在まで栃木県国際交流協会(TIA)に席を置き、勤務。栃木デスクとしての仕事のかたわら、内閣府青年国際交流事後組織である「栃木県青年国際交流機構」の会長として、また数年前からは、自身の出身地である栃木県佐野市で「NPO法人こどものとなり佐野」を立ち上げ、栃木県の国際交流、子どもの貧困支援などで幅広く活動しています。コロナ禍においても、「こういう困った状況のときこそ、協力隊経験者のネットワークや協力隊時代の経験が生きる」と感じている熊倉さん。協力隊を経て広がった視野、現在のお仕事と取り組んでいること、そして皆さんに伝えたいことを話してくれました。

「国際交流と国際協力はどう違う?」そんな関心から参加した海外協力隊

熊倉さんが海外協力隊に参加した直接のきっかけは、栃木県足利市の中学校で教師として働いていた時、協力隊経験者の方が同僚にいたこと。熊倉さんがこれまでにも「内閣府国際交流事業」に関わり、栃木県での国際交流イベントを実施していたことから、その同僚とは国際交流・国際協力についてよく話をしていた。その方はご夫婦ともに協力隊経験者だったことから、意気投合、お宅におじゃますることに。熊倉さんとお話をし、熊倉さんの性格や志向は「協力隊向き」、と思われたのか、そのご夫婦からは「(協力隊に)行った方がいいよ」と勧められた。

そのような時、当時のJICA栃木デスクとの関わりもあった熊倉さんは、海外協力隊の募集説明会に誘われ、参加することに。熊倉さんは、説明会の中で行われた元JICA青年海外協力隊事務局長の講演で「国際交流と国際協力は違うんだ」という言葉を聞いた。そして、「どう違うんだろう?」と興味がわいた。

このようなことが重なって、海外長期滞在にも関心があり、「国際交流と国際協力がどう違うのか、体感できるかな」と思った熊倉さんは、「海外協力隊」という新しい扉をたたき、応募した。

協力隊経験で得た視点から、国内での活動への想いを強くする

インドネシアの活動先でアクセサリー指導をする熊倉さん

活動の成果発表会で、同僚と

熊倉さんが協力隊員として赴任した頃は、社会人経験がなく、海外に出ることも初めてで、協力隊活動で大きなインパクトを受け、任期終了後も現地に残り生活する、といった海外協力隊もいた。一方、熊倉さんは、社会人になってから協力隊に参加したこともあり、そのような自分の人生を変えるまでのインパクトは受けなかった。でも、協力隊の経験が自分の人生に加わったことで、視野が広がり、また深くなり、「社会の課題をどう見るか」「自分がどう取り組むか」という新たな目線を得た。

熊倉さんが配属されたインドネシア・タカラール県の教育委員会は、協力隊員をこれまで受け入れたことがなかった。ノンフォーマル教育を担当する同委員会で、熊倉さんの協力隊員としての主な活動内容は、地域の子供たちの生活向上・学習支援を行うことだった。他の地域・配属先では、周囲の支援を得、やりたいことをどんどん進め、充実した活動をしている隊員もいたが、熊倉さんの隊員としての活動は、「あなた、何しに来たの」と言われるところから始まった。約2年半をかけ、自分の役割を理解してもらい、一緒にやってくれる同僚を探し、パイロット活動を実施して成果を示す、というところまでこぎつけた。一番大変だったのは、同じ教育委員会の別部署に他の援助機関が前から入っており、文具や施設建設など多額の支援を行っていたため、配属先から「学校(施設)を作ってくれるんじゃないのか」と言われたこと。援助機関としての考え方や方針の差に対して、熊倉さん個人ができることはほとんどなく、JICAの協力方針を理解してもらうしかない、と思っていた。

海外協力隊として活動するまで、社会・地域の課題に目を向けその解決に自らが取り組む、ということをあまり意識していなかった熊倉さん。協力隊として活動する場所で、自分が役に立つのか、その力があるのか、ということについても、自信があったわけではない。でも、試行錯誤し取り組んだ約2年半の活動を終え日本に帰国したとき、あらためて日本での生活を見回し、自分のこれからの人生を考えるようになった。熊倉さんはこう強く思うようになっていた。「今の日本・地域が抱える課題に、自分がどう関わるか、関われるか、協力隊で取り組んだような活動ができないか」と

大学院を経て、栃木県で活動する協力隊経験者をつなぎひろげる栃木デスクの活動へ

ローカルラジオ番組でインドネシアの民族衣装を着て出演する熊倉さん

熊倉さんは帰国直後から、栃木県出身・在住の海外協力隊経験者の会に積極的に参加し、主催イベントの運営に携わったり、学校での協力隊体験談講師をしたり、といった活動を続けた。個性的で魅力的なたくさんの協力隊経験者に出会う中で、「協力隊経験者が地域で活動している姿を、もっと多くの人に伝えたい、知ってもらいたい、そしてネットワークを広げたい」と思うようになった。

また、熊倉さんは、協力隊での活動のプロセスや意義を客観的に見つめなおすため、大学院に行き、ノンフォーマル教育の研究にも取り組んだ。そのような中でも、「今の日本・地域が抱える課題に対し活動する、協力隊として取り組んだことを活かす」という今後の自分の方向性や想いは明確に、そして深まっていった。

協力隊から帰国し約5年。熊倉さんの高まっていた様々な想いを活かすことのできる仕事が、JICA筑波の栃木デスク(国際協力推進員)だった。

熊倉さんのJICA栃木デスクの仕事は、JICAの栃木県の窓口(リエゾン)として、海外協力隊事業を含むJICA事業の広報を行い、県民の皆さんに関心を持ち、理解していただく、というもの。また、海外協力隊に行きたいという人、活動を終え帰国した人たちの国内での活動のサポートなども行っている。

6年にわたるJICA栃木デスクとしてのお仕事で、熊倉さんが特にやりがいを感じるのは、協力隊経験者が栃木県内で活躍している様子を県民の皆さんに伝えたり、協力隊経験者が設立した団体が地域で活動することを支援したりできること。栃木県内には、国際交流、国際協力、地域の課題解決を目指すなど、様々な活動を展開している団体があり、素晴らしい活動をしている。これらの団体には、横のつながりを広げる場や活動をアピールする機会が少ないのでは、と熊倉さんは感じている。茨城県・栃木県内の様々な団体・機関とつながりを持ち活動するJICAがこれらの団体を結び付けたり、発信したりすることで、これらの団体の大きな力になるのでは、と思っている。

熊倉さんには、JICA栃木デスクに加えて、「地域の課題」に、「協力隊の活動を活かして」取り組んでいることがいくつかある。それは・・・(後編(末尾リンク参照)へ続く)