【隊員たちのイマ】コスタリカコーヒーの輸入販売を通じ、障害のある人々の自立支援を!【前編】


大島愛さん(茨城県守谷市出身・在住 元青年海外協力隊/作業療法士/コスタリカ)

【画像】作業療法士の資格と現場経験を活かし、2016年から2年間、JICA海外協力隊としてコスタリカ国の特別支援学校で作業療法士として活動。帰国後は作業療法士として都内の訪問リハビリの仕事に従事する傍ら、中米コスタリカの障害者支援につながるコーヒー販売を手掛けるNatuRica(ナチュリカ)合同会社の代表を務める。

前編ではJICA海外協力隊として活動するきっかけや現地での活動について語っていただきました!

「人のためになる」仕事、そしてJICA海外協力隊へ

「祖父が医者をしていたこともあり、人のためになる仕事をしたい、と作業療法士を志しました。それから、旅行会社で働く父や英語教師の母の影響で海外に関心があり、幼いころから海外に行ってみたいという想いはずっとありました。」
大島さんは、大学卒業後4年半の間、地元総合病院で作業療法士として勤務。フィリピンで3ヶ月間の語学留学を経て、ワーキングホリデー制度でオーストラリアへ渡った。オーストラリアでは日本食レストランや老人ホームのボランティアを経験し、それなりに充実した日々を過ごしてはいたものの、改めて「作業療法士として、海外で働きたい」という想いがはっきりした。そして大島さんは、JICA海外協力隊への応募を決意した。

作業療法士の経験を活かし、中米コスタリカへ

JICA海外協力隊員として、中米コスタリカへの派遣が決定した大島さん。2016年7月、コスタリカに渡り、コスタリカ南部リモン県グアシモ市にある0~21歳の幼児児童生徒を受け入れている公立の特別支援学校に配属となった。
派遣前に聞いていた活動内容は「車いすを利用している子供たちのための姿勢補助具や自助具の作成・使用方法を、同僚である教員・学校スタッフ・子供たちの保護者に対し指導する」という内容だった。配属先では初めての協力隊員だったこともあり、皆、日本人に会うのも初めてだった。慣れないスペイン語で説明しようとしても伝わらない。配属先の人々は日本から来た大島さんをみて「一体この日本人は何をしにここにやってきたんだろう」いう具合だった。
気持ちをきりかえた大島さんは、最初3ヶ月間、各教室を巡回し、子どもたちの様子や、どういった支援が必要かといった見極めに注力することにした。

貧困の影響で不足していた支援

作成した手作りの拘縮予防装具

食事の練習の様子

配属先を巡回・観察して「支援が圧倒的に足りていない」と感じた大島さん。姿勢保持が困難で授業中や食事の時間などに、効率的に活動できずに困っている肢体不自由の生徒たちのために、日常生活に必要な動きを自分自身で行えるようサポートするための福祉用具の制作を始めた。貧困地域では資材不足という課題があったが、モノづくりが好きだった大島さんはコスタリカで身近に手に入る廃材に注目した。牛乳パックや梱包材などの廃材を活かし、手の拘縮を予防する装具や、食事をサポートする自助具、授業中に姿勢を保つための姿勢補助具等を手作りした。そして、子どもたちにその使い方も指導し、一人で「食べる」「座る」の動作ができるようサポートを続けた。

大島さんは小学校低学年になってもおむつをつけている子どもたちのことも気になった。
「この子たちはいつまでおむつをつけているんだろう…」支援の必要性を感じた大島さんは、おむつを外すための声掛けや付添い、トイレに行けたらシールを貼るなどのちょっとしたアクティビティを取り入れたトレーニングを行った。子どもたち自身も一人でできた達成感を感じ、徐々にオムツは不要になっていった。

積み重なるコスタリカの人々からの信頼、全力で活動した日々

感覚統合療法のセラピーの場面

一緒に制作した折り紙アクセサリー

折り紙アクセサリーを売っているところ

校内バザーの様子

子どもたちの変化に、保護者からも喜びの声が聞こえ、先生たちも大島さんに対し徐々に信頼を寄せ始めた。大島さんの技術や知識を学ぼうとする先生たちの意欲的な姿勢が見えてきて、大島さんは嬉しかった。

ある時、校内で「感覚統合療法室」を立ち上げる話になり、校長先生から直々に「ぜひ、大島さんも一緒にやってほしい」と依頼された。大島さんは他の先生たちと協力し、感覚統合療法室の立ち上げに一から関わることになった。子どもたちが様々な感覚を養えるよう、どのような遊具をどのように設置するか話し合い、先生たちと共にマニュアル作りも行った。

さらに、大島さんは保護者であるお母さんたちのことが気になった。ほとんどのお母さんは子どもを学校に連れて、学校が終わるまでの間、自宅に帰らず学校の待合室でおしゃべりや携帯を見ながら過ごしている。自宅が遠く、交通費が負担、時間もかかるという理由があるからだ。せっかく時間があるならと、大島さんはお母さんたちから有志を募り、折り紙や身近なものを使ったアクセサリー作りの指導を行うことにした。完成したアクセサリーをお母さんらとフリーマーケットなどで販売するなど、少しでも家庭の支えになればという思いで取り組んだという。

予定していた活動の幅を超えて、現地の人たちが本当に必要としていることを自分自身で発見し、色々なことに挑戦し続けた大島さん。

【後半に続く】コスタリカで完全燃焼した大島さん、帰国後は、燃えつき症候群に…