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- TICADが広げた日本とアフリカの絆 深まるパートナーシップとその未来
藤本 勝
日本語版編集:北松克朗
(2019年、横浜で開催されたTICAD7に出席した参加各国の首脳)
シリーズ:アフリカの課題と可能性
2025 年8月に開催される第9回アフリカ開発会議(TICAD9)に先立ち、現在のアフリカが抱える様々な課題とその解決への動きを伝えるストーリーをシリーズでお届けします。アフリカ各地で支援に活躍する人々、彼らの幅広い活動や今後の可能性に光を当てるとともに、JICAが行っている協力についてもご紹介します。 今回はJICAがこれまでTICADで果たしてきた役割やその未来についてリポートします。
今年8月、「アフリカとの革新的な解決策の共創」をテーマに、日本が主導し、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、アフリカ連合委員会(AUC)が共催するTICAD9が横浜で開催される。今回の会合では、アフリカ開発をめぐる議論を再構築することを目指し、①若い活力で共創、②革新的解決策の追求、③国際協調の基盤強化、の3つのアプローチで、新たなアフリカ開発の課題解決に取り組む。
「人間の安全保障」の推進をめざす国際合意に基づき、JICAはアフリカに対する開発協力において「人間本位」の対応を重視し、一方的な援助ではなく、アフリカとの対等なパートナーシップの構築を目指している。
JICAのアフリカ支援は、産業開発、防災、公衆衛生といった分野において、日本やアジア地域での活動から得た教訓を共有するとともに、アフリカ各地のそれぞれの状況に合わせた持続可能な解決策をさまざまなパートナーと緊密に協力しながら、共に創り出していくことに重点を置いている。
アフリカ発展への日本のコミットメントを世界に示す
1993年に初めて開催されて以降、32年の歴史を経ているTICADは、冷戦終結後の世界で数多くの課題に取り組んできた。これまで、ほぼすべてのTICADに関わってきたJICAアフリカ部のシニアアドバイザーの吉澤啓さんは、こうした変化を身をもって経験してきた一人だ。
「振り返ってみると、ソ連崩壊後の世界は新しい状況になりつつあり、その中で、日本も新たな外交政策が迫られていた」と吉澤さんは語る。
その新しい政策とは国連外交、すなわち国連と緊密に協調しながら日本の国際協力を進めるという外交方針だった。
TICADがスタートした年、日本国内では政局が大きく動いていた。TICAD初会合(TICAD I)のわずか2か月前、1955年の保守合同以来、ほぼ一貫して続いてきた自民党単独政権が終わり、日本新党の細川護熙代表(当時)を首相とする連立政権が発足していた。
当時、通産省(現在の経済産業省)に出向していた吉澤さんは、省内でも数少ないアフリカ担当者の一人として、外務省が中心となって準備していたアフリカ開発会議の主催側職員として動員された。
日本は政局だけでなく外交面でも新しい波が起きていた。カンボジアにおける国連の平和維持活動(PKO)に参加するため、戦後初となる自衛隊の海外派遣が実現。のちにJICA理事長を務めた緒方貞子さんが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップに就任した。
そうした中で、TICAD Iが日本のアフリカへの確かなコミットメントを世界に示すイベントになった、と吉澤氏さんは言う。会議はアフリカの発展への支援を誓った「東京宣言」を採択し、閉幕した。
(1993年の第1回会合からTICADに関わっている吉澤啓さん/ 撮影:モリッツ・ブリンコフ)
日本外交の新たな局面を開いたTICAD
日本がTICAD Iの開催を決めたのは、アフリカの成長可能性を踏まえ、同地域と広範囲の関係を構築する必要があるとの認識が強まったからだ。「(それまでの)日本の外交は米国、欧州、アジアに重点が置かれ、アフリカはほぼゼロだった」と吉澤さん。日本の国連外交の一環として創設されたTICADには、国連の場でアフリカ54か国の支持を得て、日本の影響力を高めるという狙いもあった。
時を同じくして、アフリカも大きな変化を迎えていた。南アフリカはアパルトヘイト政策を廃止し、国際社会に復帰したばかりだった。日本は1992年に南アとの外交関係を回復したが、アフリカの大国である同国とだけ過度に関係を強化することを避け、大陸全体にわたる経済協力を通じて幅広く関与していく道を選択した。
その裏には、「日本はほかのアフリカ諸国を置き去りにして、おいしいところだけを取りに行く」とみなされ、反発が起きるのではとの懸念があったのだろう」と吉澤さんは振り返った。
アフリカ諸国の参加拡大、日本の財界も積極姿勢
1998年のTICAD IIでは、詳細な経済援助戦略である「東京行動計画」が発表され、UNDPが共催者に加わった。吉澤さんによると、TICAD参加への機運は徐々に高まり、2008年に横浜で開催されたTICAD IVで転換期を迎えたという。これにはJICA理事長に就任していた緒方貞子氏の存在が大きく、アフリカからは41の国々から国家元首や首脳代表者が出席した。
当時は食料価格高騰への対応が主要議題の一つとなり、サブサハラ・アフリカ地域におけるJICAによるコメ生産倍増10年計画や技術協力がTICADでのサイドイベントやセミナーでも大きく取り上げられた。
2013年のTICAD Vは新たな節目となった。アフリカ54か国のうち、3か国を除く全ての国から代表が出席し、うち39人は首脳級だった。議長を務めた安倍晋三首相(当時)は、ほぼ全ての出席国の代表者と会談した。JICAは約20のサイドイベントを開催し、教育、インフラ、農業、保健、水道などへの取り組みを紹介した。この会合は、TICADがアフリカ支援をめぐる国際的な議論を深める舞台として、その重要性を改めて示すものとなった。
一方、中国は同年、「一帯一路」構想を通じてアフリカにおける影響力を拡大し、アフリカ大陸全域に大規模なインフラ整備への資金援助を始めた。そうした中で、TICADはアフリカ諸国からはより頻繁な関与とより深い協力を求められ、TICADは5年ごとの開催から3年ごとに変更された。
日本とアフリカの協力関係の強化は、初めてアフリカの地で開催された2016年のTICAD VIで確認された。会場となったケニアの首都ナイロビにはアフリカ53カ国、国際機関、企業から約1万1000人が出席。日本からも財界代表を含む3000人以上が参加した。
現場のニーズを知るJICAの役割増す
TICADは外務省が主導しているが、JICAが担う役割は回を重ねるごとに大きくなっている。TICAD Vに当時学生ボランティアとして参加、2016年にJICA職員となってからはナイロビ開催のTICAD VIとチュニス開催のTICAD8に携わってきた山江海邦(みくに)さんは、TICAD会合でのセミナーやシンポジウムといったサイドイベントの重要性を強調する。
(JICAの強みは現場重視の姿勢と現地事務所の存在だと話す山江海邦さん/ 撮影:モリッツ・ブリンコフ)
「サイドイベントは、あらゆる分野の人たちが意見を交換できる貴重な場」と山江さんは位置付け、「本会合よりも開かれたサイドイベントならではの議論がある」と指摘。政府や民間、若者ら市民を巻き込んで意見交換を行うことが特に重要だとした。
山江さんは、JICAの強みが資金、技術協力や青年海外協力隊などの長年にわたる現場での活動とアフリカの政治、経済、文化などの状況(コンテクスト)の理解にある、と強調する。これらの経験やJICAの現地事務所の日々の業務は、JICAが現場のニーズに常に敏感であり続ける上で欠かせないものだ。
拡大するABEイニシアティブ、人材育成に大きな貢献
TICAD Vのさらなる重要な成果は、安倍首相が発表した「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ(ABEイニシアティブ)」という留学プログラムだ。これは当初、5年間で1000人のアフリカの若者を日本に招き、ビジネスおよび開発分野のリーダーとなる人材を育成することを目指した。同時に、日本企業でのインターンシップや日本企業の労働倫理を体験する機会を提供することで、日本とアフリカの企業間の架け橋となる人材の育成も目的だ。
2014年度に初の留学生156人を受け入れて以来、同プログラムはより幅広い人材育成のイニシアティブとして拡大。2025年現在、JICAは海外産業人材育成協会(AOTS)と連携し、昨年末までにアフリカから1887人の留学生を受け入れている。
TICAD9への期待 「将来につながるきっかけの場」に
今年8月のTICAD9が近づく中、JICAは日本とアフリカ両国における若者の参加促進に注力している。
JICA職員の笠原碩晃(ひろあき)さんはこのほど、横浜商業高校とルワンダのムハンガ教員養成校の生徒たちをつないだオンライン交流会を担当した。これは横浜市とNPO法人フォーラム2050が共催したイベントで、日本とアフリカ諸国の将来の関係強化を目指す取り組みの一環だ。
(若者や地方を巻き込んだ施策に注目してほしいという笠原碩晃さん/ 撮影:モリッツ・ブリンコフ)
JICAはまた、5月にユースキャンプを開催。札幌開成中等学校の生徒とアフリカからの留学生ら合わせて300人近くが参加し、交流。日本人生徒たちはアフリカについて学んだ。
笠原さんはまた、Youth TICADへの支援やTICAD9でのボランティアなど若者がアフリカに関心を寄せてもらうきっかけづくりに加え、日本の地域ぐるみの関わりを通して都市に限らず全国規模で幅広い世代がアフリカとの接点が拡大するよう期待している。例えば、山形県長井市や宮城県丸森町などは、文化交流や農業交流を通じて、既にアフリカのパートナーと有意義な関係を築いており、ユースキャンプは今後も地方への展開を進めていく。中学・高校生などの若者へのアプローチや、こうした地域とのつながりがTICADの長期的な影響を強め、日本とアフリカ双方を「共創」関係に引き上げると笠原さんは考える。
大学と大学院でTICADについて学び、JICA職員として今回最年少でTICADに関わることになった笠原さんは、「今度は主催者側に立てることに喜びを感じる」と語り、「TICADは将来につながるきっかけの場」として、実りある大会の実現に意欲を燃やしている。
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