『広島平和学習』参加研修員からのメッセージ

2020年6月22日

「広島平和学習」とは

広島国際会議場での講義「平和都市ヒロシマの歩み」

 JICA中国では2012年から、(公財)ひろしま国際センター(HIC)のご協力のもと、広島平和記念資料館・平和記念公園の見学と「平和都市ヒロシマの歩み」と題した、復興の道のりについての講義等を組み合わせた「広島平和学習」を実施しています。

 参加した研修員は、それぞれが、教育、エネルギー、農業等の専門分野を持つ行政官や教師で、これまで、約1,900名が参加しました。

 以下、本学習に参加し、「ヒロシマ」を五感で感じた研修員が残してくれたメッセージの一部をご紹介いたします。
 新型コロナウイルスが収束し、多くの研修員がヒロシマを体感できる日が再び訪れることを願っています。

研修員のメッセージ

平和記念資料館にて音声ガイドの配付

原爆の子の像

原爆ドームの説明を受ける研修員

≪原爆の非人道性≫
・核兵器とヒロシマについては学校で習ったことがあったが、今日の経験は非常に心を打つ、特別なものだった。
 核兵器は本当に残虐で、世界がもう二度とこの残虐さを知ることがないことを祈っている。
・とても印象的だった。歴史の中の悲惨な部分を知ることができた。
 石碑に刻まれていた、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」の言葉は忘れない。
 これは広島の精神だ。慰霊碑の前で心からのお悔みと祈りを被害者にささげた。
・学校や新聞・インターネット等で広島の事を知っていたが、実際に資料館を見学して大変ショックを受けた。
・とても衝撃的な経験だった。我々が歴史の授業で習った以上だった。
 涙を止められなかった。とても悲惨な出来事だと思う。
・広島平和記念公園は世界で原子爆弾が投下された場所の一つなので、行ってみたいと思っていました。
 しかし、資料館を見学すると見るものすべてが惨忍だった。彼らがどんな思いだったか想像することはできない。
 彼らはどうすべきだったのか?「水をください」という言葉だけを残しながら、彼らは何を考えていたのか?
・原爆投下後に広島が味わった苦しみはとても衝撃的なものだった。
 たくさんの人が原爆投下という出来事は知っているが,その重大さを理解している人は少ないかもしれない。
 ここを訪れたことで,第二次世界大戦の結末に対する私の見方が変わった。
・平和記念資料館は、1945年8月6日に何が起きたか、生きた情報を与えてくれた。
 本当にいかに平和が大切かを教えてくれた。
・破壊と苦しみの規模に圧倒された。
 しかし、悲劇から復興したことにより、世界中に、平和と共存の価値を気づかせる手助けをした日本人の強さにも
 同様に心を打たれた。
・私たちはお互いを思いやる必要がある。
 原爆の影響で、生き続けたかったのに死んでしまった折り鶴の少女の話に心を動かされた。
・広島の原爆の歴史はとても印象深かった。
 白血病で 12 歳の少女が亡くなった話を聞いたとき、涙が出た。安らかに眠ってください。

≪平和への願い≫
・原子爆弾の影響、核兵器の使用禁止、戦争に従事しないというメッセージを全世界に伝え広める事を継続すべき。
 「戦争を止めよう、未来の事を考えよう、子供たちの事を考えよう」
 私はこのメッセージを伝える一人になりましょう。
・今回の経験を通して、私は人々が平和な生活が取り戻せるよう、私ができる事は何でもしようという気持ちになった。
・平和について話す時はいつでも、広島の話をしようと思う。
・広島の写真を少しずつ各職場に置き、いつも思い出すようにしたい。
・私自身が平和の仲介人になりたい。
 もし何か機会があるなら、私に連絡をください。平和のために喜んでお手伝いします。
・平和記念公園を訪れて、戦争や核兵器に対する考え方が変わった。断固反対する。
・私にとって感情に訴える経験だった。私は違う考えや人生観を持った新しい人間になった。
・歴史的な場所で見聞きしたことは、私にとってよい経験になった。
 また、平和を構築し、平和を世界に広めた日本人の団結力に心を動かされた。
 平和の精神は人々の心に宿る。

≪教育・情報の共有≫
・私の職業(教師)を利用して、生徒たちと地域のコミュニティに
 「戦争では誰も勝つことがなく、全員が負ける」ということを教育したい。
・学校で生徒と一緒にピースクラブを立ち上げ、他の校長にも同じような活動をするよう働きかけたい。
・世界平和の運動をする。特に私の故郷で、生徒が私の運動を理解するために,世界平和について講義をしたいと思う。
 また、世界平和への署名運動を始めたい。
・とても感動的な経験だった。
 地元の市民、特に私の生徒に、1945年8月6日に何が起きたのか、正確に伝えて啓発しようと思う。
・子どもたちと一緒に世界平和についての運動を始めたい。
 次世代の彼らが、世界が平和でなければならないと知って成長することができるので。
・広島は原爆によって大きなダメージを受けたが、復讐の代わりに平和を求め、前向きに取り組んだ。
 その美しい姿勢を持ち帰りたい。
 私はできるだけ寛容になり、広島が経験したことを人々と共有したい。
・広島の歴史を知ったことは,私の人生に一石を投じた。家族や可能な限り全ての人に共有する。
 忘れられない経験をありがとう。
・平和についての情報を、私のコミュニティや国に広めたい。安価に手に入る折り鶴を使って、
 平和をもたらす手伝いを続ける。
・自分の国は内戦に苦しんでいる。
 特に禁止されている武器が使われたことで、出生異常やガンの問題が起きている。
 今回広島に来たことで、自国で活動している市民団体に、広島の人々の勇気を伝えたい。
 そして、今日資料館で見聞きしたことは、とても遺憾だった。
 これから祈りを捧げる際は、広島のことを思い出す。

≪復興について≫
・全ての痛みに耐え、戦争という悪魔を超越し、泣く事を止めて働いて新しく大変革を起こし、平和を築き他人を敬う。
 そのような日本人に私はとても感銘を受けた。
・私は本当に日本の人たちの態度に敬服しています。
 このような復興を実現するのはそう簡単なことではない。
 日本の人たちに神の祝福がありますように。
・私の印象では、平和を推進し国を再建する事に注力したことが、団結した国を作る近道になったと思う。
 日本人は逞しくなった。
 日本人は,第2次世界大戦中は不幸な状況だったが,最後には平和が何よりも最高のものと気づいた。
 この事は次の世代の為に如何にして人を許すか,愛するか,平和を維持するかという事を他の国へ教示している。
 こういう事で,日本は永遠に私の英雄国であり続ける。
・今日の「平和都市」広島が美しい街であるのは、広島の人々の努力と意志がもたらしたのだと分かり感動した。

≪日本・広島について≫
・広島のイメージは思っていたのと違っていた。
 今回広島は美しく平和なところだと判った。
・広島はとても居心地がよく平和な街だ。
 被爆の歴史があるにも拘らず、人々はとても優しく寛大だ。
・広島がこれほど発展した都市であること、そして、原爆の苦しみを味わったお年寄りの方々が
 平和な現在にとても幸せそうであることに感銘を受けた。
・日本人は平和について深い感情を抱いている。
 そして、彼らは他の国々に優しい。私は日本人が大好きだ。皆、私の家族。
 貴重な時間を、原爆での経験談を共有させてくれてありがとう。
・こんなに発展、開発が進んでいても、日本人がとても平和を愛していて、善良で、受容的で、誠実で、謙虚で、
 友好的だということが分かった。
・日本は美しい国だ、清潔で,この国にいる人はとても親切だ,沢山の人が日本人のそういう一面を知るべきだと思う。
 我が国に帰ったら,我々の国を構築する手助けをするよりも資源を摂取しようとしている人たちに伝えようと思う。
・私は他の国に復讐をする代わりに、広島の再建に力を注いだ日本人を敬服します。
 日本人は本当に世界平和を促進させていると思う。
・感動した。風景やイメージが物語のようで、とても忘れられない。
 資料館はとても混んでいて、最後までじっくり見ることができなかったので、もっと時間があったらよかったと思う。
 しかしながら、じかに広島の恐怖を見る機会を与えられたことに深く感謝するとともに、
 たくさんの人が殺された町を再建した日本人や被爆者を誇りに思う。
・若い学生を資料館に連れてきて、若い時期に歴史と愛を教えている日本の文化が印象深かった。
・日本の歴史、特に広島の原爆は悲惨で胸が張り裂けるようだ。
 日本の文化と規律を尊敬する。私にとって日本は、誰が訪れても一番の国だと思う。
 あなたたちの文化を体験し、知る機会をありがとう。
・平和公園は、不運な攻撃の記録を保存する大きな努力をし,将来それが再び起こるのを防ぐ手段になっていると思う。
 関係者は素晴らしい仕事をしている。
・広島の話にはとても驚いた。歴史の本で読んだ事よりずっと沢山の事を学んだ。
・広島の過去から、戦争と核兵器がどれだけ人々に影響を与えるのかを知った。
 その一方で、現在の広島の姿を見て、過去にどんな悲しみがあっても、より良く、より平和な世界が築けることを
 信じられるようになった。