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【実施報告:広島県東広島市】2025年度第1回JICA留学生と話すHIROSHIMAピーストーク ”アフリカの奇跡” ルワンダ 記憶と共にあゆむ

#16 平和と公正をすべての人に
SDGs

2025.11.20

テオさんと参加者 イベント終了後も、多くの質問に答えました。

「千の丘の国」ルワンダのテオさん

2025年9月6日(土)、ひろしま国際プラザで「JICA留学生と話すHIROSHIMAピーストーク ”アフリカの奇跡” ルワンダ 記憶と共にあゆむ」を開催しました。母国で紛争などを経験したJICA留学生がゲストスピーカーとなり、市民の皆様に、留学生の出身国の紹介と合わせて、自身の経験を話し、みんなで平和について考えるイベントです。
今回の講師は、ルワンダ出身のテオさん。ルワンダでは教育省で情報技術(IT)教育を担当しています。「日本で若い人たちと交流するのが楽しいんだ」と話すテオさんは、自国では「ITの先生の先生」という立場から、直接関わるのは大人が多かったとのこと。2023年に来日し、これまで、広島県内の学校訪問などのイベントで高校生とのふれあいなどを嬉しそうに紹介しました。ルワンダの国紹介では、観光の見どころについてふれました。「千の丘の国」と呼ばれ、豊かな自然に囲まれたルワンダ。「1年に1度、ゴリラに名前を付けるセレモニーが開催されます。ちょうど、昨日でしたよ!」と紹介。それだけゴリラが国民に愛されているということでしょう。赤ちゃんゴリラの命名は、何百年も前からのルワンダの伝統とのこと。ルワンダの楽しいイベントを知って、みなさん嬉しそうでした。

ルワンダのジェノサイド

ルワンダの楽しいイベント紹介の後は、ルワンダで1994年に起こったツチ族に対する大虐殺(ジェノサイド)についての話です。当時のフツ族の過激派がツチ族を襲撃。約100日で100万人もの人が亡くなったのです。殺害する人のリストも作成されていたそうです。
ルワンダにはもともと、いくつかの民族がありましたが、言葉や宗教は同じで、違う民族同士での結婚も盛んに行われていました。しかし植民地支配により社会階層に基づいて人工的に区別されるようになり、独立後、フツ族が政権を握り、ツチ族への迫害が始まりました。当時8歳だったテオさんも、コンゴ民主共和国との国境にあるキブ湖に、遺体がたくさんあるのを目にしたそうです。「幼かったため、誰がなぜ殺したのか、全く分かりませんでした。」テオさんの言葉に、会場が静まりました。テオさんの呼びかけで、亡くなった大勢の方を思い、全員による黙とうが捧げられました。

ワークショップでの意見交換

少しの休憩をはさんで、RPF(ルワンダ愛国戦線)によってジェノサイドを終結させたルワンダが、様々な方法で紛争解決に動いたことが紹介されました。200か所以上もの追悼施設を建設。次に、テオさんが自身のIDカードを見せてくれ、以前のものと比較し、「前は、どの民族かを示す欄がありましたが、その記載がなくなりました」と解説しました。
また、紛争後の復興には、女性の活躍が不可欠でした。ルワンダは、現在、世界で最も女性議員比率が高い国となっていて、国会議員の6割以上が女性です。「ルワンダの女性は素晴らしい!」と、テオさんが胸を張りました。最後に、「ガチャチャ裁判」を取材した動画を見ました。紛争中の犯罪が多く、通常の裁判では100年かかると言われたほど。しかし、ルワンダで古くからある調停のシステム「ガチャチャ」(キニアルワンダ語で芝生の意味。青空の下で行われたことから。)を応用し、選ばれた市民が「ガチャチャ裁判」を執り行うことで、迅速な解決、その後の発展につながったのでした。
ワークショップでは、平和のために、個人として何ができるかについて考えました。グループでの話し合いから「紛争になる前に、対話が大事。未然防止が不可欠」との意見についで、若い人のグループからは「負の記憶が消えないように、語り継いでいく」と心強いメッセージ。テオさんは、皆さんに伝えたかったことがきちんと伝わって、安心した様子でした。
イベントに参加してくださった皆さま、そしてご協力いただいたテオさん、ありがとうございました。まもなくルワンダに帰国するテオさん。今回のイベントをはじめ、日本での素敵な経験や思い出がたくさんできていたら嬉しいです。

ジェノサイドで亡くなられた方に黙とうが捧げられました。

ワークショップで出た意見を聞くテオさん

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