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JICA海外協力隊インタビュー企画「世界のセンパイに聞いてみた!~JICA海外協力隊のホンネ10連発~」第1弾!

 JICA海外協力隊員のリアルなホンネを、学生インタビュアーがご紹介!
 第1弾は、鹿児島大学在籍中の西原さんが、現在フィリピンで活動中の坂元隊員から、活動の内容や、生きる上でのエッセンスをお聞きしました。

<インタビュー 第1弾>
JICA海外協力隊員:坂元隊員(派遣国:フィリピン、職種:防災・災害対策)
インタビュアー・編集:西原さん(鹿児島大学)

【フィリピンで“防災教育”に取り組んでいる坂元隊員。~何があってもAlways Smiling !世のため、人のために動く男~】
 JICA海外協力隊としては、2度目の活動中の坂元さん。きっかけは、日置市役所の総務課防災係で働いていた頃。「災害対応の知見を広げたい」「自分には何ができるか」と考え、現在カリボ(Kalibo)という町で、防災の大切さを伝えています。今回、現地でのリアルな体験についてお話を伺いました!

【日本人はカリボタウンにただ1人!?現地人負けなしの親しみやすさが武器】
 カリボは、マニラから直線距離で南へ約350㎞。人口は、9万5千人。坂元さんは、この町で、防災に関するワークショップを開催したり、発災時の災害対応を行ったりと、現地の人々との繋がりを大切にしながら活動しています。
ワークショップでは、現地の方と一緒にBOKOMIというトレーニングを行っているそうです。読者の皆さん、BOKOMIとは一体何でしょう?正解は、、、「防災福祉コミュニティ」の略でBOKOMIです。まさか、フィリピンで日本語が使われているなんて驚きです。このお写真にも、BOKOMIの文字が見えますね!災害が発生しても、カリボの町の住民が主体となり、自助・共助のまちづくりを行うために、防災の大切さを丁寧に伝えているのです。机上の空論で終わらせないのが、坂元さんの活動だと言えます。というのも、1964年から2023年のフィリピンの災害数を、全世界と比較すると、約4.4%の災害がフィリピンで発生していると言われています。だからこそ、坂元さんの活動は、一人でも多くの命を守るために、非常に重要だと分かります。
他方で、苦労したこともあるそうです。それは、「言語の壁」。フィリピンには約180の言語があると言われていますが、このカリボという町では、「アクラノン語」が話されているそうです。現地の言葉を学ぶことに日々奮闘されている坂元さんですが、それ以上に、心優しい現地の方々との交流で笑顔が絶えないと話されていました。

【ミリエンダ文化×ワークショップ=笑顔】
 ここで、今回の取材で特に印象的だったエピソードを一つお話しします。それは、ミリエンダという文化がワークショップに根付いているということです。
「ミリエンダ」。私自身、初めて耳にした言葉でした。このミリエンダとは、フィリピンでの一般的な習慣で、「軽食」を意味します。調べてみると、ミリエンダは、家族や友人、職場の人々と一緒に、おやつを食べながら楽しむものだとか。実際、坂元さんも、日頃のミーティングやワークショップで10時(AMスナック)や15時(PMスナック)に、フライドチキンやサンドイッチが提供されたと言います。最初は、1日のワークショップを予定していましたが、「いや、2日!ご飯を食べなきゃいけない。」という同僚の言葉を不思議に思いながらも、2日間開催したワークショップ。しかし、楽しく軽食を食べながら坂元さんのワークショップに参加されている現地の方々を見て、「守りたいのは、彼らの日常や笑顔なのかもしれない」と感じ、心に残った体験の一つだと仰っていました。このように、活動の中でも、日本にはない異文化との出会いを通して、さまざまな気づきや幸せを感じています。

【The sky is the limit, The key is you
日本人は坂元さんただ一人という異国の地で、防災活動に向き合っている姿が大変輝いて見えました。若者に向けたメッセージとして、以下の言葉をいただきました。“The Sky is the limit. The key is you-connecting with the world!!”(皆さんの可能性は無限大です。世界の扉を開く鍵はあなた自身!!) 
ふと空を見上げてみると、その空に濁りはなく、鮮やかな青色で、どこまでも広がっているのです。そして、切り開くための鍵は、意外にも自分の近くに在ると、私はこの言葉から感じました。坂元さんが、坂元さん自身の鍵で開いた扉は、どこまでも続いていて、「世のため、人のため」に歩んでいることが分かりました。

私がインタビューしました!

<インタビュアープロフィール>
・西原来海
・鹿児島大学法文学部、3年
・英語が一番苦手だった私ですが、今では英語コミュニケーションを学び、国際交流を楽しんでいます!将来は、「人とのつながり」を大切に、社会のできごとや人々の喜怒哀楽に寄り添う“伝え手”になりたいです。