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- 第37報 教師海外研修から開かれたマイワールド
北海道札幌聾学校 松村 秀明先生
海外の聾者との出会い ― ザンビアでの衝撃体験
チャイナマ特別支援学校で、先生がアメリカ手話で自己紹介する様子
高校時代、私はアメリカ・ニューメキシコ州アルバカーキに1年間留学し、そこで出会ったヒスパニックの友人たちの陽気さに魅かれてスペイン語を学び始めました。大学でもラテンアメリカ研究会に入り、スペイン語の勉強を続け、さらにボリビアの大学へ1年間の交換留学を経験しました。
卒業後はそのままボリビアの企業に就職し、通関の仕事に携わりながら永住権を取得して13年間現地で生活しました。
その後、東日本大震災を機に故郷・札幌へ戻る決意をし、41歳で教育実習へ。思い切って受けた採用試験に合格し、帯広養護学校での勤務を経て、現在は札幌聾学校で教員として働いています。
そして、聾学校の教員として踏み出した海外研修。それが、まさかのザンビアでした。「アフリカ=サバンナ」のイメージを抱えて降り立った私を迎えたのは、想像を軽く裏切る近代都市ルサカ。まずそこで度肝を抜かれ、さらに追い打ちをかけるように、特別支援学校で聴覚障害の先生と子どもたちに出会い、二度目の衝撃。
彼らが使うのはアメリカ手話。私が知っている日本の手話とは、同じ“手話”でもまるで別の言語。
それでも不思議なもので、「伝えたい!」「分かりたい!」という気持ちさえあれば、なんとなく通じてしまう。
言語の違いよりも、まず“気持ち”が大事なんだと気づかされました。
帰国後に調べてみると、ザンビアは歴史的にイギリスの影響を受けているのに、なぜかイギリス手話ではなくアメリカ手話が主流。その理由は、アフリカ聾教育の父と呼ばれるアメリカ人アンドリュー・フォスターの存在でした。世界は広い、そして手話の世界もまた奥深い。
子どもたちに還元 ― ザンビアを教室へ
「ザンビア」の手話表現を確認中
私が勤務する学校では、日本とザンビアの文化的な違いに興味をもてるよう、カラスの種類やスーパー、ケンタッキーの店内など、両国の生活に関する写真を用意し、「どっちがザンビア?どっちが日本?」というクイズ形式で紹介しました。子どもたちは写真の違いに驚きながら、楽しんで学ぶ姿が見られました。さらに、ザンビアの聴覚障害の子どもたちが手話で授業を受けている写真を提示すると、日本の子どもたちは「同じだ!」と共通点に気づき、ぐっと親近感を深めていました。
また、ザンビアのチャイナマ特別支援学校の先生や子どもたちから届いたメッセージ動画では、日本の手話と似ている表現・異なる表現を見つけて大盛り上がり。世界の手話を知ることは、世界に友だちを作れるんだと実感してくれたようです。
東京デフリンピック2025 ― 世界がつながる瞬間
デフリンピック陸上会場にて、台湾チームのコーチと。
聴覚障がい者、聾者のオリンピックである「デフリンピック」。その100周年の節目となるビッグイベントが昨年、東京で初めて開催されました。
北海道から日本代表として出場した同僚や友人を応援しに行き、世界中の聾者がそれぞれの手話でコミュニケーションを取る姿に胸が熱くなりました。
授業でもデフリンピックを取り上げ、「世界にはこんなに多様な手話があるんだよ」「聾者の国際大会があるんだよ」と伝えることで、子どもたちの視野がぐっと広がっていきました。何よりも言語を超え、「通じ合おうとする気持ち」が大切なことを訴えました。
世界のろう者と日本をつなぐ“橋渡し役”へ!
タイからの聾者を札幌で観光案内
教師海外研修をきっかけに、私はアメリカ手話や国際手話を学び始め、海外の聾者と交流する機会が増えました。
最近では、タイから旅行に来た聾者の札幌での観光案内をしたり、JICA海外協力隊として活躍した廣瀬めいさんが設立した世界の聾者への支援を行っているNGO団体「YES DEAF CAN」に入会したりと、活動の幅がどんどん広がっています。
今後、ドミニカ共和国の聾者支援にも関わり、私の得意なスペイン語と手話をフル活用してボランティアをする予定です。
そして、こうした経験を子どもたちに還元することこそ、聾学校教員としての私の使命だと感じています。来春からは、専門的な知識を深めるために大学院へ進学することが決まりました。「障害と開発」をテーマに、開発学を本格的に学んでいきます。アラフィフの私の挑戦は、これからも続いていきます。