【地域連携】多様な価値観の交流が地域の未来をつくる/JICAが取り組む「国際協力を通じた地域づくり」
2023.04.10
「国際協力」や「JICA」と聞いて、途上国をはじめとする諸外国との関わりを思い浮かべる方も多いかもしれません。しかしJICAはその歴史の中で、日本の各地域とも深く結びついてきました。
JICA海外協力隊では、1965年の設立当初から中央だけでなく地方の優秀な人材を数多く採用し、海外での活躍を後押ししてきました。そして、その人材が地域に戻って活躍する「社会還元」についても積極的に推進しています。
また、自国の発展を目指す国々に日本の技術や経験を伝える研修事業でも、地方の力は欠かせません。
東北でいえば福島県郡山市の安積疏水における大規模灌漑事業、岩手県旧沢内村での全国最初の乳児死亡率ゼロ達成を支えた地域の在り方、秋田の鉱山開発の経験などが有名ですが、そうした日本各地の多様なコンテンツが世界各国の課題解決に示唆を与え続けてきたのです。
福島県郡山市の安積疏水における大規模灌漑事業を学ぶJICA留学生たち。東北各地の大学で専門知識を学ぶと共に、自国の国づくりのために東北の開発経験も学んでいる。
日新館で会津藩が力を注いだ人材育成についてJICA留学生が学ぶ様子
世界有数の渋滞都市バンコク(タイ)。都市と地方の所得格差が大きいこともあり、バンコクへの1極集中問題は長くタイ当局においても政策課題として認識されている。(写真提供:久野 真一)
一方、現在日本が抱える課題にも、他の国々との共通項を見いだすことができます。
例えば人口減少。一見すると右肩上がりの成長を続ける新興国でも、人口増加が都市部に集中する反面、地方ではむしろ人口流出が進み、必要な人材が不足しているというケースも少なくありません。
さらには気候変動も加わり世界中で頻発する自然災害や、今後各国が日本の現状を追体験するであろう少子化・高齢化・人口減少社会と、数々の共通課題を前にして、国際的な協力体制の構築がますます求められています。その中で、JICAは今また新たな形で地域との結びつきを深めようとしています。
「地域なくしてJICAは成り立たない」。こう語るのはJICA東北で地域連携推進を担う森谷裕司地域連携参事です。
「ボランティア事業や技術協力は、地域のリソースがあってはじめて成立するものです。国際協力事業を推進するためにも、JICAは日本国内の地域に支持され、愛される存在でなければなりません。では、逆にJICAは地域にどのように貢献できるのか。
キーワードは“人と情報の往来”です。人や情報が行き交うということは、第三者の視点が入るということ。外からの問いかけと対話が生みだす新しい発想や価値の再発見は、多様性を持ち込むことにもなり、地域活性化の重要な鍵となります。知識の共創ともいえるでしょう。同質のものが単純に縮小するのではなく、縮小しながらも意識して多様性は豊かにしていく。そうすれば以前よりしなやかで強い地域になっていくかもしれない。そこに、国際協力事業を通じて、国境を超えて人や地域をつないできたJICAが果たせる独自の役割があるのではないかと考えています」
課題別研修で、大学生の語り部がJICA研修員に東日本大震災の経験を伝える様子
JICAと地域の歩みを振り返ると、90年代に急速に進んだ情報化に伴うグローバリゼーションの進展や、阪神・淡路大震災を機とするボランティア元年の到来、2003年の国際協力機構法の成立も転換期となり、その連携を深化させてきました。2014年に政府が打ち出した「地方創生」の方針もまた転換点の一つ。この当時、東北は2011年の東日本大震災からの復興の最中にいました。
インドネシアのバンダ・アチェ市から東松島市に訪問した研修員。東松島市の漁師から漁業を学ぶ
東松島の夏祭りをボランティアとして手伝うJICA留学生
東日本大震災では、発災直後から相当数のJICA関係の人材が被災地に入り、支援活動を行ってきました。そこでわかったのは、海外で経験を積んだJICAの人材がさまざまな形で地域に貢献できるということ。被災地域とのご縁を深めながらJICAは、2014年からの政府による地方創生の動きも受け、被災地での新しいまちづくりの経験を生かして、地域とともに実施する国際協力をさらに推進するようになっていきました。
代表例の一つが、宮城県東松島市との連携です。東松島市には2011年からの約10年間『地域復興推進員』として海外協力隊経験者等がJICAから派遣され、震災以前より市民協働を進めてきた同市の地域自治に参加し、第三者視点を生かしてまちづくりを支援しました。
さらに特筆すべきなのは、“復興支援”から始まった連携が“国際協力”にまで発展したことです。
スマトラ沖大地震・津波災害の被災地であるインドネシアのバンダ・アチェ市との相互復興をはじめ、災害復興に取り組む各国の自治体や研修員との間に生まれた交流は、地域にさまざまな刺激や多様な価値観をもたらしました。
2022年、JICAが新たな地域連携を目指してスタートしたのが『JICA海外協力隊グローカルプログラム』(以下GP)。
JICA海外協力隊員が派遣前に国内の見知らぬ土地に飛び込み、住民とコミュケーションを取りながら、地域課題や住民のニーズを理解し、自分が貢献できそうな地域の活性化策に具体的に取り組むという地域実習です。この試みは、協力隊の赴任国での活動にあたって日本の地域での取り組みから大いに示唆を得られるとともに、逆に帰国後はその経験が日本の地域づくりにも役立つとの経験・気づきから生まれました。
グローカルプログラムを通じて、陸前高田市で活動した中里さんが地域のイベントでも活躍
グローカルプログラムを通じて、陸前高田市で活動した中里さんがイベントの為に農家の方に野菜へのこだわりを聞き取りしている様子
東北でのGP第1期で受け入れ自治体となったのは、東日本大震災復興支援を通じてJICAがご縁をいだだき信頼関係を築く中、「復興」から「地域課題解決」へと舵を切り挑戦する三陸地方の自治体でした。
岩手県陸前高田市で3カ月を過ごした中里大介さんは、まちづくりの企画運営を手掛けるまちづくり企業のスタッフとして、産直品の魅力発信やマーケットの開催など復興後のまちを盛り上げる活動を実施。現在は協力隊員として赴任中のマダガスカルから、GPによる地域実習を途上国での活動にどのように生かそうとしているかを陸前高田市の人たちに伝えるなどして、地域とのつながりを持ち続けようとしています。
森谷地域連携参事は、この試みのさらなる進展を目指し、こう話します。
「GPは地域とJICAとの連携の発火点です。国際協力事業を通じてJICAが地域でできることは、人と情報の往来を作ること。この往来は、地域に“よそ者”視点からの問いかけをもたらします。
対話を通して自らが考えることで、地域の未来づくりに関する気づきが生まれる可能性もあるでしょう。自分たちのことは自分たちで考えて選択していく。問いかけと対話は地域と外とをつなぐ生命線だと言う方もいます。
海外からの研修員を地域で受け入れてもらう際にも、単に技術を伝えるだけでなく、受け入れていただいた地域にとっても貴重な学びの場、知識共創の場になることを期待しています。自国で行政官などを務めるJICA研修員は優秀で知見も豊富。研修員たちが投げかける思いがけない疑問や意見に、ハッとさせられることも多いのです。問いかけの中で気づきを得て、新しい考えが生まれる。こうしたプロセスが生み出すアイデアに価値を感じ、地域で積極的に活用しようと考える自治体も出てきています。われわれJICA職員も問いかけて対話する力をさらに磨いていかなくてはなりません」
岩手県大槌町で地域の方とお団子作りを行うイラク研修員。災害リスクエリアにおける地域活性化について岩手の事例から学んだ。
森谷地域連携参事は、今後の取り組みとして、三陸地方との連携をさらに深めながら、地域連携を東北6県に広げていくことを目指しています。とりわけ復興への長い道のりを余儀なくされている福島においては、その現状や事実を諸外国に発信することだけでも大きな意味があると言います。
「地方のJICA拠点が地域の方々と一緒に日々丁寧に実行している個々の案件の積み重ねは、地域とJICAとの信頼の基盤となっています。今後は少し視点を変えた中長期的な地域との関係構築・強化の中で、東北6県の魅力や価値をさらに掘り起こし、東北全体を盛り上げることを追い求めたい。それがまた途上国現場での質の高い事業の実施にもつながっていくはず」との言葉に、地域に拠点を置くJICA東北センターとしての強い思いがにじみます。
秋田県五城目町で関係者から話を聞く森谷地域連携参事(右から2番目)
現在、次の連携に向けて調整を進めているのは、少子化・高齢化・人口減少社会における新たな地域づくりの試みで注目される秋田県五城目町です。高齢者人口が5割に迫る地域の現状を「たくさんの大人の手で、一人ひとりの子どもの面倒を手厚く見られる社会」と捉える五城目の人たちの逆転の発想に、森谷地域連携参事は大きな刺激を受けたそう。
「国内・海外問わず、人と情報の往来が生む新たな視点を原動力に、その土地の暮らしを、そこで暮らす人たちのやり方でよりよくしていく。それこそがJICAの役割であり、境界線を意識しないJICAだからこそできる地域づくり支援なのだと考えています」。
そう話す森谷地域参事が見据える先には、日本であれ途上国であれ、自分たちの地域づくりを諦めない人たちによる、それぞれの地域の希望ある未来が広がっているように感じます。
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