【地域理解プログラム】秋田県大潟村 八郎潟干拓事業/日本における大規模農業経営のパイオニアとしての歩み
2025.10.29
地域理解プログラムは、日本の大学院に在籍するJICA長期研修員を対象に、日本の郷土史や開発経験を学ぶ機会を提供しています。各地域に根差した開発事例を題材とし、開発の歴史や、開発を通じて培われてきた地域特有の技術などを学び、その開発過程での多様な関係者による協働体制や経緯を理解するとともに、留学生自身の研究活動とその地域における開発経験との繋がりを探ることで、母国の開発に活かすことを目的としています。今回は、国家事業として進められた秋田県の八郎潟干拓の歴史と現在の発展を学びました。
このプログラムでは、日本の各地域で特色のあるスタディツアーを企画し、参加希望者を募りますが、毎回多数の応募者がいます。
今回の舞台は、秋田県の北西に位置する大潟村。かつて琵琶湖に次いで日本で2番目に大きな湖だった八郎潟を干拓してできた大潟村の発展を学びます。2025年9月12日の朝、秋田駅に集合したのは秋田大学、東北大学、弘前大学に留学中のJICA研修員8名です。
地元秋田、青森、宮城から8名の研修員が集まりました。
最深部でも4〜5mと非常に浅い湖だった八郎潟。洪水が多発しやすい反面、肥沃な粘土質土壌で、かつ平坦で干拓に適した条件を満たしていたことなどから江戸時代から何度も干拓事業(開発)の検討がなされました。しかしながら、財政やその他の事情により長らく実施には至りませんでした。そうした状況が太平洋戦争を境に一変。戦後の爆発的な人口増加に伴い、食糧を供給する農地の不足によって事業化が決まりました。1956年(昭和31年)にようやくオランダの技術協力を得て干拓事業計画を策定し、着工に至りました。以来20年のあまりの歳月と総工費852億円をかけて、20世紀最大といわれる土木工事が行われたのです。
土木工事が進んだ8年後の1964年(昭和39年)、大潟村は秋田県の新設の自治体として登録され、陸地は農地として活用されはじめました。移住者を日本全国から募り、厳しい審査によって選抜された589名が初回の入植者となりました。入植者は日本農業のモデルとなるような生産および所得水準の高い農業経営を確立し、豊かで住みよい近代的な農村社会をつくることを担い、パイオニアとして日本の農業をリードしました。
干拓前の八郎潟。(大潟村干拓博物館展示物より)
干拓工事中の八郎潟。堤防に囲まれた干拓地が農地として運用されていることがわかります。(大潟村干拓博物館展示物より)
今回のツアーでは、まず男鹿半島の眺望に優れた寒風山(355m)に向かいました。山頂の展望台からは大潟村が一望でき、その圧倒的な規模感を体感できます。そして大潟村役場で村長を表敬訪問し、激励を受けた後、大潟村の歴史を学ぶために大潟村干拓博物館へ。青年海外協力隊 秋田OB会名誉会長で元JICA農業専門家でもある松橋秀男さんが講師を務め、この地で行われた農業がいかに先進的であったか、また理想的な農家生活環境のため、高度な農業経営と日常生活の両立を目指したまちづくりが計画されたことなどをお話ししていただきました。
その後は、海抜0mにある日本一低い人工の山である大潟富士を登ったり、同地に伝わる民話の情景を表した田んぼアートを見学したりして、地域資源を活かした観光の取り組みを学びました。ツアーの最後は、地域のお寺で日本文化を体験。青年海外協力隊員やJICAスタッフとして2つの国での活動経験を持つ盛医山東谷寺常福院の久米達哉住職の案内により、仏教の講話をお聞きするとともに、書道体験などを行いました。
寒風山:寒風山からの眺望はすばらしく、360°を一望できます。
大潟村干拓博物館…維持管理するための様々な施設についても学びました
大潟村干拓博物館…展示から泥の粘度が強く、耕作に苦労した様子もわかります。
大潟富士:たった4mほどの人工の山ですが、大潟村のランドマークになっています。
大学での研究生活とは異なり、日本で拠点を置いているその地域・土地の歴史を深く紐解く1日に、充実した笑顔を見せていた研修員たち。「大潟村では、土地改良を通じた農業と日本文化の両方を学ぶ機会を得ました。農業従事者を厳しく選抜し継続して農業研修を行うなど、土地利用によって持続的に利益が得られることを非常に重視している点が印象的でした。これには慎重かつ包括的な計画が必要だと思った」といった感想や、「大潟村の高橋村長からのお話によって、地域活性化における自治体のリーダーシップについて知見を得ることができました。村の生産性を維持するためには、長期的な計画立案、強固な制度的枠組み、そして協調的な取り組みが重要であることを学んだ」という声がありました。
また、「田んぼアートのような取り組みが若者の農業への関心を喚起する様子に感銘を受けました。この手法は、農業分野の活性化に課題を抱える発展途上国にとっても意義深いものとなり得ます」という気づきや、「『大潟富士』には日本の最高峰・富士山を象徴した名前が付けられており、平坦な農地景観においても人工的なランドマークが文化的・娯楽的・方位指標的機能を果たしており、大変興味深かった」と、驚きの声もありました。さらに、「お寺では参拝の仕方や、お寺が行う多様な活動についても学びました。お寺は地域の人々に親しまれ、人々の生活の中で重要な役割を果たしていることがわかった」との感想も。
本プログラムをコーディネートしたJICA東北の小畑永彦職員は、「忙しい研究生活の合間に自ら参加を決めた研修員たちは、優れた洞察力で大変熱心に視察し、活発に質問をしていました。今回の学びが、いつか彼らの母国の開発の一助になれば幸いです」と、未来を担う研修員たちの真剣な眼差しに期待を寄せます。
田んぼアート:緻密に計算して植えられた田んぼアートに驚いていました
常福院:地域の人々にとってのお寺の役割について講話がありました
scroll