【防災・復興支援事業】【東日本大震災から15年】東松島市の取り組みから知る国際協力|復興の過程で生まれた地域と海外の新たな絆
2026.03.10
この3月で、2011年3月11日に発生した東日本大震災から15年を数えます。東北では、東日本大震災を契機に時系列を示す言葉として「震災前」「震災後」が頻繁に使われるようになりました。震災後、東北では、まちの大きさや形、人の住まいや暮らし方、産業や経済、防災への備え、災害支援のあり方など、あらゆるものが変化しました。被災した自治体が『よりよい復興』を目指し、新しいまちづくりを行うプロセスは、同様の課題を持つ世界中の人々へ共有すべき先進的な知見となりました。国際協力が加速した震災復興の15年の歩みを、宮城県東松島市の取り組みを軸にお伝えします。
いま世界では、気候変動の影響で自然災害が増加し、多くの人が被害を受けています。感染症の不安もなくなったわけではなく、各地で武力紛争も続きます。私たちは、いくつもの問題が同時に起きる厳しい時代を生きていると言えます。こうした複雑で複合的な危機に立ち向かうには、国と国が協力し合う国際協力が欠かせません。
2011年3月11日、東日本大震災が起きたあの日、東北地方では多くの人々がこれまでに経験したことのない不安と恐怖の中にいました。東松島市の復興政策部の職員である宮崎一朗さんもその一人です。庁舎で大きな揺れを感じた後、津波の被害報告、遺体安置所となった体育館に次々と遺体が運ばれてくる事態に「大変なことになった」と、現実感の乏しいなか目の前の緊急対応に必死に取り掛かりました。
宮崎さんのインタビュー
JICA東北市民参加協力課課長の伊藤教之は当時、パプアニューギニアに赴任しており、日本の被害を海外から見ていました。「現地では『日本は大丈夫なのか、支援したい』と多くの方が申し出てくれました。JICAの各在外拠点でも同様の事象が生じていたと聞いています」と当時を振り返り、「東日本大震災で日本へ、206の国と地域・機関が支援意図を表明し、そのうち24の国と地域・国際機関からは救助や専門家チームを派遣していただきました。この数字は世界のほぼ全ての国・地域が支援してくれたことを表しています。災害支援としては世界でも最大規模であり、日本がこれまでに行ってきた相手に寄り添う国際協力が影響しているのでは」と続けます。
東松島市では、津波による被害が甚大で、全世帯の約73%に上る11,073棟に半壊以上の被害が生じ、当時の市民約43,000人のうち、死者1,110名、行方不明者23名、避難者は一時最大で15,000人を超えました。大きな被害の中で復興の道しるべとなったのは、ただ元に戻すのではなく、持続的に発展する魅力的なまちづくりを目指す復興方針でした。これは、のちに復興をきっかけに強靭なまちづくりを目指す“Build Back Better”として2015年3月に仙台市で開催された『第3回国連防災世界会議』で提唱される考え方です。
東松島市の復興の特徴について、宮崎さんは語ります。「私たちのまちでは、震災前から自治協働のまちづくり意識が根付いていました。8つの自治組織が存在し、行政と地域が役割を分担して、『地域のことはなるべく地域で決めよう』という意識が定着しつつありました。震災直後も自治組織が避難所を運営し、内陸部の自治組織が沿岸部を共助することができました」
東松島市の住民合意形成のプロセス
自治協働があったからこそ、東松島市の集団移転も迅速に完遂しました。沿岸部の集落の集団移転では、復興まちづくりを目指す自治組織が中心となって対話や丁寧なコミュニケーションを図りました。他の自治体では集落ごとに行政が決めた移転地への集団移転が進められましたが、東松島市では、世帯単位で複数の移転地から移転先を選ぶ自由度の高い方針とすることにしました。選択制を取り入れたことで複雑化しやすい意見の取りまとめも、自治組織の調整によってスムーズに進みました。
さらに、東松島方式と呼ばれる震災がれき処理でも大きな成果がありました。職を失った市民約800名を雇用し、がれきごみの分別を徹底して手作業で行いました。分別は19品目にのぼりましたが、全体の約97%をリサイクルすることで、処理費用を大幅に削減することができました。これは、東日本大震災の8年前に起こった宮城北部地震での反省を活かし、あらかじめ市が東松島市建設業協会とがれき処理等に関する協定を結び、官民が連携して取り組んだことが奏功したと全国でも高く評価されています。
また、その経験を世界と共有するために、東松島市はJICAを通じて開発途上国の政府職員、NGO職員を研修員として受け入れています。
「環境未来都市」構想推進セミナーでラオスなど 21ケ国47名が東松島市を訪問
JICA東北では、震災から約2週間後、青年海外協力隊の隊員複数名を東松島市の避難所運営のボランティアとして派遣しました。その後も地域復興推進員を派遣し、被災状況を把握しながらそのプロセスを海外に発信できる体制をつくるとともに、復興まちづくりへの協力や国際協力を通じた地域振興の取り組みを続けました。
そして2015年、JICAと東松島市はさらなる協力と連携を目指し、戦略的合意文書を結びました。東松島市の持つ復興や防災の知見を、自然災害や戦禍によって復旧・復興を必要とする開発途上国に共有すると同時に国際協力を目指すものです。「震災前にはほとんど行われていなかった国際協力が、震災で世界各国が支援を差し伸べてくれたことをきっかけに、震災後に活発になりました。世界の人々へ支援に対する感謝の気持ちを伝えたいという思いも強くありました」と宮崎さんは振り返ります。
推進員が東松島市で活動
東松島市の復興プロセスは、JICAの研修やスタディツアーなどを通し、海外の政府関係者や国際NGO職員などに向けて国内外に広く共有されてきました。「復興まちづくり」や「防災・減災」「市民協働のまちづくり」などを研修テーマとし、国別研修だけでも28コース、321名の研修員を受け入れました。
とりわけ、同じように大津波で被災したインドネシアのバンダ・アチェ市とのつながりは、年を重ねるごとにとても強固に。2つの自治体では、互いの復興とまちづくりに協力・連携を行うことに同意し、覚書が交わされました。持続可能なまちづくり、地域防災などの4つの重点課題に対して事例が積み重ねられ、住民レベルで効果的なモデル事業の実践に挑戦し、相互復興を目指しました。「大津波被害という辛い経験をもつ自治体同士。深い喪失感に心を寄せながらも、復興を目指す前向きな姿勢は互いを奮い立たせ、強い絆が生まれました。つながりは今も続き、2026年4月には再び互いに持続可能なまちづくりを目指していくための覚書が交わされる予定です」と宮崎さん。
バンダ・アチェ市のイリザ副市長と意見交換
「15年前の震災がきっかけとなり、その『経験と教訓』について支援を受けた世界へ恩返ししたいという思いから東北のさまざまな自治体では国際協力が加速しました。JICAでは、『国の異なる自治体同士がそれぞれの経験を糧に協力していく相互復興』を繋ぐ役割を担います。東日本大震災の被災経験と復興のプロセスを共有することが、世界の防災教育をはじめとした次世代への継承となることを期待しています」と課長の伊藤は話します。
世界はさまざまな課題に直面していますが、現地政府や援助機関、民間企業、NGO、大学など多様な立場の人たちが力を合わせることで、新しい技術や先進的な知見を活用することが可能となります。JICAはこれらステークホルダーの共創によってつくり出される革新を世界中で環流させることで、世界における人間の安全保障と持続的発展に貢献し、日本国内の課題解決にもつなげたいと考えています。
東日本大震災における日本の復旧・復興に関する知見の共有を目的に、ウクライナ中央・地方政府代表団を招へい
■YouTube【ウクライナ・平和構築】ウクライナ復旧・復興シリーズ⑧東日本大震災の経験をウクライナの復興に
https://www.youtube.com/watch?v=H1U-uGXn6I8
■YouTube【ウクライナ・平和構築】ウクライナ復旧・復興シリーズ①人々を中心とした復興のために
https://www.youtube.com/watch?v=jk1XB8FqnFc
■世界各国・地域等からの緊急支援|外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/shien.html