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【イベント報告】パネルディスカッション~ブラジルへ渡った日本人、日本に渡った【新世代】~知ることから始まる多文化共生

2025.08.15

7月12日(土)に日本ブラジル外交関係樹立130周年記念パネルディスカッション~ブラジルへ渡った日本人、日本に渡った【新世代】~知ることから始まる多文化共生を開催しました。1895年に「日ブラジル修好通商航海条約」が調印され、日本とブラジルの外交関係が樹立されてから130年が経ちました。これを記念してパネルディスカッションを開催しました。

イベントでは、パネリストに日本・ブラジル両国で生まれ育った日系人の小島クリッシイりかさん(以下、小島)と向井フェリペ直人さん(以下、向井)、築地本願寺副宗務長の木村共宏さん(以下、木村)、をお招きし、JICA横浜 海外移住資料館の大野裕枝さん(以下、大野)を加えた4名で、日本からブラジルへ、そして、ブラジルから日本へ移住の歴史を振り返るとともに、日系人の経験や移動によって学んだことや日系人の支えとなったお寺の話などをお話しいただきました。司会は、ペルー移住者を親類に持つJICA人事部開発協力人材室長の坪井創さんが行いました。とても内容の濃いパネルディスカッションで、参加者からはもっと聞きたいという声もいただきました。今回は、印象に残った内容を紹介させていただきます。

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一世に対する想い:誰かを否定するのではなく、お互いを理解していきたい

小島さんは、日本で生まれ、5歳から10歳までをブラジルで過ごし、小学校4年生の時に再来日しました。現在は、大学院で日系ブラジル人のアイデンティティ研究をしています。
小さいころは祖父母から苦労話をよく聞かされていた小島さん。今の時代の方が恵まれていて必要なものは全てある、そんなふうに言われ、自分の努力が否定されている気持ちになったそうです。小島さんにも、言葉の壁や、学校生活になじめないなど、いろいろな苦労がありましたが、言い出せずにいました。子どもの頃、祖父母の話を聞くのが面倒くさいという気持ちがあった小島さんですが、大学院に入って移民について勉強すると気持ちに変化がありました。

小島「なぜ曽祖父たちがブラジルに行き、その後、祖父母や親たちが日本に来たのか、社会的背景を知っていくと、考え方が変わっていきました。 一世二世の苦労話というのは、私たちの世代を否定したいのではなくて、苦しかった日々を、意味を見出せるものとして受け取ってほしい、過去の選択や生き方を認めてもらいたいという思いからだったんじゃないかなと思うようになりました。お互いを理解するためには学ぶことが重要だと思います。」

移動を経験して学んだこと:トランスナショナルな日系人

向井さんは、ブラジルで生まれ、3歳で来日しました。その後6歳から13歳までをブラジルで過ごし、再来日します。日本の大学を卒業後はブラジルで就職。現在は日本の大学院で日本語教育学を専攻しています。
 ブラジルの学校には向井さんと同じ名前の「フェリぺ」がたくさんいたそうです。それぞれ、「大きいフェリペ」「小さいフェリペ」などと呼ばれていました。向井さんは「日本人のフェリペ」と呼ばれていましたが、日本語も話せないし、日本文化も分からないのに、自分は日本人なのかと疑問を持っていました。中学2年生の時に日本に来ると、今度は、ブラジル人、外国人と周りの人から言われるようになります。思春期ということもあり、ブラジル人なのか日本人なのか、アンディンティティが揺らぎ始めます。高校受験を努力して乗り越え、日本語だけではなく、日本人の文化や価値観なども理解できるようになり、自分は「日本人」という感覚が生まれます。そんなあるとき、高校の友達が向井さんの家に遊びに来ました。家の中では、ポルトガル語を話し、ブラジルのテレビが流れていました。「外国の家みたい。」友達の一言で、自分は日本人と少し違うことに気がつきます。自分はどっちなのか、その答えは「日系人」でした。

向井「日系人というと、二つの国だけというイメージかもしれませんが、日系人だけじゃなくて、トランスナショナルな、国境のない日系人だととらえています。視野の広い日系人じゃないかな。色んな価値観とか文化を尊重する上で、自分も豊かな人間になったと思っています。越境をしてどのように成長したかというと、より豊かな人間になったのかなと思っています。」

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移動を前向きにとらえて、チャレンジし、成長する機会ととらえている小島さんと向井さんですが、これまでさまざまな苦労を乗り越えてきました。
小島さんは、学生時代、勉強ができなかったり、友達ができなかったり、できないことが多い自分のことが許せず、たくさん責めました。他者のことも許せませんでした。しかし、移民について勉強することで、自分には原因はないこと、いろいろな要因が重なって結果に至っていることが分かり、他者のこと、自分のことを許せるようになりました。学びの大切さが身に染みたそうです。
向井さんは、高校時代、演劇部に所属していました。男性部員があまりおらず、いつも主役を任されていました。発音やイントネーションが違うと先生に日本語を直され、毎日辞めたいと思っていましたが、なんとか3年間続けました。その時頑張ったおかげで、人前で話すことに抵抗がなくなり、壁を乗り越えたからこそ、成長したと語っています。

「八正道(はっしょうどう)」

現在でも、海外に多くあるお寺。日本人の海外移住が開始されると各地で布教活動が開始され、お寺が建立されていきます。コミュニティの中で日本人の繋がりを作る役目を果たしたのがお寺でした。築地本願寺の木村さんからは、以下のようなお話がありました。

木村「お二人の話を聞いていて、「包(つつむ)」という字が頭に思い浮かびました。相手のことを許せる気持ちになったという話もありましたが、この寛容さというのは相手を包み込めるということでもあります。また、自分がブラジル人なのか日本人なのか、あるいはブラジル人でもなく日本人でもないのではないか、というお話もありました。現代ではものごとを、どちらかに切り分ける考え方をすることが多いです。でも仏教的には「どっちでもないし、どっちでもある」と、両方を包み込むような考え方をしますが、お二人はこの考え方をお持ちだなと感じました。 」

木村「仏教では「八正道」という考え方があります。これは八つの正しい道という意味ですが、その一つに「正見(正しく見る)」というのがあります。偏見や固定観念にとらわれず、物事を正しく見るというという意味です。偏った考えに陥らないために、相手のことを理解しよう、もっと分かろうと努力をするのも、この正見に含まれます。やはりそういった努力や精進が、現在のお二人の素晴らしいお立場と活躍につながっているのだろうと読み解きました。」


最後に、海外移住資料館館長大野さんから、以下のようなお話がありました。

大野「いろいろな国の人がいる日本で、身近にいる外国の方が、実はこういう背景を持っているかもしれないとか、話したいと思っているけど話せないのかもしれないとか、お友達になってほしいと思っているのかなとか、少しでも想像を膨らませることが大切ではないでしょうか。皆それぞれが相手の立場に立って、少しでも想像できるようになると、全然違う社会になるのではないかと思います。」

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