「決断力~人生のターニングポイントを活かす~」

アイ・シー・ネット株式会社 シニアコンサルタント
百生 詩緒子さん(青年海外協力隊OG/富山県南砺市出身)

富山県南砺市出身の百生詩緒子(ももせしおこ)さん。青年海外協力隊平成9年度2次隊でタイの東北部に派遣され、村落開発普及員(※現在はコミュニティ開発に名称変更)として、女性自立支援に携わりました。その後、海外の大学院や、国際連合、JICA専門家などを経て現職へ。アジアからアフリカ、中米、そして再びアジア・アフリカと地球を一周され、南砺市に戻りとてもパワフルに活動されている百生さんにお話をお伺いしました!

人生のターニングポイント① 協力隊に参加するきっかけになったNPO活動

人身取引撲滅啓発デーにおいてタイのプラユット首相に説明する百生さん

 大学卒業後、民間企業に就職し、九州地方で仕事をされていた百生さん。大学時代の友人の紹介で、認定NPO法人「地球市民の会」と出会う。帰国子女でもあり、英語・スペイン語と語学に堪能だった百生さんは、翻訳などのボランティアを始めた。それがきっかけで仕事が休みの時に、NPO主催のタイのスタディーツアーに参加した。これがまさに初めての途上国だった。
 タイに行って一番衝撃を受けたのが「貧しい=不幸」ではないこと、そして自然循環型の生活だった。木を高床式に組んだ家に住み、人間が食べ残したものなどは、そのまま下にいる家畜のエサにして捨てる。無駄のない生活に感動をおぼえるとともに、現地の人々からいろいろ学びたいと強く思った。そこからタイにがっちり心をつかまれた百生さんは、仕事を辞める決意をする。それは「地球市民の会」より、タイで働くスタッフを探していると聞いたからだ。

人生のターニングポイント② 初めて「ジェンダー」に触れるきっかけとなったワシントンでの研修

ケニアの郡保健局のプロジェクトメンバーとの集合写真

 民間企業を辞めると決心したものの、周囲の人々は大反対。「その時代、NGOやNPOといった言葉が世間にまだ浸透しておらず、何かの宗教団体に加入すると思われた」と話してくれた百生さん。そんなとき、またしても転機が訪れる。
 北九州市の公益財団法人アジア女性交流・研究フォーラムを通じて、ワシントンに1か月滞在し、そこで人口問題やジェンダーの研修を受けるチャンスをつかんだ。1か月も滞在するということは、仕事を辞めなければいけない、そう言って民間企業を退職し、参加した。この研修で学んだことが今につながっていると話してくださった百生さん。例えば、「子どもを産みます。それは誰が決めるのか?」という問いに、もちろん「自分だ」と答えた。しかし、その時に世界には自分の意志とは関係なく、子どもを産んでいる女性が大勢いることを知る。女性には決定権がないのだと知る。さらに同じく日本から参加していた方との意見交換の中で、「日本では、どの世代の中絶が一番多いか知ってる?」という問いに、百生さんは「中高生や10代の若い世代」と答えたところ、「いや、実は40代の既婚者です」と言われ、衝撃を受けた。夫からの性交渉の要求に対し、NOもしくは避妊してくれと言えない日本人女性の問題も目の当たりにした。自分がこれまで生きてきた世界が狭いと感じるだけでなく、たまたま自分が恵まれている環境にいて、見えてなかっただけなのだと、自分の無知を知った。これが百生さんと「ジェンダー」との出会いだった。

人生のターニングポイントを経て、青年海外協力隊へ

草木染伝統織物でパッチワークにトライ

 その後、「地球市民の会」のスタッフとなり、タイで仕事をしていた百生さん。そこでJICAの企画調査員と偶然話をする機会があり、今度、この地域で女性自立支援の協力隊プロジェクトが出る予定だと知る。タイとジェンダーに関わっていきたかった百生さんは、協力隊に応募。見事、合格し、希望の場所に行くことになった。すでにタイ語も勉強していたこともあり、タイの農業普及局に着任後、すぐに活動に取りかかった。
 協力隊で一番思い出に残っている経験は、同世代のタイの農村の女性と一緒に仕事をしたことだと語った百生さん。現地の仕事は、農村女性グループの自立支援ということだったので、活動前はきっと栄養とか保健衛生を改善しましょうというような教育を進めるのだと思っていた。しかし、現地で女性たちのニーズを聞くと、「お金が欲しい」、それが一番だと言われ、女性の収入を増やすという目的のもと、いろいろな活動に着手した。農作物や手工芸の加工品を都市部バンコクのホテルや空港、日本人会のバザーなどで販売するべく動いた。この頃日本でも空前のアジア雑貨ブームだった。これを機会に日本で売れそうなものを日本のデザイナーなどに聞き、販売するものを増やしていった。また女性たちが自ら現金収入を得ていくために、原価計算のやり方なども教えた。しかし、女性たちの算数レベルは小学校4年生ほどで止まってしまっているため、算数の基礎から教えていった。他にも銀行口座の開設や助成金の交渉を手伝ったりもした。
 女性グループのメンバーとバスで10時間かけてバンコクに販売に行く計画をしたとき、夫が許してくれないという家庭に説明しに回ったこと、田舎からバンコクに出た女性たちがエレベーターやエスカレーターに驚いたこと、自分で作ったものを売り込むアピールを恥ずかしがってできなかったこと、彼女たちにとっては首都に行くというのはまさに未知の世界だった。そして一番印象に残っているのは、場数を踏むことで、自信をつけ、どんどん成長していく姿であった。

 協力隊活動満了後、1年後に修士論文の調査で戻った際に、自分が関わった70名の女性の内、リーダー格の3人全員が、離婚に踏みきっていた。常に、自分で考えて行動することを口酸っぱく言っていた自分のせいで離婚してしまったのではないかとも悩んだ。しかしその10年後、JICAの専門家として再度訪れた際に、彼女たちはさらに成長し、政治家やNGO職員になっていた。「あなたから、時間厳守を教えてもらった。そして未来を考えて行動するようになった」と言われた百生さんは、自分の協力隊活動の「その後」を見ることになった。彼女たちはしっかりと前を見据え、自分の意見を自分の言葉で言えるようになっていた。

【取材後記】
とってもエネルギッシュな百生さんは、コロナ禍の影響もあり、富山県在住でリモートワークをしなが
ら、富山県での関係構築にも自ら動いている姿が印象的でした。富山県の協力隊OBが活動している施設でも月1回英語教師のボランティアをし、少しずつ活動の場を広げています。現在もアクティブに活動されている姿を見ると、協力隊時代の活動の様子が目に浮かびます。今後のご活躍を楽しみにしておりま
す!

2021年2月15日 JICA富山デスク 松山 優子