元は戦場、今は未来への玄関口‐インフラ開発が実現する両国の友情


2025.08.15
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- パプアニューギニア事務所 長瀬良太
「日本は真の友人」‐戦禍を越えた太平洋の島国との友情。かつて戦場だったナザブに開港した、過去の戦争と現在の協力を繋ぐ“トモダチ空港”。日本の協力で築かれた絆は、戦後80年の今も未来を支え続けています。
2024年10月、日本の対パプアニューギニア(PNG)ODA50周年記念式典でPNGマラペ首相はこのように日本を表現し、50年に渡る日本の協力に対して感謝の意を表しました 。(*1)
50周年式典でスピーチするPNGマラペ首相
2023年10月、PNG第2の経済都市レイ近郊に新たな国際空港が開港しました。その名も「ナザブ・トモダチ国際空港」。この名称は、マラペ首相が提案したもので、そこには日本との深い友情と歴史が込められています。
PNGは大小600を超える島々からなる国で、航空輸送が国内主要都市間を結ぶ唯一の交通手段であり、国の経済・社会開発において重要な役割を担っています。ナザブ・トモダチ国際空港も同国北部地域の産業・物流の拠点として、国全体の経済成長の促進に寄与することが期待されています。
この空港整備は、JICAが長年にわたって協力してきたインフラ開発の一環で、円借款事業を通じて、旅客ターミナルの新設及び滑走路の改良、誘導路の新設・強化、管制塔・消防塔の改修など、全面的な整備を支援してきました。2023年10月の開港式では、マラペ首相をはじめとした多くの閣僚や現地関係者、堀井外務副大臣(当時)ら日本関係者が祝辞を述べました。
ナザブ・トモダチ国際空港:壁にも「トモダチ」の文字が
堀井外務副大臣(当時)とマラペ首相(首相府提供)
銘板の除幕式(2023年4月)
産業・物流の拠点として経済成長に貢献
ナザブ(NADZAB)は、日本との深い歴史を持つ地です。約80年前の1943年、太平洋戦争の激戦地となりました。「死んでも帰れぬニューギニア」と言われ、15万人以上の日本兵が戦死したニューギニア戦線で、日本軍はラバウル、ブナ、レイといった地域を拠点化しましたが、1943年、連合国軍はナザブ上陸作戦を展開。空挺部隊がレイ郊外のナザブに降下し、飛行場を素早く制圧して地域を掌握しました。補給線を絶たれた日本軍は後退を余儀なくされ、この戦いは太平洋戦争における重要な転換点の一つとなりました。制圧された飛行場は連合国軍の「Northern Australian Defence Zone Air Base (NADZAB)」(諸説あり)として反攻作戦の拠点とされました。(*2)
ナザブ・トモダチ国際空港で開催されたナザブ上陸作戦80周年のイベント(日本大使館提供)(*3)
PNG各地に残る第二次世界大戦の戦跡
このように、ナザブはかつて日本と連合国が敵として血を流した場所でしたが、戦後80年を迎える今、その戦場だった場所に日本との友情を示す「トモダチ」という名のついた空港が日本の協力で整備され、PNGの新たな空の玄関口となっています。これは、戦禍を越えて、協力し合う未来を示す象徴的な事例です。
JICAはこれまで、ナザブ空港をはじめ、首都ジャクソン国際空港や東ニューブリテン州のトクア空港の整備を支援してきました。国民の生活や国内の各産業を下支えする空港インフラ整備、そしてその維持管理能力の向上は、経済成長と地域開発の促進のみならず、災害時の輸送拠点としての機能(災害対応・気候変動への強靭性強化)等、持続可能な経済社会の形成に寄与しています。また、空港整備事業を通じて、両国の信頼とパートナーシップを深めることは、日本企業の進出環境の整備やエネルギー安定供給にもつながる戦略的意義があります。
日本のLNG輸入先として第5位に位置するPNG
PNGは資源大国でもあり、日本にとって経済安全保障の観点からも重要な相手国です。PNGからの輸入額は、日本の太平洋島嶼国(しょこく)からの輸入総額の約97%を占めており、2014年から日本向けの輸出が始まった液化天然ガスをはじめ原油や金、銅、ニッケル、木材、水産物、パーム油等が輸出されています。このように太平洋地域における経済安全保障・サプライチェーンの重要な相手国であるPNGは「地球最後のフロンティア」として今後の成長が期待されています。一方で、それを支える空港などの経済基盤の未整備等、PNGが抱える課題は山積みで、持続可能な成長を実現するために、引き続き多くの協力が必要です。
西部州Ok Tedi鉱山。輸出される銅の50%以上が日本向け
そして、両国の友情を象徴する忘れがたいエピソードがあります。2011年の東日本大震災発生直後、PNG各地で自発的に募金活動やチャリティーイベントが行われ、最終的に政府の支援金と合わせて、当時のレートで約3億2000万円 (*4)が日本に届けられました (*5)。人口のおよそ40%が1日あたりの収入2.15ドル未満(*6) で生活するなか、日本の苦しみに寄り添ってくれました。この「真の友人」との関係を、私たちは決して忘れてはいけません。
過去50年間、日本はPNGの人々に寄り添って協力を展開し、信頼を醸成してきました。2025年には、独立50周年と日・PNGの外交関係樹立50周年を迎えます。独立前から協力を続けてきた日本に対して、冒頭のマラペ首相の発言が生まれました。
このように両国は戦争の記憶を共有し、平和の重要性を再認識することで、未来志向の協力関係を構築してきました。その一つが先に述べた「ナザブ・トモダチ国際空港」であり、戦禍を越えた新たな絆の形成として、過去の戦争と現在の協力を繋ぐ象徴的な存在となっているのです。これは、単なる空港以上の意味を持ちます。
戦後80年となる本年、未だ日本人戦没者の遺骨が眠るPNGで、先人たちが築き上げたものを受け継ぎ、PNGにとって「真の友人」であり続けたいと思います。
日本が支援した空港が災害時の支援拠点としても機能
運輸・航空大臣(当時)も日本の空港支援を称賛
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