【スマトラ沖大地震から20年】インドネシアと東北の学び合い 震災の記憶と教訓を次世代へ
2024.12.10
インド洋沿岸に未曽有の被害をもたらしたスマトラ沖大地震・インド洋津波から、今年で20年。特に大きな被害を受けたインドネシアに対し、JICAは震災直後の緊急支援から復旧・復興、そしてコミュニティ支援まで、現在も息の長い協力を継続しています。また、東日本大震災の被災地とともに学び合う取り組みも支えています。
アチェ州バンダ・アチェ市にあるアチェ津波博物館。スマトラ沖地震の津波災害の記憶・教訓を継承するために2009年に開館
EDDY H/ Shutterstock.com
2004年12月26日、インドネシア・スマトラ沖でマグニチュード9.0の大地震が発生しました。それに伴い、最大で高さ34メートルの大津波がインド洋沿岸諸国を襲い、死者・行方不明者は約30万人に上りました。
日本はすぐさま、津波被害が大きかったインドネシア、タイ、スリランカ、モルディブに対し過去最大規模となる国際緊急援助隊を派遣。津波による死者・行方不明者が16万人以上となったインドネシアでは、延べ約1,100人規模の国際緊急援助隊が、医療活動、物資の輸送、行方不明者の捜索などに従事しました。
地震と津波で崩壊した海岸沿いの住宅地
野外で診療する国際緊急援助隊医療チームの医師
(いずれも撮影:今村健志朗、2005年1月1日)
中でも、インドネシアのスマトラ島北端に位置するバンダ・アチェ市は、海岸線から約5キロの内陸まで津波が押し寄せ、人口の3割に相当する7万人以上が亡くなるなど、壊滅的な被害を受けました。JICAは緊急支援後も、バンダ・アチェの復旧・復興基本計画の策定やインフラの整備、被害を受けたコミュニティの自立に向けた支援など、ハード面とソフト面の両面から災害復旧・復興に対する協力を行いました。
その協力は、2011年に発生した東日本大震災の被災地とバンダ・アチェの協力関係にもつながりました。バンダ・アチェと被災した東北の自治体の間で、防災・震災の知見を共有し、コミュニティの再興や、震災の経験を後世に伝える取り組みが実施されるなど継続的に連携しています。
そんな一連のJICAの協力について、インドネシアで自らも被災し、その後JICAとともにバンダ・アチェの復興に取り組んできたシャクアラ大学国際事務局長のムザイリン・アファン教授にお話を伺いました。
シャクアラ大学国際事務局長のムザイリン・アファン教授
「かつてないほど激しい揺れを感じましたが、私を含めバンダ・アチェの人々はその後津波が来ることなど思いもしませんでした」
ムザイリン教授は、そう当時を振り返ります。バンダ・アチェは過去に津波の被害を受けたことがあったものの、その記録や記憶が継承されていなかったため、スマトラ沖地震による津波で多くの犠牲者を生みました。ムザイリン教授も両親と4人の兄弟、そして多くの親族を津波で亡くしました。
つらい記憶を抱えながらも、ムザイリン教授は、震災後、日本から来た国際緊急援助隊が被災者支援のために被災地の地図作成に協力できる人材を探していると聞き、自らの専門であった地理情報システムの知見が生かせるのではと手を挙げました。これを機に、バンダ・アチェの復旧・復興基本計画の策定や住民の自立支援に向けたネットワークの形成プロジェクトにも携わり、JICAとともに被災地の復興に力を尽くしてきました。
「支援が終了しても、被災地の住民が引き続き自立できるよう、JICAが常に被災者に寄り添って支援している姿を目の当たりにしました」(ムザイリン教授)
またいつ起こるかわからない災害に対し、どのような対応が必要になるのか、どうしたら被害を軽減できるのか——。ムザイリン教授は、JICAと復興に取り組む中で、日本で減災プログラムを学ぼうと、2010年から東北大学にて災害管理技術応用分野の博士課程の研究を進めます。そんな折、2011年に東日本大震災が発生しました。震災の3か月前に、震災で大きな被害を受けることになる釜石市や陸前高田市で防波堤による津波災害リスクの軽減について調査していたムザイリン教授にとって、決して他人事ではありませんでした。
「今度はバンダ・アチェが東北を支援する時だ」と、ムザイリン教授は、東北の被災地へ義援金とともにバンダ・アチェからの応援メッセージを届けました。また、JICA東北とともに、宮城県や岩手県などの東北の学校の教師をバンダ・アチェに派遣して津波災害の経験を学び合う取り組み(教師海外研修)をサポートするなど、バンダ・アチェと東北の被災者同士が震災の経験を共有し、次の災害に備える「防災教育」の取り組みを進めました。そしてその取り組みは、現在も続いています。
「災害リスク管理のプログラムは、あらゆるセクターからのアプローチや、さまざまなネットワークを築いていくことが必要です。そして持続的な取り組みにするためには若い世代を巻き込んでいくことが不可欠です」。ムザイリン教授は、次世代を担う若者に対し、災害のリスクと備えを常に認識することの大切さを訴え続けています。
2012年8月9日、東松島市とJICAがバンダ・アチェ市のイリザ副市長と行った、東北の復興についての意見交換
バンダ・アチェと東北の交流や連携は、東日本大震災直後の5月にアチェ・ニアス復旧復興庁の元長官が被災地を視察したことに始まり、宮城県東松島市がバンダ・アチェ市職員の研修を受け入れるなど、さまざまな形で続きました。スマトラ沖地震から20年が経ち、その教訓をいかに次世代に継承していくかが大きな課題となる中、現在、地域住民が主体となって防災プログラムを実践する草の根技術協力事業が、バンダ・アチェと岩手県釜石市の連携で進んでいます。
釜石市は、東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けましたが、市内の多くの子どもたちは無事でした。これは日頃の津波防災教育の成果が発揮された例であり、「釜石の出来事」として広く知られています。
この釜石市の災害への備えなどを学ぶため、2024年5月、バンダ・アチェの中学校教師とアチェ津波博物館職員ら17人が釜石市や大槌町、東松島市などを訪れました。中学生の時に東日本大震災で被災し、現在は釜石市の復興に携わる職員から、震災当日の避難の様子などを実際の避難ルートをたどりながら説明を受け、避難訓練の模擬体験にも参加。参加者からは「学校での防災教育の重要性を感じた」、「バンダ・アチェの子どもたちにも体験させたい」という声が上がり、多くの学びがあったことが伺えました。
釜石東中学校で防災教育のカリキュラムや授業の実施方法について説明を聞くバンダ・アチェからの研修員
遡上する津波の平均速度とされる時速36kmのワゴン車と並走して津波の速さを実感
このプロジェクトを釜石市との協働で実施する根浜MINDのプロジェクトマネージャー、細江絵梨さんは、バンダ・アチェに対する津波防災の協力を進めるにあたり、「まさに『自分ごと』としてバンダ・アチェの先生や生徒に考えてもらう時間を多くとることを意識し、日本側のノウハウを押し付けるのではなく、双方でノウハウをシェアし合うことを大切にしています」と語ります。バンダ・アチェの参加者からは、「防災活動で世界一を目指したい」という意欲的な声も上がっています。
また、2023年12月には岩手県立大槌高校の復興研究会のメンバーがバンダ・アチェを訪問し、現地の中学生や高校生に東日本大震災の経験や教訓を伝えました。参加した高校生たちからは「建物の被害など統計で被害を伝えても、災害を知らない人にはただの数字で本当の防災の理解につながらない。ここで何が起こってどのような感情をもったのか、当時の実体験を語り継ぐ必要がある」、「自分の経験を多くの人に共有し続けることで今後100年先までも伝承されていくと信じる」といった声が聞こえています。そんな次世代の若者たちの力強い言葉が、震災の教訓の継承を後押ししています。
シャクアラ大学の学生グループが作成した防災教育ツール(絵本)を見て学ぶ、バンダ・アチェと岩手県立大槌高校の高校生
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