【インタビュー記事】Inclusive Education for a Cohesive Society!~結束のある社会へのインクルーシブ教育~マイラ・アルズさん(ベリーズ・国別研修)
2023.10.12
今年8月~9月、中米ベリーズ向けでは初めて実施される国別研修[1]「インクルーシブな障がい者教育」の研修員として、ベリーズ教育省の特別支援教育ユニット(SpEd)に勤務するマイラ・アルズさんが来日しました。今回は、マイラさんにこれまでの歩みと共に、日本での研修で受けた印象などを聞いてみました。
私はベリーズ北部のオレンジウォーク市で生まれ、11歳の時にプンタゴルダというベリーズで最も南にある町に移住しました。大学では英語教育の学士号、インクルーシブ教育と特別教育の修士号を取得しました。
教職に就いたのは1997年で、最初の赴任先は、シルバー・クリークという村にある学校でした。この学校での経験が、私の教師に対する認識を完全に変えました。私は公用語である英語で授業していたのですが、児童たちは主にケチ・マヤ族の母語で話していたのです。そのため、児童たちは教えた内容を理解しているのだろうか、私は彼らに不公平なことをしているのではないだろうかと、落ち込むことが多かったのです。
1年後、私はプンタゴルダにあるコミュニティ・カレッジで英語教師として教鞭をとり、さらにその後2002年にベリーズ・シティに移住し高校の英語教師となりました。2年後にはベリーズ・シティにあるベリーズ大学の英語教育プログラムにも参加しました。母親であること、フルタイムで働くこと、大学に通うことは、私の人生の中でもハードな時期でしたが一方で、私はより強く、たくましくなりました。
私が教員になった理由は、生まれてからの経験にありました。ベリーズで生まれた直後、家族でグアテマラへ移住したため、最初に学んだ言語がスペイン語でした。しかし、5歳の時にベリーズに戻り、入学した小学校では英語学習に非常に苦労したのです。そうした経験から、英語を書くことや話すことに苦労している子どもたちをサポートしたいと英語教師を目指すようになりました。
18年間英語教師として教鞭をとっていましたが、その間に、読み、書き、理解、行動に困難を抱え、推理力や社会性に欠ける生徒たちに出会いました。このような生徒の多くは、学業上のニーズが満たされないという理由だけでこれ以上学校で面倒を見ることが出来ないとされ、中退していきました。私は心の底からこれは間違っていると思い、生徒がサポートを受けながら学校に留まれるような支援を探すことを決意しました。そして、教師として、また学科長として、私は数多くの研修会に参加し、後に教育省の特別教育ユニットを招き、私が勤務していた学校の教師を支援してもらえるようになりました。
私は英語教師として、生徒の個々のニーズに対応しようと努めていましたが、それには教育システムそのものを変えなければならないことに気づいたのです。そこで私は、生徒のニーズをよりよく理解するために、生徒の学習プロフィール(医学的な情報と、学習における特徴)を作成するよう、同じ学科の教師に勧めました。これまで参加してきたワークショップの学びから得た多くのアイディアを応用し、生徒をサポートするため様々な方法を実践していく中で、私はより良い教師に生まれ変わったのです。生徒たちも変化が現れました。学校生活に馴染めず校内をうろついていた生徒が、私のクラスに入りたがっていることにも気づきました。生徒のニーズに対応し、生徒を引きつける方法を発見したとき、私はインクルーシブ教育に夢中になりました。
最大の課題は、教師のトレーニング不足、予算不足、インクルーシブ教育に対する社会的規範や態度の三点が挙げられます。教育・文化・科学技術省の特別教育ユニットは、オンラインプラットフォームであるTLI(Teacher Learning Institute)や対面でのトレーニング、そして現在新たに認可された認証プログラムであるベリーズ・インクルーシブ・スタディーズ(Belizean Inclusive Studies)で教員を訓練するためにあらゆる努力を行っています。 二点目はインクルーシブな実践をクラスに導入するための費用です。教師たちは、教材の購入を支援するために予算を準備すべきと表明しています。最後に、多くの人々が古くからの社会的規範に則り、教室で障がいを持つ子どもたちを受け入れることを拒否していることです。
発達や学習特性などのスクリーニング、総合的な教育評価、教員や保護者のトレーニングやサポートなどの教育サービスを提供し、障害のある生徒を支援する計画を立てる学校を支援すること、義務教育や生涯学習における多様性を扱うための通常の施策に取り組んでいます。現在、SpEdは、国の特別支援教育およびインクルーシブ教育政策の策定に向けて取り組んでいます。
ユネスコのインクルーシブ教育の定義では「学習者一人ひとりのニーズが考慮され、すべての生徒が共に参加し、共に達成する。すべての子どもが学ぶことができ、すべての子どもがユニークな特性、興味、能力、学習ニーズを持っていることを認識している。疎外されたり、排除されたり、学業不振に陥る危険性のある生徒には支援が与えられるが、他の学習者から引き離されることはない」としています。
5週間にわたる日本での講義、熱心なディスカッション、学校訪問、観察を通して、日本は確かにインクルーシブ教育に向けて努力しているが、その実践の多くは特別支援教育と統合によるものだと感じました。必要な設備や施設が整備され、多くの教材や知見などのリソースがあり、知的障害を持つ生徒に対して合理的な配慮がなされているにもかかわらず、インクルーシブ教育の概念は完全には実践されていないと感じました。成績不振のため、知的障害を持つ生徒は他の学習者から切り離され、学校に併設された特別支援教室に入れられていました。ユネスコのインクルーシブ教育の概念に沿うように、知的障害のある生徒は、通常の教室で仲間とともに学習しながらサポートを受けることができるはずです。カリキュラムを変更し、合理的な便宜を図ることで、障がいや遅滞、その他の課題を抱える学習者が教育を受けられるようになると思います。
講義の中で、日本には盲学校やろう学校がいくつかあることも知りました。私は、生徒の何人かは普通の学校に適合し、補助器具を使ってサポートされるのだろうか、目の見えない児童生徒や耳の聞こえない児童生徒のすべてが知的機能に遅れがあるわけではないと考えました。児童生徒を通常の学校に入れ、彼らが同級生や教師と積極的に関わり、適応できるようにすることがインクルーシブ教育だと思うからです。障がいのある児童生徒が仲間や教師と積極的に関われるようにしなければ、彼らは単に同じ場所で教育を受けるために統合されるだけと言えるからです。インクルーシブ教育とは、生徒一人ひとりの個性を認め、尊重することでもあるのです。多様性と公平性が教室の頂点に君臨するインクルーシブ教育の世界では、革新的な教育がすべての学習者にとって安全な支援環境を作り出します。
日本も他の多くの国々と同様、インクルーシブ教育の実施に苦慮していることがわかりましたが、世界中の教育者がインクルージョンの価値を認識し、すべての生徒の可能性を最大限に引き出す可能性を支持しなければならないと感じます。ですから、(悩んでいるのは)日本だけではありません!
アクションプラン発表をするマイラさん
全体の集合写真
私は、(個々の)能力を高めることがベリーズの状況を改善すると信じています。特別支援教育とインクルーシブ教育における新しい国際的な傾向、そしてベリーズの文脈の中でインクルーシブ教育を構築するプロセスとして、最前線の人々(下記番号の順)に研修を実施していきます。
最初にマイラさんにお会いした時の包み込むような明るい雰囲気に初対面とは思えない親近感を覚え、どうしてこの仕事を選んだのかと聞いた時の「Jobs chose me.(仕事が私を選んだ)」という言葉が今のマイラさんにとって特別支援教育、インクルーシブ教育に取り組むことが自身の使命であり大きな喜びであるということが伝わってきました。
ベリーズに対するこの国別研修は今年から3年間続き、マイラさんの後にも教育省から来日する研修員が続きます。日本での経験も踏まえてベリーズの特別支援教育、インクルーシブ教育の状況が変わってくることを願っています。
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