世界と共に生きる(後編)地域の多文化共生推進に向けて

【写真】野水 祥子(徳島県)昭和63年度2次隊/ガーナ共和国/婦人子供服
野水 祥子(徳島県)

改正入管法施行による日本社会の変化と、今後増えていく外国人と共生する上で大切なこと

TOPIAスタッフとして、在住外国人の現状や多文化共生について講義をしている様子

 昨年4月に入管法が改正され、日本は、従来の高度人材等の労働者のほかに、労働力(単純労働含む)をさらに海外の人に求める方針へと舵をきりました。5年間で、34万人の特定技能を持った労働者を確保しようという政策です。今や日本は、外国人の手を借りなければ、私たちのこの安定した日常生活が維持できないという現状を、改めて認識しなければいけないと思います。しかし、多くの人は、どれだけ彼らの恩恵を受けているかをあまり知らないように感じます。私たちの日常には、肉、魚、野菜や花、弁当、日常雑貨、洋服、車など、何でも、溢れんばかりの物がありますが、これらが私達の手に届くまでに、いかに多くの外国人労働者(技能実習生や留学生のアルバイト等も含む)の手を借りているのか、想像してみてください。農業や漁業、建設・工事現場、製造工場、ス-パ-、さらに介護施設やコンビニなど、至る所で外国人労働者が活躍しているのです。
 近年は、特に、少子高齢化で日本人労働者が確保しづらい職種で働く人が急増しています。にも拘わらず、外国人労働者、特に技能実習生をめぐる問題点が多々あり、テレビのニュ-スでも何度も大きくクロ-ズアップされています。入管法改正に合わせて、様々な法律の整備が進みつつありますが、現実的には、まだその諸問題に追いついていないことを実感します。実際に、当協会に寄せられる相談の中には、理不尽なもの、深刻なものも多々あり、TOPIA相談員の人が日々奔走しています。特に、コロナ禍を受け、彼らへのしわ寄せは顕著に見られます。
 勿論、企業や教育機関など、恵まれた環境の中で充実して働き、日本で楽しい日々を過ごすことのできる外国人も多いとは思いますが、そこからこぼれ落ちた人達のことを考えることが大切だと思います。外国人労働者への理不尽な対応や技能実習制度のシステム的な不備、そして彼らを雇う人の意識(異文化理解の不足や以前あった研修制度の名残からか、彼らを今でも安価な労働力と思っている人が少なからずいる等)、また従来からある外国にルーツを持つ子どもたちの教育問題や、日本人と結婚した人が抱える多くの問題など、外国人が日本に来て、人権が守られながら生活・労働するには、改善すべき問題が山積みとなっています。
 また、外国人材受け入れを日本経済の面から見てみると、世界中のいろんな国で外国人労働者を確保したい動きがある中、今受け入れている外国の方をしっかりケアできないと、今後労働の場として日本を選んでもらえない事態となります。そうすると、日本は深刻な労働力不足となり、私達の今までのような安定した生活が確保できない、というリスクも高まってくるのではないでしょうか?日本人と日本に住む外国人とのWIN -WINの関係が、一刻もはやく確立されることが望まれます。
 しかし、悲しいかな、外国人の方が置かれている状況は、私が勤め始めた30年前とさほど変わりがないように思います。法律や制度的なものは私達個人がどうすることもできないこともありますが、外国人との共生について人の意識を変えることすらも非常に難しいと、改めて感じざるを得ません。これだけグローバル化と言われる中でも、日本人の中には、欧米人や英語話者には親近感を持つけれど、それ以外の人に対しては、そうではない感情を持っている人が少なからずいるように、TOPIAで多文化共生事業に関わる中で感じてきました。留学生や英会話の先生、大企業で働いている外国人、インバウンドで来る外国人観光客の人たちに目を向ける人は多いですが、一方、私達の身近で暮らしている外国人への、中でもアジアからの労働者への関心や配慮がまだまだ十分でないように思います。技能実習生らを取り巻く問題の根本には、このような背景がどうしても見え隠れするようです。全国でも8割強の人がアジアからの人で、ここ徳島の在住外国人に至っては、約9割がアジアの人という事実をしっかり受け止めることが肝心だと考えています。
また、英語が話せれば国際人だという風潮がまだまだ強いように思いますが、たとえ英語が堪能でも、英語が話せない人に、英語で話しかけても何の意味もありません。日本語初級者には、小学校低学年の子どもにも通じるような、簡単な日本語、すなわち「やさしい日本語」を使う方が、より相手に配慮した姿勢になるといえますし、そのような配慮がしあえる社会がグロ-バル社会で求められるものだと思います。
 当協会が実施している小・中学校への国際理解支援講師(多様な国籍の在住外国人)派遣やTOPIAでの職場体験・インターンシップ受け入れは、私の経験がそうであったように、学齢期からこのようなことを体感することは大きな意義があると考えており、多くの人に国際理解、多文化共生の種を撒いていければという思いで取り組んでいます。年々、私は老婆心から、教師をしていた頃の「伝えたい」、「伝えたことが何かのきっかけになれば」という気持ちが日増しに強くなってきたように思います。私自身が、中学・高校・大学時代にいろんな影響を頂いたので、今度は私がそのような機会を次の世代に蒔くことができればと思っています。

これからの多文化共生社会を担う人へのメッセ-ジ

 海外に興味を持つ人達には、留学でも仕事でもボランティアでも、どんどん世界に出て行って欲しいと思います。コロナの時代を迎え、以前とは同じようにはいかないかもしれませんが、外国で多くのことを自分で体験し生活することは、今までの「当たり前」ではないものや、多様なものと向きあうことになります。そういう状況の中で、しっかり自分の考えを持ち、意見を言い、行動できる姿勢を養って欲しいと思います。その時、堪能に媒介できる言語があればなおさら良いと思います。そのことが、世界の中での「日本の立場」を支えていくことになると思います。そして、日本に帰ってきた時には、そこで培った経験を日本社会に還元していくことが大切だと思います。「地球規模の視野で考え、地域視点で行動する」、つまりグローカルな人材になってほしいですね。一方、たとえ海外に興味がない人でも、約40人に1人が外国人という現代の日本で生きていく限り、外国の人と関わる可能性は高くなってきていますので、その時には同じ「人」として接し、配慮すべき点があれば配慮できる人になって欲しいと思います。

多様性を認める社会「ダイバーシティ」の推進に向けて、心の通じるコミュニケーションを

徳島県在住の元JICA研修生の家族とのひととき

 現在、多様性を認める社会「ダイバ-シティ」の推進が全国的に進み、ここ徳島でも言われています。高齢者、障害者、外国人、女性、様々な性を持つ人など、一人ひとりが大切にされ、多様性を受け止め合える社会を目指そうというものです。この「ダイバーシティ」について考えるとき、「自分がされて嫌なことは人にしない」ということが肝要になると思います。この言葉は、私の大学生の娘が書いたレポートをたまたま目にしたときに、見つけた言葉でした。私は、今まで特段意識したことがなかったものの、この言葉を、よく子どもたちに小さい頃から言っていたようで、この言葉が、娘にとって「親から受けたしつけや教育の中で一番心に残ったもの」として書き記したようでした。そのことは、驚きと共にとても嬉しいことでしたが、しかし、あらためて考えると、この言葉は人権を考える上で基本ではないかと思います。そのため、以後はTOPIAで関わる生徒・学生たちにもそのことを伝えるようになりました。さらに、「もしかすると自分の属する家庭、学校やクラス、職場、コミュニティ-の中で、意見の合わない人と関わることもあると思うが、そんな時も、どうにか折り合いをつけて、上手に人間関係を築いていく努力をしてほしい」、とも伝えています。そのような姿勢を大切にできれば、たとえ相手が外国の人であっても、うまくコミュニケ-ションをとっていくことができると思うからです。
 現代は、SNS等インターネット上での繋がりを求める若者が増えているようですが、従来通りの直接、人と人とが関わり、コミュニケ-ションをとる、という姿勢は何よりも大切だと思います。例え高度な外国語や仕事の能力等があったとしても、心が通じ合えるコミュニケ-ションがとれなければ、宝の持ち腐れになってしまうと思うのです。このたった数ヶ月間で、新型コロナウイルスによって世界は一変し、人との物理的な関わり方は変化を余儀なくされましたが、コミュニケ-ションを大切にする心をしっかり持っていて欲しいと思います。

 今回、自分の経験からの思いを綴らせて頂きましたので、その中には偏った考え方や意見もあるかもしれません。また、書いたことを自分が全てできているかと言われたら、YESとは言えませんし、ましてや、他の人に私の考えを強要できるものでもありませんが、参考として読んで頂き何か感じてくださいますと幸いです。
 今回の寄稿を通じて、自分の経験や考えを振り返ることができ、また、あらためて協力隊参加が大きなタ-ニングポイントだったと思いました。ありがとうございました。