【STORY1】地域振興の拠点、「道の駅」への思い 加藤文男さん(株式会社ちば南房総 代表取締役副社長)

2022年2月28日

-「あなたらしく」生きていると思えるのはいつですか?-
新しいものを見つけ、新しい概念に会えたとき。楽しいと感じます。It's my life.

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JICA東京では、国際協力活動に参加されている人々を紹介していきます。

第1回は、「全国道の駅グランプリ2000」の最優秀賞受賞駅に選ばれ、来年開業30周年を迎える「道の駅とみうら 枇杷(びわ)倶楽部」の初代所長で、「観光カリスマ百選」にも選出された加藤文男さん。加藤さんは現在、インドネシアで草の根技術協力事業を実施しています。地域振興と経済活動の間をつなぐのは地方行政しかないと奮闘した加藤さんの人間力に迫ります。

国際化には、世界を知る必要がある

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加藤さんが先陣を切って行ってきた国際協力活動によって、市職員の中に国際化を担う人材が育っています。

千葉県の南房総に、県内外の車や観光バスが多数訪れる道の駅があります。その「道の駅とみうら 枇杷(びわ)倶楽部(以下、枇杷倶楽部)」を1993年に立ち上げたのが、旧富浦町役場(現南房総市)の職員だった加藤文男さんです。加藤さんは、人を集める力とアイデアでこの道の駅を唯一無二の存在へと導きました。たとえば、点在する観光資源を地域住民が案内する観光ルートを開発したり、全国に向けたPRから観光手配までを担ったり、特産品を活用した商品開発や農産物の品種改良を行ったりと、独自のアプローチを行う道の駅を誕生させたのです。

今は枇杷倶楽部を運営する会社の副社長を務めながら、培ってきたノウハウの技術移転を行う草の根技術協力事業のプロジェクトマネジャーとして、加藤さんは活躍の場を世界へと広げています。「これからは日本だけではなく、世界とともに生きていく時代です。相手国の状況が分からなければ、たとえば農産物や商品を輸出・輸入するのにも正しい判断ができないはず。草の根技術協力事業は、技術を伝えるだけでなく相手国のことや考え方を知り、世界における日本の立ち位置について学ぶことができる機会です」。加藤さんは、何度も現地に足を運び現場の人たちと意見を交わして学びながら、事業を進めています。

そうした姿勢は、南房総市職員の国際感覚を広げることにもつながっていて、市がメインの団体(提案自治体)として行ってきた草の根技術協力事業は、2010年、13年、16年、18年と4回を数えます。加藤さんとともに草の根技術協力事業でコーディネーターを務めた市職員の鎌田振郎さんは、「地域の課題解決には、国際的な感覚を持つ職員の育成が必要です。背景や立地が異なる地域で施策を立案し展開するには、自らが施策を十分に理解し、幅広く多角的な視点を持って進めていくことが必要になります。派遣された職員はそうして培った経験のもと、市の各事業に臨んでいます。たとえば、衰退する公共交通を活性化するために、車を持たない外国人(在住者やインバウンド)を対象にして地域の維持を試みる社会実験を行ったりしているほか、タイ工業省との連携協定を締結したりもしています」と話します。

地域の資源を生かした施設に

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枇杷倶楽部は、1993年に建設省によって正式登録された全国103か所の「第1号」の道の駅の一つ。いまでは国内のみならず海外からの視察や問い合わせにも応じています。

加藤さんが枇杷倶楽部の初代所長になったのは42歳のとき。「当時、私より年上の人が少なかったので、所長という役が回ってきたんですよ」と笑いますが、役場に入ってから毎日、どうしたら地域を活性化できるかと悩んでばかりいたそうです。「点在する資源や資産を結び付け、まとめて動かす--そういう仕組みはないのかと考えたんです」。

加藤さんは情報を集めて、エコミュージアム(注)の概念を日本に紹介した人で、埼玉大学で博物館学を教えていた地質学博士の新井重三さんにたどり着きます。加藤さんは新井さんを訪ね、フランスにも渡航して、エコミュージアムについて研究しました。「当時の町長から『坐して疲弊を待つな』という厳命もありましたし、何より、新しい概念を知りたかったんです」。エコミュージアムの考え方を過疎地域の地域振興策に応用し、文化や資源、工業、商業などを一つの施設に集めずに関連づけることによって観光目的などの広域連携を促すという考え方が、地域の活性化につながると思ったそうです。「誰と、何と闘っているかわからないけれど、この事業は勘として"勝てる"と思いました。"勘ピューター"が働いたんですね」。

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規格外で販売できないビワを使ってソフトクリームを作ったらヒットするのではと考えたが、どうやって作ればいいのかわからない…。「日本にはノウハウは探せば一流のものが必ず存在する」と言う加藤さん。コンサルタントに計画を話すと「果汁のことなら日本一」という人を紹介してもらえ、ソフトクリームの「NISSEI」にも相談し、一流の「パーツ」を結集しました。そうして生まれたのがこの大ヒット商品「びわソフト」です。

それからの10年間、加藤さんは枇杷倶楽部の運営に邁進しました。「課題に直面するたびに、どうしたらそれを克服して実現できるのかを考えました。実現させるにはパーツを組み立てていくことしかないんです。いまあるパーツだけで実現できなければ、能力のある人に協力を仰げばいいんです」。加藤さんはスタッフや協力者をパーツと語るが「彼らにとっても自分はパーツ。どうやって階段を上っていくかを考えるのがパーツとしての自分の仕事」と、ひとりで行うのではなく「能力のある人」を集めて協力を仰ぎ、課題や困難を乗り越えてきました。「日本が抱える豊富な知識、人材こそが源」と加藤さんは言います。

「富浦出身」という誇り

そんな加藤さんにうれしかったことを聞きました。一つは、「"勘ピューター"で勝算を感じていたものの、どうやって事業を行うべきか不安や戸惑いがつねにありました。ですが10年たった2003年に、国際協力銀行がタイ王国で実施した国民参加型支援促進セミナーの講師として声をかけられました。本当にうれしかったですね。2000年に『全国道の駅グランプリ』をいただいたときも。歩んできた道が正しかったんだと思えた瞬間でした」。

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2019年に関東地域に大きな被害をもたらした台風15号により枇杷倶楽部も被害を受けました。建物の屋根(天井部分の赤いところ、現在は修復されている。写真下)が壊れましたが、従業員が子どもを連れて片づけを行ってくれました。枇杷倶楽部が地域の施設として受け入れられていると感じる出来事だったそうです。

もう一つは、2004年に南房総市として市町村合併の話が持ち上がったとき。「設立のときは、賛同の声も不平不満の声もありました。そんななかで進めてきた枇杷倶楽部ですが、いざ合併の話が持ち上がると、自分たちが守らなければと地域住民が立ち上がってくれたんです。長い時間がかかりましたが、自分たちの施設として受け入れてくれていたのだと実感しました」。

ふり返ると、自分のためにカタチ(=利益)を求めてこなかったと笑う加藤さん。地域の活性化や枇杷倶楽部をどう生かすかを考えてきました。「役場に入ってから、ただただ子どもたちに"富浦出身"と胸を張って言ってもらえるような地域にしたいと思ってきたから」と語ります。昔も今も、新しいものを見つけることや新しい概念に出合うときが楽しいという加藤さんの楽しみは、雑学を得ること、本を読むこと。そんな探究者だからこそ、乗り越えるすべを必死に模索してこられたのでしょう。

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「いまはとにかくコロナを乗り切りたいです。雇用ももっと広げていきたい。地域貢献の活動も増やしていきたい。ですが、枇杷倶楽部は全能ではありません。過疎地域にとって道の駅の存在は、止まらない衰退のスピードを少し緩やかにしているだけといった状況です。今後については、自分の想いや創り上げたものを継いでほしいと思うのが普通かもしれませんが、それはできません。変わっていくことが進化につながっていく。一生懸命やったものがなくなろうが変わろうが、地域が振興していくことが大事だと思っています」

加藤さんは現在、インドネシアのトモホン市で道の駅のプロジェクトを実施中。アグロツーリズム推進による農業振興と防災環境の向上を目的として進めています。「私たちと現地の意向のすり合わせに時間がかかっています。しかもコロナ禍となって渡航もままなりません」と言いつつも、人を集める力とアイデアで苦境を乗り越え、現地の人たちとともに事業に邁進しています。

鎌田振郎さん(南房総市商工観光部商工課課長)

笹川平和財団案件や草の根技術協力事業でベトナムにおけるコーディネーターを担当。現在は道の駅事業から離れ、南房総市の各種事業の重要なキーマンとして活躍。

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左:高橋美智子さん、右:鎌田振郎さん

加藤さんは良いと思うことに妥協をしないですね。草の根技術協力事業でベトナムに行ったときも、日本で作った書類を持参したのですが、現地の状況に合わせて必ず変更を指示します。面倒だからもういいじゃないか、ということはしません。「じゃあ、今のものと変更したもの、どちらがいい」と私に聞いてくるんです。現地のためには新しい指示の方がいいに決まっている。変更作業をせざるを得ないんです。行政においても、一度決めたことを変更するのは難しいことが多いですが、地域のためにはこちらの方が良いと思えば、良い方向に舵を切れる人です。ですから「道の駅」は加藤さんや地域の人たちにとってより良いフィールドだったのではないでしょうか。私自身、国際協力活動(ベトナム)に参加したのと同時に国際交流協会を立ち上げました。その後のJICA事業の経験も活かして同協会を運営しながら、担当を離れた今も、南房総市の姉妹都市との交流事業などに関わっています。

高橋美智子さん(道の駅とみうら 枇杷倶楽部アシスタントマネージャー)

現在、草の根技術協力事業でインドネシアにおけるコーディネーターを担当中。枇杷倶楽部設立当時、役場のアルバイトだった高橋さんを加藤さんがスカウトし、枇杷倶楽部の立ち上げメンバーに加入。

現地での活動では、加藤さんの人間力に救われています。加藤さんは本当に現地の人たちの中に入っていくのが上手です。私は「ハグハグ語」と呼んでいるのですが、現地の人と、ガチっとハグをして挨拶をします。それから日本語で熱意をもって話し掛けます。もちろん通訳さんはいますが、そうした姿勢が信頼を得ることにつながっていますね。「良いことには妥協しない」加藤さんにいい意味で振り回されています。それが今の枇杷倶楽部をつくり上げて、支える人々を魅了しています。ある方から昔、「加藤さんは緻密な計算に基づいた、おおざっぱな人だね」と言われたことがありました。まさにその通りだと思います。本当にいろんなことをご存じで考えも広く、お話しているとすごくいろいろなアイデアが出てきますね。道を示してもらいますが、最後は必ず自分で決めるようにと声を掛けられます。私も「自分が決めたことだから」と今も邁進しています。

枇杷倶楽部の名物・特産品

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枇杷倶楽部では農産物の品種改良も行っています。写真は建物のすぐ裏手にあるイチゴのビニールハウス。冬の時期の観光集客を目指して始まった「いちご狩り」は今では名物に。「いちご狩り」に適した品種改良を行ったり、イチゴの品種説明や知識をお客さまに提供したりと、地域住民であるスタッフがやりがいを持って活躍できるよう工夫しています。毎年10種類程度の品種が栽培されています。

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観光としての農業の振興や特産品のビワを使った加工事業にも取り組んでいます。40アイテム以上の枇杷倶楽部オリジナル商品を生み出し、ビワを「南房総みやげ」として定着させました。商品開発だけにとどまらず、地域に点在する観光資源を束ね、枇杷倶楽部が観光会社に対して企画営業、集客の配分、代金の精算からクレーム処理まで一貫して行う「一括受発注システム」を開発し、手配の専門家であるランドオペレーターとしての役割(機能)を道の駅に持たせました。

プロフィール

加藤文男 かとう・ふみお

1950年、千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。高校を卒業して、町役場に就職し、定年退職するまで地域振興に奮闘。地域振興の要として設立された「道の駅とみうら 枇杷倶楽部」の初代所長を務め、計画の立案、事業運営、特産品の商品開発を手掛けるほか、「一括受発注システム」を開発して、運営した。加えて、人形劇などの地域文化の保護を進めるほかインターネットによる地域情報の発信を行い、枇杷倶楽部のサイトは年間281万のアクセス数を誇る。その手法は国内外からの注目を集めて、毎年多くの視察を受け入れているほか、講演会やシンポジウムのパネリスト、大学講師なども務め、現在は「道の駅とみうら 枇杷倶楽部」の運営会社である株式会社ちば南房総の副社長を務めながら、道の駅を通じた国際協力活動も行っている。

南房総市が提案自治体として活動するJICA草の根技術協力事業