パラリンピックの裏側を見る

手に汗握る熱戦を繰り広げたパラリンピック。その晴れやかな舞台の裏側でひっそり涙をのんだ、途上国のアスリート達を紹介する。

2021年10月1日

コロナ禍中のパラリンピックの光と影 

ケン選手(奥)と兄のゴン選手。
ゴン選手もパラリンピックを目指し練習してきたが、出場は叶わなかった。

 TOKYO2020パラリンピックで、様々な障害者スポーツを目の当たりにし、その奥深さを知り、障害者にとってのスポーツの意味に新たな発見をした人は多いだろう。世界161の国から4003名の選手が参加し、手に汗握る接戦を繰り広げた。しかし、各国の選手数の大きな偏りに気づいた方も多いかもしれない。例えば、日本からは254名の選手が参加した一方、開会式を見ても分かるように選手が1人で参加という国も少なくなかった。
 東南アジアの国、ラオスもその一つだ。ラオスから参加したのはたった1人。陸上男子視覚障害のケン選手21歳。100mでは予選敗退という結果ながら自己ベストを更新しラオスパラ陸上界にとって貴重な歩みとなった。しかし、1人または数人しか選手が出場しなかったラオスを初めとする多くの国には、パラリンピックを目標に練習を重ね、相応の実力を持ちながらも舞台にすら立てなかったアスリートが数多くいたことを忘れてはならない。

コロナ禍前のラオス車いすバスケットボールチームの皆さん。現在はコロナ禍で練習できない日々が続いている。

 日本でも多くのアスリート達がコロナ禍で練習や試合の制限を余儀なくされたが、途上国のそれはより顕著であった。例えばラオスのパラ水泳チーム。練習用のプールは首都ビエンチャンにあるたった一つの25mの屋外プール。パラリンピック出場権獲得のための重要な期間に、このプールはCOVID-19感染拡大防止のため閉鎖となり、アスリート達は自宅やパラ水泳連盟の事務所で筋力トレーニングをするしかなかった。まさに孤独との戦いだ。
 水泳以外の、車いすバスケットボールやゴールボール等でも、国内に数少ない競技場や体育館はコロナで閉鎖となり練習もままならない状態が続いた。また、水際対策を踏まえて出場するには多額の費用も必要であるためパラリンピック出場権をかけた国際大会にも参加できなかった。さらに障害者には免疫が弱い方も多く練習にはコーチやスタッフ、選手同士等多くの接触を伴う競技が大半で、コロナ禍を端とする障壁は何重にも重なり、多くのパラアスリート達がその出場権を得られず涙をのんだ。

多くの人たちの支えが彼らを強くする

生き生きと働くラオス・ヴィエンチャンにあるADDP「みんなのカフェ」のスタッフ。

障害の有無に関わらず皆で楽しめるユニバーサルスポーツ大会(卓球バレー)の一コマ。

 しかし、ラオスのアスリート達は、今回の悲しみを共にし、次のパリでのパラリンピックを目指そう、と明るく励ましてくれる多くの日本人とラオス人に支えられている。
 例えばパラ水泳チームは現地のラオス人理学療法士が筋力トレーニングのメニューを考えて選手やコーチに提案したり、日本人の専門家が遠隔で週2回選手とのミーティングを行い、彼らのモチベーションを保つ等、今できる最善の提案をしている。
 これらの活動を担っているのは現地で草の根技術協力事業「ラオス障害者スポーツ普及促進プロジェクト」を展開するADDP(特定非営利活動法人アジアの障害者活動を支援する会)である。
 ADDPの事業はラオスでのパラスポーツ選手育成だけでなく、コーチの育成、パラアスリートの発掘、障害者の就労機会と社会参加を促進するためのカフェの展開などその活動は多岐にわたる。
 特にスポーツについては、障害者とそうでない人達が共に楽しめるユニバーサルスポーツ大会をラオス全土で開催し、障害者同士の仲間作り、社会参加促進、障害のない人たちへの啓発等、ラオス教育スポーツ省と日本人専門家を巻き込んで精力的な活動を展開している。 

新たなパラスポーツアスリートの誕生と広がるスポーツの可能性 

水泳大会でメダルと賞状を貰うケオさん(右から2番目)

 生まれつき両腕がない、ケオさん(26)もパラアスリートとしての才能を見出された一人だ。チャンパサック県で開催されたユニバーサルスポーツイベントに仲間作りの一環で参加したケオさんの才能が、日本人専門家の目に留まったのだ。
 家では家族の農業を手伝いながら生活をしていたが、パラスポーツを目指すアスリートとしてスカウトされ、パラ水泳チームの一員となったことはケオさんの自信に繋がった。もちろん周囲の目が変わったのは言うまでもない。しかし、ケオさんのようにパラアスリートになれる障害者はほんの一握りだ。途上国では多くの障害者は周囲の理解に恵まれず、スポーツのようなレクリエーションへの参加はもちろんのこと、経済的にも社会参加に多くのバリアを抱えているのが現状だ。

ケオさん(中央下)と水泳仲間の皆さん。めざせパリ2024!

 TOKYO2020パラリンピックは多くの人が障害者スポーツを知り、障害とは何かを考える良いきっかけとなっただろう。皆さん自身は、この大会を通して障害について何を感じどう思われただろうか? 

 選手たちのパフォーマンスを見て「障害を乗り越えて頑張っている」と感動された方もいるかもしれない。しかし、感動で終わらせて欲しくない。なぜなら、障害とは本来個人が乗り越えるものではなく、社会がその多様性を受け入れた上で誰もが共に生きやすい環境を整えていくことこそが重要であり、それを乗り越えるべきものにしてしまっているのは社会だからだ。

 そして同時に、考えて欲しい。パラリンピックに出場できるのはほんの一握りの選手であり、完全ではないにしても練習環境に恵まれた人々だ。JICAはパラスポーツはもちろんであるが、「みんなのスポーツ」(sports for all)の視点でスポーツを通じた障害者の社会参加の促進を支援していく。

※2021年12月12日(日)、JICA東京主催で「ユニバーサルスポーツフェスティバル」を開催します。 ユニバーサルスポーツを皆で体験できるイベントです。(詳細は近日ご案内開始いたします) お楽しみに!