南スーダンの悲願だった平和と自由の象徴「フリーダム・ブリッジ」が完成

2022年5月20日

南スーダンを流れるナイル川に、国内初のアーチ型鋼橋をつくる————。
2012年より進められてきた南スーダン・ジュバ市でのナイル架橋建設プロジェクトが完工を迎えました。田中明彦JICA理事長も就任後初の海外出張として日本から駆けつけ、5月19日に開通式が開催されました。出席したキール大統領は「この橋は、南スーダンと日本の真の友情を示す、永続的な証拠となるであろう。この素晴らしい贈り物をくれた日本の国民と政府に感謝をする」と述べました。
度重なる紛争やコロナ禍による3度もの中断を乗り越えて完成したこの橋は、同国の平和と自由、そして明るい未来への期待を込めて、現地の人々に「Freedom Bridge=フリーダム・ブリッジ」と呼ばれています。

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完成したフリーダム・ブリッジ。日本と南スーダンの国旗とともに。

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開通式に参加したキール大統領(中央)

 

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キール大統領とマシャール第一副大統領と共に橋梁開通を祝う田中理事長

新たな橋の誕生による、物流の円滑化と経済発展を目指して

「ようやく完成してほっとしたという思いとともに、南スーダンの人々に貢献できたことに心から喜びを感じています。私たちと一緒に辛抱強く建設に携わってくれた多くの南スーダンの作業員たちに感謝します」
こう語るのは、プロジェクトの当初から常駐監理者として現場を統括してきたエンジニアリング・コンサルタント(建設技研インターナショナル)の梅田典夫さん。
「コンサルタント、施工業者、現地の現場スタッフ、政府関係者など、日本と南スーダン双方の多くの人々がチームワークで幾多の困難を乗り越え、このような大きな事業を成し遂げたこと、そしてこの橋がこれから人々の生活、経済の向上に貢献していくこと、どちらも非常に大きな意味があります。」と、JICA南スーダン事務所の相良冬木所長も強調します。この架橋建設プロジェクトは、日本政府の無償資金協力によって行われ、JICAはその実施監理を担ってきました。

2011年にスーダンから分離独立を果たした、世界で一番新しい国である南スーダンが歩んできた道のりは、混乱と苦難の連続でした。半世紀にわたるアフリカ最長の内戦を経て、犠牲者は200万人以上発生しました。60を超える多民族国家ゆえ、独立後も民族間の融和が容易ではなく、武装衝突が頻発し、現在も370万人以上の難民や国内避難民を抱えています。貧困や不十分な教育など多くの課題を抱えながらも、新たな国づくりを始める中で、未来への期待を込めた独立記念事業のひとつが、フリーダム・ブリッジの建設でした。

「内陸国である南スーダンは、中央部に大湿原地帯があり、もともと物流は容易ではありません。その上、独立前には長い内戦期もあり交通インフラの開発は進みませんでした。首都ジュバでナイル川に架かる唯一の橋“ジュバ・ブリッジ”も50年前につくられた仮設の橋で、度々損傷が発生し、今後、崩落する可能性もあります」と語る相良所長。とはいえ、国際幹線道路を通じて隣国のウガンダやケニアから物資を首都ジュバに運ぶためには、既存の橋を通ってナイル川を超えるしかありませんでした。この国際幹線は、ジュバ市からウガンダの首都カンパラ、ケニアの首都ナイロビ、さらにケニアのモンバサ港までを結んでおり、復興のための物資を運ぶ生命線ともいえる道路です。交通渋滞も深刻化する中、今後の人口増加も鑑みた都市計画を考える必要があり、JICAは道路網を整備し新たな橋をつくる道路計画の作成に協力しました。この計画に基づいて国際物流の円滑化を図り、国の復興や経済発展につなげたい、という現地の期待を受け、2012年に橋の建設プロジェクトがスタートしました。「フリーダム・ブリッジ」という名前は、念願の独立を果たした南スーダンの人々が、自由と平和への希望を込めて名付けたものです。

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南スーダンとその周辺国

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首都のジュバ市内では、車やバイクの渋滞が常態化している。

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2013年より着工開始。大型重機や資材なども次々と運び入れられた。

こうして、全長560mとなる橋の建設が始まりました。ナイル川に架かる国内初のアーチ型鋼橋であり、「土木屋としての使命感に燃えました」と梅田さんは熱く語ります。着工は2013年で、当初は2017年に開通予定でしたが、途中、工事は3回も中断を余儀なくされます。そのうち2回は、民族間の政権争いに起因する武力衝突の激化によるものでした。1回目は1年余り、2回目は2年半以上もの間、日本人スタッフは国外退避を強いられましたが、「その間も、現地の南スーダン人職員と毎日メールや電話で連絡を取り合い、現場の保全を行うとともに、施主とのつながりを絶やさないように努めました」と梅田さん。日本側も南スーダン側も早く現場を再開したいという思いはひとつだったといいます。2回目の衝突が2018年の和平合意により収束した後、半分ほど終わっていた工事が2019年に再開されました。しかし、翌年には再び国外待避の事態に見舞われてしまいます。コロナ禍による3回目の中断でした。その1年近く後に再開が可能となり、2022年5月、ついに完工を迎えたのです。

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着工より完成までの建設工事期間の記録。

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アーチ部の桁の組み立ての様子。現地作業員は最も多い時で200人近くにものぼった。

橋づくりから人づくりへ。日本から南スーダンへの貢献

日本側のコンサルタントと施工業者は、最大200名ほどの南スーダン人作業員と共に働き、橋梁建設に関する技術移転に努めました。そして、技術面だけでなく、規律や安全に対する人材教育にも力を入れたことに手応えを感じたと梅田さんは語ります。
「施工業者である大日本土木の、統制の取れた労務・安全管理が素晴らしかったですね。毎朝の朝礼、ラジオ体操、班ごとのTool Box Meeting。工事の進捗の状況や毎月の目標を説明し、規律を正しつつ皆の作業意欲と士気を高めていました。また、日本人の鳶職人たちの日常的な整理整頓の習慣も現地作業員に自然に伝わり、作業員はもちろん運転手までもが自発的に掃除をするようになったことで、現場はいつもきれいな状態に保たれていました」
南スーダンの人々は、学びの姿勢が素直で真面目に働くため、気持ちよく仕事ができたという梅田さん。
「土木工事というのは地下に作る構造物が主となっており完成後は見えなくなります。今回は川の中の橋梁工事がその最も顕著となる作業で、水面下7mの岩盤に最初の橋脚コンクリートを打設した時は深い安堵感に浸ったものでした。南スーダンの作業員はきつい作業も厭わず、みな一生懸命働いてくれましたので、同じように達成感を味わったのではないでしょうか。国籍の違う人たちが力を合わせて目的に向かって進む、これこそが海外での土木工事の醍醐味といえると思います。南スーダンには、このような大規模な工事は他にないのが現状ですが、ここで培った経験と技術を、今後の国づくりに活かしてほしいと思っています」

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水面下7mの鋼管矢板で囲まれた中で、橋脚基礎を硬岩の中に埋め込むために掘削をしているところ。

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梅田さん(中央)は現地の若者たちの教育にも力を注いだ。野外実習としてジュバ大学土木工学科の学生を現場に招き、講義を行った。二人三脚で事業を遂行した大日本土木㈱の日下 清所長(右)も共に。

開通式ではキール大統領が力を込めて語りました。「我々の国の平和を維持するよう、南スーダンの人々には一生懸命取り組んでほしい。橋の完成までにかかった時間は、いかに我々の戦争が開発を遅らせたのかを示す生きた証拠でもある。平和を維持することで、サービス・デリバリーや更なる開発プロジェクトに集中することができる。橋を大事にすることにより、日本の友人に感謝を示そう。通行するときには安全に運転しよう。この橋は新しいライフラインであり、地域への新しいゲートウェイであるから」。
紛争やコロナ禍という、さまざまな困難を乗り越え、ジュバに安定が戻ったことによって無事完成したフリーダム・ブリッジであるからこそ、この橋は、平和の象徴でもあると相良所長も語ります。
「南スーダンには多様な民族が暮らし、その価値観や文化、生活スタイルも多様ですが、国民として皆が共有できる価値も必要です。この橋が、さらなる平和と自由を共に希求していく拠り所として、国民に永く愛され、活用されることを願っています」