【JICA横浜 新企画!】スポーツで世界を、日本を、盛り上げたい! -JICA海外協力隊×スポーツ- 第1回前編:髙橋昭文さん(ミクロネシア・水泳)
2020.08.18
「スポーツで世界を、日本を、盛り上げたい!」
大会が延期となった現在も、そしてこれまでも、多くの人々がスポーツで世界と日本を、盛り上げてきました。
異国の地でスポーツを通じた国際協力に携わるJICA海外協力隊もその一人。
彼・彼女らは、これまでどのような活動をし、そして来年の東京オリンピック・パラリンピックをどう見ているのでしょうか?
このコーナーでは、元協力隊員である私佐野が、神奈川・山梨に縁のある方々にお話を伺います。
第1回前編:髙橋昭文(タカハシアキフミ)さん(ミクロネシア・水泳)
競泳のオセアニア選手権大会(2018年、パプアニューギニア)で開会式の入場を待つ髙橋さん(右から2番目)
【隊員データ】
隊員区分:シニア海外協力隊
派遣国:ミクロネシア 職種:水泳
派遣期間:2017/03/28~2019/08/07(長期派遣)
2019/12/10~2020/08/02(短期派遣)
*世界的な新型コロナウイルス感染拡大の影響で本年3月下旬より一時帰国となりました。
配属先:オリンピック委員会
横浜市出身の髙橋さんは2017年3月、シニア海外協力隊としてミクロネシアに派遣されました。約2年半の任期が終わり、一度日本に帰国した後も、再度協力隊としてミクロネシアへ。このように継続してミクロネシアでの競泳選手の育成に関わる中、来年の東京オリンピックへの出場が有力視される選手の育成にも携わります。
髙橋さんはこれまでどのような活動を行い、そして東京オリンピック・パラリンピックをどう見ているのでしょうか? 前編では、髙橋さんが協力隊に参加するまでの経緯、そしてミクロネシアでの活動内容について伺いました。
髙橋さんは中学生の時に水泳を始め、大学卒業までは競泳選手として活躍し、社会人になった後も水泳を続けてきました。そして、60歳を過ぎてから水泳を通したボランティア活動に興味を持ちます。
佐野:
協力隊に興味を持つきっかけは何でしたか?
髙橋:
もともと40歳過ぎから児童養護施設の訪問をしており、水泳とは別にボランティアに興味を持っていました。協力隊に興味を持ったのは、知人がシニア海外協力隊に参加したことがきっかけですね。その知人から話を聞いて、私も何かできないかと思い、協力隊の募集を見るようになりました。
佐野:
ミクロネシアは希望をされたのですか?
髙橋:
いいえ。というより、私が応募した時、水泳コーチでシニア海外協力隊の募集が出ていたのが、ミクロネシアとエチオピアだけでした。ですので、合格するまではミクロネシアがどこにあるのかも知りませんでした(笑)。
佐野:
それではミクロネシアに着いたばかりの頃は驚くことも多かったのでは?
聞き手の佐野(左)と髙橋さん(右)
髙橋:
「意外と普通に住めるな」というのが最初の印象でした。主に4つの島からできているミクロネシアの内、首都がおかれるポンペイ島に住んでいたというのもありますが、社会インフラが整っているだけでなく、虫も少ない(笑)。一方文化面では、犬を食べることに驚きましたね。人々は概ね親日的な印象でした。歴史的な背景もあり、日本の血が流れている方もいます。「がんばれ」・「よーいドン」・「ジドシャ」(自動車の意味)という言葉が残っていたりもするんです。
佐野:
髙橋さんがミクロネシアの方と話す言葉は英語ですか?
髙橋:
そうです。ただ主要な4つの島ごとに現地語があります。公立の学校では現地語で授業、私立の学校では英語で授業、という違いもあるんです。多くの裕福な家庭の子どもたちが私立学校に通うミクロネシアでは、貧富の差によって英語が話せるか否かに差がありました。「こんな小さな島で貧富の差が!?」と、とても驚いたのを覚えています。
ミクロネシア水泳連盟の競泳ヘッドコーチとなった髙橋さんに求められていることは、主に国際大会に向けた選手強化と大会への引率です。日々の練習は国内に唯一あるプールで行っていますが、機器の故障や頻繁な停電、豪雨や高温などにより練習環境は十分ではないようで……
佐野:
普段はどのように水泳の指導をしていましたか?
髙橋:
活動先では、選手のレベルごとに水泳のクラスが分かれていて、私は一番上のクラスを担当していました。選手は中高生の子どもたちです。当初は午後のみの週3回練習していましたが、その後は午前午後あわせて最大で週11回練習するようになりました。プールだけではなく、陸上でのトレーニングもしていましたね。午前の練習は、朝6時から軽く。午後の練習も、最初はプールが使えるのが1時間半ほどだけでした。というのも、配属先のオリンピック委員会はNGOだったので、自分たちでお金をまかなう必要があり、水泳クラブの収入源として、プールの一般開放も行っていたからです。
一般開放も行っていたので、プールには地元の人々も来るわけですが、泳ぐためには使用料を払わないといけない。それに交通機関が車しかないミクロネシアでは、プールまで来るための手段がない人もたくさんいる。「スポーツができる人は裕福だ」、なんて感じてしまいましたね。
佐野:
練習の回数が増えたというのは?
髙橋:
選手がやる気を出したからです。プールが1つしかないミクロネシアにおいて試合をするためには、海外に行かないといけません。ミクロネシアに派遣されて1年がたったころ、選手7、8人を連れてサイパンとパラオに行きました。そこで選手たちが自分たちの力の無さを実感し、それまで休みだった朝や土曜日も練習をするようになったんです。
佐野:
練習をするときに何か注意したこと・工夫したことはありましたか?
髙橋:
一番注意したのは安全面です。気温が高いミクロネシアでは、水温が高くなりすぎて練習を続けるには危険。そんな時はシャワーで体を冷やさせてから、プールに入らせましたね。それと天候にも注意しました。ゲリラ豪雨のような雨が降りますし、雷も多い。そうなったら練習を休みにしたり、陸上でのトレーニングに切り替えたりしました。
ですので、練習計画がうまく消化できないことも多い。それでも「郷に入っては郷に従え」というポリシーを持って柔軟に対応してきました。
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「郷に入っては郷に従え」のポリシーを持ち、ミクロネシアの競泳選手と向き合ってきた髙橋さん。実は東京オリンピックへの出場が有力視される選手の指導にも携わります。この選手たちとの出会いと、東京オリンピック・パラリンピックへの想い、続きは後編で!(文責:JICA横浜 佐野太一)
*この対談は、2020年7月14日にオンライン上で実施したものです。
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