教育

専門家から国際協力での仕事を目指す方へのメッセージ(水野専門員)

国際協力の道に入ったきっかけ

子どもの頃に何か大きなきっかけがあったというよりは、中学時代から海外に興味を持ち始め、高校や大学での交換留学を経て、様々な国の人と働く仕事をしたいという気持ちが強くなりました。そのためにもっと学びたいとアメリカの大学院に進学し、ビジネスコンサルティングの会社への就職も決まっていたことから、国際協力の道に進むことは実はこの時点では考えていませんでした。しかし、在学中に、国際学や開発学を専門とする先生方のもとで国際関係論や開発経済学を学び、いろいろな国から留学してきた友人も大勢いましたので、国際機関にも漠然とした関心はありました。そんな中、私が所属していた国際学部の掲示板で国連のJPO(Junior Professional Officer)採用制度の募集を目にしたことから、なんとなく応募してみたら合格の通知をいただきました。それまで途上国を訪問したことはなかったのですが、国際機関の開発協力のフィールドで働くのも若いうちでこそできる貴重な経験であると思い、内定をいただいていた会社をお断りして、国連工業開発機関(United Nations Industrial Development Organization, UNIDO)の駐在オフィサーとしてマレーシアのUNDP事務所で働くことになりました。UNIDOは国連の専門機関であり独自の財源は限られていたことから事業資金は積極的にかき集めなければならず、当時、トップドナーであった日本の援助資金力に魅力を感じ、日本のODA実施機関の中に入って経験を積みたいと考えるようになりました。ご縁があってJICAのジュニア専門員になり、当時の国際協力総合研修所の調査研究課で、国連との連携推進等のテーマで調査を企画実施しました。国連をはじめとした"連携"をテーマにしていたこともあり、日米コモンアジェンダの枠組みに途上国の女性支援が新たな分野として加わり、グアテマラ共和国にて女子初等教育推進のために日米で連携することが両国で合意されたことを受けて、これを具体的に進めるべくグアテマラ教育省に初代専門家として派遣されました。当時(1996年)は、JICAは基礎教育における技術協力はまだ着手したばかりといった時代で、女子教育の推進を目標に掲げた技術協力など全く実績がありませんでしたが、個別専門家が中心となって無償資金協力、研修事業、青年海外協力隊、草の根無償といった日本が持つ援助スキームに加えて、UNDPWID基金等外部資金も活用するなど、政策から現場までをつなぎ、USAID(United States Agency for International Development)とも連携しながらプログラム的な取り組みを企画・運営する機会に恵まれました。そしてグアテマラで活動するなかで、現場での事業改善に資する研究に取り組みたいという気持ちが強くなり、その後博士課程に進みました。研究中も短期専門家として継続的にグアテマラでの協力事業に関わりながら、ジェンダーを中心とした格差是正に向けた教育協力をテーマに博士論文を纏めました。博士課程在籍中、グアテマラの短期専門家に加えて、無償資金協力やプロジェクト形成調査等、いろいろな国での教育調査にも関わらせていただき、平和構築のための教育協力に関する調査研究等もまとめる機会がありました。現在はそれぞれの案件で実施する調査に対して助言等をする立場にあり、なかなか自分が研究する機会には恵まれませんが、このころ培った現場での経験や取り纏めた研究成果は現在の自分の国際協力に対する理念や哲学の基盤となっています。

活動中に直面した壁

グアテマラ教育省に専門家として派遣された当初、教育省が日本から専門家を受け入れるのは初めてということや、日米コモンアジェンダにおけるUSAIDとの連携推進が私の主要なタスクであったこともあり、教育省は実は私の役割がよくわかっておらず、まずは居場所の確保や存在のアピールから始まりました。ゼロというよりは、マイナスから自分の活動を作り上げなければいけない状況でした。また、僻地の学校教育の現状を把握するにつれて学校に通うことの必要性を保護者にどう訴えるべきか難しさを感じるようになりました。時間になっても先生が来ない、教室の中では授業が成り立っていない、等の現実を目の当たりにして、学校にくることの意義やメリットを保護者が実感し、ぜひ通わせたいと思うような魅力的な学校にする必要があると強く実感しました。学校に行っても何も得るものがないのであれば、学校に行く時間に畑で働くほうが経済的にも妥当な選択ですよね。教育を受ければよいことがある、よりよい生活が営める、といったことを保護者が納得できてこそはじめてこどもを学校に通わせようと思うわけです。当時の教育開発の潮流は就学率向上に重点がおかれていましたが、教育の重要性に対する保護者、住民に対する啓発に加えて、学校教育の質そのものの向上に根本的に取り組む必要があると痛感しました。他方、私の活動は、女子教育を推進していくために、なぜ女子も男子と同様に教育を受けることが重要なのか、女子が学校に行くためにどのような課題があり、それらにどのように取り組むことができるか、といった教育への入り口を広げていくことを目的に、教育本省の政策レベルでの取り組みを推進し、これを地方教育行政官を含む校長や教員、保護者のいる現場レベルの活動につなげていく、またそのための関係者の能力開発や啓発活動が主なものでしたので、教育を魅力的なものにするための"中味"にまで深く踏み込むには限界を感じたことを覚えています。マイナスからの始まりで、自分自身で活動の土台をしっかり作り、外部資金の調達も含め、チャンスを逃さずアクセスし得るスキームを総動員して進める、という今とは少し異なる"現場主導"のやり方で活動を進めましたが、比較的円滑に進めることができたのは日米コモンアジェンダという政策的な裏付けがあったからと思います。忙しさに追われ、目まぐるしい毎日でしたが、多くの楽しみややりがいがありました。現地では公私ともに人にも恵まれ、スペイン語という言語の壁も思ったよりもすぐに乗り越えることができました。人間、窮地に立たされると底力が出るもので、また、若かったからこそ楽しく乗り越えられたのだと思います。

これまでの活動を振り返って

博士号取得後、再びグアテマラで長期専門家として活動しましたが、今度は教育ではなく感染症(シャーガス病)対策プロジェクトのマネジメントに携わりました。他にも選択肢があった中で、結果として再びJICA専門家として、しかもグアテマラに戻ることになったのは、きっとJICAにもグアテマラにも強い縁があったのだと思います。グアテマラでは女子教育で派遣されていた当時のネットワークが感染症対策の活動の幅を大きく広げてくれました。シャーガス病対策は貧困の病とも呼ばれ、殺虫剤散布だけではコントロールすることはむずかしく、住居改善や、病気や予防策に対する住民の理解と行動変容が重要です。教育省の内外に作った友人、ネットワークをもとに、保健省を超えて、住居省、教育省、NGOとも連携し、包括的にシャーガス病対策に取り組むことができました。当時は、業務の中身について私自身が柔軟に広げていくことができたので、現場で見出した可能性を惜しみなく追求することができ、住居改善プログラムとの連携やシャーガス病の知識や予防策を初等カリキュラムに取り入れる等、活動や成果が広がりました。住民教育については、地域の保健事務所に所属する殺虫剤撒布員が村を一軒一軒回って病気や予防策について住民に説明するのですが、撒布員の病気に対する知識も一様ではないのが課題であったことから、住民にわかりやすく正しい情報を伝えるために、感染リスクの高い地域に派遣されていたJICA海外協力隊員と連携して住民啓発に取り組みました。隊員のなかに絵が上手な人がいたので、彼といっしょに、撒布員が常に携帯できるミニ紙芝居を作り、正しい啓発活動の促進に取り組み、殺虫剤散布活動にも参加しました。車が通れない道で噴霧器をしょって、時には数時間歩き、小屋とも言えない動物が出入りする暗い家屋の内壁に殺虫剤を撒くなかで、貧困の人々の暮らしの現状を目の当たりにしました。貧困地域の僻地の人々の生活の現状を識ることで、教育を提供したい人たちの過酷な暮らしについて理解が深まり、彼らが人間として尊厳を持って暮らしていくことに役立つ教育とはどのようなものか、開発における教育の役割や目指すべき方向性について教育の専門家としてあらためて問い直すきっかけを提供してくれた貴重な経験となりました。住民の家を訪問する際、毎度大量の蚤に刺されあまりの痒さにつらい思いをしたことも今となっては懐かしい思い出です。こうして、JICAに関わった業務がご縁もあって自然とつながり、それらで得た経験や知識をもとに、今は国際協力専門員としてさまざまな国での教育協力にかかわることができています。

活動の中で意識すること

【画像】業務の中では、常に途上国の視点に立つことを心掛け、この協力は誰のために、何をどのように目指すものかを考えるようにしています。JICAの基礎教育協力は、途上国の将来を担う子供たちの未来を拓くことにつながるようさまざまなアプローチをとっていますが、各国で協力を考えるとき、JICAという肩幅からではなく、その国の教育課題の解決に向けて誰がどういう支援をしているのか、どうすれば課題解決に向けてより大きな開発効果をもたらすことができるか、JICAがどのように貢献できるか、など考えます。

ジェンダー主流化の議論と関連しますが、私は、個々人が性別やさまざまな属性を超えて、一人の人間としてやりたいことや可能性が制限されることのない、それを応援できる社会になるよう、教育を切り口に取り組みたいと考えています。例えば、格差のない公平な社会を目指すには、就学率や修了率からみえる格差にとどまらず、教育を受けることで、個々がやりたいことを選択し、追求できる、その可能性や機会が平等である社会であること、そうあるために教育ができること、すべきことを考えることが重要であると思います。格差や平等という言葉をいろいろな視点や切り口から考えることがとても大切ですね。

これから国際協力分野で活躍しようとしている方へメッセージ

一番はじめは誰だって知識も経験もないところから始めます。そこからどういう風に経験や知識を積み上げていくのかが重要だと私は思います。経験の積み上げ方は人それぞれですが、私が大切にしているのは「探求心を持って学ぶ」ということに加えて、「さまざまな視点を尊重し、総体として何かを生み出す」ことです。現場で得た知識や経験と頭に入っている知識を組み合わせてその国の向かうべき方向にいかにより添うべきかを考え、関係者と議論することでその段階ごとにやるべきことがみえてくると思います。私は人とのつながりやそこからさまざまな視点や異なる経験を理解することがとても大切だと思うので、考え方やアプローチが違う人や組織も含めて、よくコミュニケーションをとり、理解、協力し合える能力も重要だと思っています。そのプロセスの中で新しいものが生まれて、国の発展や組織の発展、そしてそれは自分の発展にもつながります。また、私たちの視点の中心は常に活動をともに進める途上国であるべきことを忘れずに、協力の内容や取り組み方を考えることが大事であると思います。私もまだまだ学び途中ですが、途上国やそこで暮らす人々や子供のよりよい未来のためにともに取り組みたいと思う方にはとてもやりがいのあるお仕事ではないかと思います。

水野敬子 国際協力専門員

【画像】JICA国際協力専門員(教育)。学術博士(東京工業大学大学院)。UNIDO/UNDPマレーシア事務所、JICA国際協力総合研修所調査研究課を経て1996年より日米コモンアジェンダによるグアテマラ女子教育推進に長期および短期専門家として携わる。2002年から再び同国でシャーガス病対策プロジェクトのマネジメントに長期専門家として従事。2005年より現職。2013年から2016年はラオス教育スポーツ省政策アドバイザーとしても活動。専門は教育開発、ジェンダー。