教育

専門家から国際協力での仕事を目指す方へのメッセージ(又地専門員)

国際協力の道に入ったきっかけ

小学生の頃、世界各地の自然や動物、各国独自の文化や風習を紹介する『驚異の世界』や、世界中の野生動物を紹介する『野生の王国』という番組に影響され、漠然とアフリカの大地を見てみたいと思っていました。他にも強く印象に残っているテレビ番組は、中学生の頃に見た『ルーツ」という米国における三代にわたるアフリカ人奴隷の話です。人種差別を受けながらも、人間としての尊厳を失わずに生きていくという話ですが、同じ人間なのにたまたま生まれた場所が違うだけで、なぜ差別を受けなければならないのか。当時は純粋に「それはおかしい」と感じていて、ずっと心に残っていました。こういった経験が種のように、自分の中にあったように思います。

大学では電気工学を専攻したのですが、高校生の頃から漠然と教師になりたいという思いがあり、教員免許を取得しました。大学生の時に友人から勧められて読んだ「ガーナ噴射(注)」という青年海外協力隊の理数科教師隊員が書いた本を読んで以来、青年海外協力隊というイメージが頭の中にずっと残っていました。

大学院に進んで超電導素子の研究を行っていたのですが、その時にアルバイトで関わっていたソフトウエア専門学校の講師の仕事が研究よりずっと楽しく、この時に教員になりたいという思いを強くしました。しかし、教員になる前に「社会勉強」をしておきたいと考え、新卒時に国際協力分野とは関係ない民間企業に就職しましたが、5年程働いた後、「やっぱり途上国で働きたい。教師にもなりたい。方向転換するのであれば、これ以上遅くならない方がいい」と思い、青年海外協力隊に参加することを決めました。

青年海外協力隊・大学院の経験を振り返って

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8年生の理科の実験中

青年海外協力隊では理数科教師としてパプアニューギニア(以下PNG)に派遣されました。7-8年生(日本の中学1-2年生)の理科と数学を担当しました。7年生から授業は英語で行われるのですが、日本での教員経験がなく、英語力も十分でなかったので、毎日授業すること自体がたいへんでした。同僚の理科教科主任にPNGでの教え方を聞いたり、同僚の英語教員に、毎週、翌週の授業案の英語を見てもらったりしながら活動しました。現地の指導主事に授業を見てもらい助言も受けました。

PNGの州立のハイスクール(日本の中学1年から高校1年に相当)の設備は結構整っていて、理科については最低限の実験器具はありましたが、錆びたり、壊れているものが多く、それを修理したり、紙やすりで磨くところから始めました。丸太を使ってシーソーを作って生徒に体験してもらうなど、実験器具を作って再生したり、自作したりすると、教科書にある多くの理科実験ができるようになりました。

活動が1年を過ぎる頃には、現地の課題も少しずつ見えてきて、自分にできることを提案するようになりました。例えば、最終学年である10年生は卒業試験があるのですが、学校として対策をやっていなかったので、受験対策をやってみてはどうかと提案しました。自分が受験生の時の経験から、過去にどういった問題が出たのか分野ごとに表を作成して、過去問の出題傾向を分析し、それを基に受験対策勉強会を実施しました。

PNGは自然が豊かで、生徒や同僚たちは純粋で優しく、人の原点に触れられるような気がしていました。しかし、生徒に対して厳しくするのが当然というような風潮や滅多に生徒を褒めない現地の教育のあり方に疑問も持ちました。途上国の教育のために、何か自分が役に立てることはないかと考えるようになりました。そんな時、たまたま現地に調査で来られていた国際協力専門員の方と会う機会があり、相談したところ、「国際協力の業界で活躍したいのであれば留学するといい」と言われました。これが大学院に進学しようと思ったきっかけです。任期終了後、日本で1年間、開発経済学の基礎を学び、次の1年間はアメリカで国際比較教育学を学びました。ただ机上の勉強には、あまり関心が持てず、早く現場に行きたいといつも感じていました。

ジュニア専門員の経験-リフレクションの定着のために-

大学院を卒業して、一か月後にジュニア専門員となり、半年後にプロジェクト調整員として南アフリカへ派遣されることが決まりました。そのポストを希望するジュニア専門員がいなかったらしく、ジュニア専門員になって3か月も経たない私にこの話が来たようです。

この案件は、当時、専門家チーム派遣(ミニプロ)と言われていたものです。年1回の国別研修と年3回、広島大学と鳴門教育大学の先生たちが短期専門家として南アフリカに来て行うTOT研修(州の指導主事に対する研修)を実施することを通して、州全体の現職教員研修の仕組みを構築するのが主な活動と目的でした。現地常駐の専門家は、私一人で、主な業務はTOT研修のニーズの特定や準備、フォローアップ活動、現地のネットワークの開拓等でした。

短期専門家の先生たちが現地にいるときは、一緒に現場を回りながら、理数科教育に関する専門的な知識や技術を、先生方からいろいろと学ぶことができました。現地に年3回派遣される先生たちとの協働作業は、私にとっては研修そのものでした。先生たちから多くのことを学ぶことができただけではなく、先生方とは今でも交流が続いています。

この案件の中で、特に重視していたことの一つは、「振り返り」の習慣を根付かせることでした。振り返りとか反省会というのは、日本では学校でも職場でも普通に行われることですが、南アフリカの州教育省の指導主事たちは、教員向けの研修を実施し終えるとすぐに解散し、その後の反省をほとんど行わないのが普通でした。そのため、同じようなミスを繰り返すことがあったため、研修を終えると、関係者が集まって、何がうまくいったのか行かなかったのか、それはなぜなのか等、自分たちが行ったことを振り返ることを行うようにしました。プロジェクトではこれをリフレクションと呼び、研修の後には必ずリフレクションをやることを習慣にするようにしました。

最初は、指導主事たちは面倒に思っていたようですが、一緒に反省を行うことで同じ失敗をしなくなることに気づいたときに、その良さをわかってくれたようです。ある日、私がリフレクションを忘れて帰ろうとした時があったのですが、その時はカウンターパート達から「今日はリフレクションをやらないのか?」と言われました。その言葉がとても嬉しかったことを覚えています。その後、リフレクションという行為が習慣として定着しました。

国際機関の道へ

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JPO時代のワークショップの様子

ジュニア専門員として配属になった部署の当時の部長から、「この道でやっていくなら、国際機関で経験を積むとよい」とアドバイスを受けたこともあり、その後、JPO制度を使ってUNESCOアフリカ能力開発研究所で働くこととなりました。

配属機関を選ぶ際に、UNESCOかUNICEFにすべきか迷いました。UNICEFは現場での実践に強みを持ちます。また、子どもに関する様々な領域を対象とするので、教育だけではなく保健衛生などいろいろな分野を担当することになります。他方ユネスコは、教育部門に配属されると教育だけに関わり続けることが可能になります。現場中心のユニセフか、(政策レベルで)教育に専念できるUNESCOかと

悩んだ末、UNESCOを選びました。

当時の上司(所長)はジンバブエの元教育大臣であり、彼女は自身の経験から、アフリカの経済発展を推進するためには、教育部門と経済開発部門のスタッフ間のコミュニケーションが重要であると考えていました。そのために、教育が分かる経済開発スタッフと経済が分かる教育省スタッフを育成することが必要だと考えていました。

そこで所長は、教育と経済について学ぶためのプログラムを始めたいと考えていて、私がこのプログラムを担当することとなり、アフリカの国連機関や高等教育分野で経済や教育を専門とする人たちを集めてワークショップ開き、カリキュラム作りを行いました。他には、アフリカの教育大臣を集めて行うワークショップなども実施しました。さすがユネスコは、政策決定者などの上流に強みを持つ組織だと感じました。

人との繋がりは大切

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専門家時代、先方政府関係者との打ち合わせ中

エチオピアにいたころには、正規職員としてユネスコに残ることを考えていました。ところが、予算不足などからユネスコの教育部門の採用が一時的にストップされることになってしまいました。ちょうどその頃、JICAの専門員に受かったと知らせを受け、JICAの専門員として採用していただきました。実は専門員試験にはその前年も受験して一度落ちたのですが、エチオピアにいた時に出張に来られた専門員の方に、「もう一度挑戦してみては?」と言われ、再度受験して合格しました。今になって考えると、青年海外協力隊も留学も国際機関もJICA専門員も、周りの人から受けた助言が、自分の中に種のように残っていて、それが、何かのタイミングに出てくるような感じを持っています。

お仕事で意識されていることは?

【画像】私は案件形成の時などに相手国と話すときに、「(国や組織として)どうなりたいのか」、「(国や組織として)何ができるようになりたいのか」という話を必ず聞くようにします。そして、そのためにその国(教育省などの組織)自身がしなければならないことと、JICAが協力できることを整理して説明します。JICAの技術協力でできることは、側面支援や、相手国がやらなければならないことの一部(だけ)で、最終的にはその国自身のリソースを使って、その国自身の手(人々)で、望む状況を維持・発展させる必要があります。そのため、人材、資金、制度づくりなど、その国自身がやらなければならないことがたくさん出てきます。

こういう話をする中で、相手国側が望む状況を創るため、また維持・発展させるためには相手国自身がやらなければならないことがたくさんあることを理解してもらうことが非常に重要になります。この時に重要なことは、相手がそれを本気でやりたいと思っているかどうかという点になります。なぜなら、相手国が本気でやりたいと思っていることでなければ、相手国側は、自らの人、お金、時間を使ってでもやろうという気が起こらないからです。

相手国は自分たちでやるというスタンスを忘れて、JICAにやってもらいたいことを要望する場合が少なくないので、この見極めを行うことが、とても重要になります。ですので、私がこの仕事を行うに当たっては、相手国がやりたいと思っていることを実現するためのお手伝いをさせていただくという姿勢、それが実現できるのかどうかという見込みと、それを実現し、その成果を持続させるために必要なことを相手国側が行う覚悟があるかどうかを見極めることを慎重に行うことを心がけています。

これから国際協力分野へ活躍しようとしている方へ一言メッセージ

人の忠告は、とりあえず素直に受け止めることが大切だと感じています。人は自分自身のことに一番関心を持っていると言われますが、だからこそ、他人のために、わざわざ何かを伝えてくれたことは大事にしたいと思っています。。必要な時に、そういう言葉が自分を後押ししてくれることを私は何度か経験しました。あと、今の若い人たちに伝えたいこととして、日本のことだけではなく、世界に目を向けてほしいと思います。ご飯を食べるにも困っていたり、勉強をしたくてもできなかったりなど、今の日本にいると想像できない状況がたくさん存在します。そういうのを見て、自分が恵まれていることに気づくことも大切ですね。

又地淳 国際協力専門員

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又地さんプロフィール写真

JICA国際協力専門員(教育)。大学院工学研究科(生体工学専攻)終了後、民間企業を経て、青年海外協力隊に理数科教師隊員としてパプア・ニューギニアへ派遣。米国大学院で修士号(国際比較教育学)を取得後、JICAジュニア専門を経験。「ムプラマンガ州中等理数科教員再訓練計画」プロジェクト専門家として南アフリカへ派遣。その後は、JPOとしてエチオピアにある国連教育科学文化機関(UNESCO)アフリカ・キャパシティ構築研究所で、アフリカ諸国の教師教育の改善・強化プログラムに関わる。2006年2月よりJICA国際協力専門員。2010年8月からはケニア理数科教育強化プロジェクト専門家、主な専門分野は、理数科教育、教師教育、キャパシティ・ディベロップメント。