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農業から福祉へ ~元 PEACE 研修員の日本で生きるための挑戦~(2024年11月)

未来への架け橋・中核人材育成プロジェクト(通称アフガンPEACE)は、未来のアフガニスタンの国造りを担う人材育成のため、アフガニスタンの行政官と大学教員を研修員として受け入れる技術協力プロジェクトとして2011年に開始されました(現在はフェーズ2を実施中です)。
PEACE生は来日後、本邦大学の修士課程・博士課程に在籍し、アフガニスタンの国造りに必要とされた工学、農学、教育、保健分野などの専門分野の研究に励んでいます。
しかし、2021年8月に発生したアフガニスタンの政変以降、前政権の行政官だった研修員は帰国困難となり、多くのPEACE生が再びアフガニスタンへ戻れるようになるまでの間日本に残ることを希望し、新たな挑戦をすることとなりました。
本シリーズでは、慣れない日本での就職活動を経て外国人材として日本で就労しているPEACE修了生と受け入れ先企業・団体へのインタビューをお届けします。
活躍の様子はもちろん、現在の悩みや今後の展望など、十人十色のJICA研修の「その後」を語ってくれました。

未来への架け橋・中核人材育成プロジェクトフェーズ2 | ODA見える化サイト

農業から福祉へ
~元PEACE研修員の日本で生きるための挑戦~

宮崎大学農学工学総合研究科でPEACE研修員として農学の博士号を取得したMohammad Hanif Afzali氏(以下、ハニフ氏)は、当初、大学院修了後はアフガニスタンへ帰国し、母国の農業灌漑牧畜省の行政官として、学んだ知識を活かして母国の発展に貢献する予定でした。しかし、アフガニスタンの情勢が悪化したため帰国が困難になりました。そのため、日本に残る道を選びましたが、言葉の壁などから希望していた専門分野の研究員として就職先を見つけることは難しく、家族の日本での生活を支えるために一大決心をして、自身の専門とは異なる福祉サービスという新たな世界に飛び込みました。

2022年4月からハニフ氏は、知的障がいのある方々を支援する一般社団法人福祉心話会(以下、福祉心話会)で働いています。福祉心話会は自助と互助の理念の元、グループホームや作業所、工場などを運営し、障がいをもつ方々が地域で自立して生活していくための支援をしています。専門分野とは異なる業界で働くことになったハニフ氏と、彼をスタッフとして温かく受け入れてくださった福祉心話会の皆様にお話を伺いました。

ハニフ氏へのインタビュー

どのようなお仕事をしていらっしゃいますか?

私の業務は、施設の利用者の方々が、お菓子の箱折りなどの内職作業を行う際の見守りです。利用者さんが困ったときには手助けをし、皆さんが作業を進められるように支援しています。最近、異動がありましたが、異動前に働いていた職場では、敷地内にある土地を活用して畑を作り、利用者さんと一緒に野菜を栽培・収穫するという仕事にも携わりました。異動後も畑作業を継続し、今年もきゅうりなどを利用者さんと収穫することができました。

なぜ福祉心話会を就職先に選んだのですか?

大学院修了後、私の専門である農業分野での仕事を見つけることができず、行き詰っていたところ、福祉心話会に出会いました。福祉心話会の方々はとても親切で、私の家族のことも考えてくださり、この地域で生活するためにいろいろとアドバイスをしてくださるなど協力的だったことが大きな理由です。それに加えて、障がい者をサポートすることは社会的、人道的に意義があることだと思いました。そのため、最終的にここで働くことを決めました。

畑での栽培を始めることになった経緯を教えていただけますか?

自身の専門が農業であったことから、利用者さんのために農業に関係した何かを始めたいという話を折に触れて上司にしていたところ、事業所の駐車場の一区画を畑にさせてもらえることになりました。3m×4mほどの小さい区画ですが、ようやく農業に関する仕事ができると喜んで畑を作りました。

土を入れて整地し、トマト、きゅうり、パプリカ、じゃがいも、二十日大根を植えました。水やり、支柱への誘引、雑草の除去など、日々のケアも欠かさず行い、作物が育つ環境を整えました。水やりのタイミングや量の管理は、作物の成長にとって非常に重要です。水をやりすぎると肥料成分も流れてしまいます。作物を育てる術は熟知していますからね。どのように整地し、肥料を入れ、野菜を植え、育てていくか、農業研究者としての専門知識を役立てました。日当たりもあまりよくなく、砂質土で、どちらかというと農業には適した土壌ではなかったのですが、非常によい出来栄えで大きな作物がたくさんなりました。利用者さんと一緒に収穫して食べました。利用者さんが土いじりや栽培、収穫を楽しみ、喜んでくれたことは、私自身にとっても大きな喜びでした。

駐車場の区画を利用して作った畑

利用者さんと一緒にきゅうりを収穫するハニフ氏

日本という異文化の中で働く上で心がけていることはありますか?

アフガニスタンと日本では生活や仕事のスタイルも何もかも異なります。アフガニスタンにいるわけではないので、日本のルールに従わなければいけません。その柔軟性がなければ問題を起こしてしまいます。もちろん、イスラム教徒として大切にしている考えなどはありますが、そうした私の考えに対して、職場の皆さんは協力的です。この職場で働き続けているのは、こうした協力的な同僚の存在もとても大きいと思います。利用者さんを支援することが私の仕事ですが、自分自身も支援されていると感じます。

異文化の中で働くには、とにかく受け入れ、適応するのみです。時には望む仕事を見つけられないこともあるでしょう。私も専門分野で研究に関係した仕事に就きたいと切望していましたが、誰もが望むように生きられるわけではありません。どこであっても、働くことになった職場を尊重して適応しなければいけません。

今度この職場でチャレンジしたい仕事はありますか?

水耕栽培で作物を育てる事業を始めるという話があるようです。土を使わず水だけで育てる方法ですね。トマトやパプリカ、穀物も水耕栽培できます。その事業にはぜひ携わりたいと思っています。

(注:ハニフ氏へのインタビューは英語で行われました)

インタビューの様子

福祉心話会の皆様へのインタビュー

ハニフ氏についてどのような印象をお持ちでしょうか?

ハニフ氏はいつも「ありがとうございます」とお礼を言ってくださいます。最近日本人でも忘れている人が多い言葉ですね。常に、感謝の気持ち、謙虚さ、周りの人に対する配慮を持っていらっしゃる方です。

利用者さんの土いじりのアクティビティのために畑を作ってくれましたが、さすが専門家ですね。ちょっとした駐車場の一区画ですが、コツがあるのか立派な実がたくさんなりました。一緒に収穫してみんなで食べ、良い体験となりました。

外国人と一緒に働く上で、上司の方、同僚の方の戸惑いはありましたか?

ハニフ氏に限った話ではありませんが、日本では「黙っていることが美徳」とされることが多い一方で、外国人スタッフは自分の意見をはっきりと主張する文化を持っていることが多いです。ストレートに意見を言われることには慣れていなかったので、戸惑いがありました。

また、外国の方は自身の成果をアピールする方が多い印象です。一方で、日本人はどちらかというと、できていない仕事に目が行きがちで、「あれができていない」と指摘してしまいます。そのパフォーマンスの評価方法にギャップがあると感じました。

外国人スタッフとのコミュニケーションのコツはありますか?

簡単な単語を使い、要点を簡潔に伝えるようにしています。日本人は婉曲的な言い方や曖昧な表現をしたりすることが多いのですが、会話していく中でそれでは伝わりにくいということに気づきました。ハニフ氏の場合、仕事の指示で分からないことがあれば、翻訳アプリで「こういうことですか?」と確認をしてくれますし、こちらの言うことを理解しようという意思がとても伝わってきます。

コミュニケーションに対する姿勢というのは大事です。細かいことかもしれませんが、我々のような業務を指示する側が翻訳機を持ってきて話を聞いてあげるということではなく、指示を受ける側が自分で翻訳機を持ってきて、指示を理解する努力、話を聞いてもらう努力をする主体的な姿勢が必要だと思いますので、外国人スタッフには最初にそれをお伝えしています。

外国人を雇用することで職場へはどのような影響がありましたか?

日本人スタッフも施設の利用者さんもイスラム文化の方と関わる機会はありませんでしたから、多様性の枠は間違いなく広がったと思います。利用者さんの中には、外国人スタッフとコミュニケーションを取りたいがために、英単語の勉強を始めた方もいらっしゃいました。英語で手紙のやりとりをしていましたよ。

今後、ハニフ氏に担ってもらいたい役割はありますか?

日本語が上達してきて、お任せできるお仕事は増えてきました。もっと日本語をマスターしてもらい、将来的には業務において、他のイスラム圏や外国出身のスタッフの相談役、コーディネーター役のような役割を担ってもらえたらと思っています。

家族と共に懸命に生きる

覚悟を持って、ご自身のバックグラウンドとかけ離れた業界に挑戦し、新しい環境でも農業の専門知識を活かす機会を見つけたことは、彼の農業に対する情熱と利用者さんへの思いやりから生まれたものです。福祉心話会の皆様の温かさとサポートもまた、彼の知識とスキルを最大限に生かし、利用者さんに新しい経験と喜びを提供する支えとなりました。

ハニフ氏は博士号だけではなく、修士号もPEACEプロジェクトを通じて宮崎大学で取得しています[1]。彼は4人の子供の父親でもあり、現在、妻や子供たちも皆、学校や地域社会の中でそれぞれの居場所を見つけ、助け合いながら生活しています。JICAとのご縁を通じて暮らすことになった日本で、信念を持ちながらも置かれた状況に柔軟に適応し、懸命に生きるハニフ氏の姿は多くの人々に励ましや勇気を与えるものです。


[1] 本事業ではフェーズ1の研修修了者に対するフォローアップ機会とし、博士課程への留学機会を提供しており、ハニフ氏はその機会を通じて宮崎大学博士課程へ進学されました。


取材協力
一般社団法人福祉心話会 様
―Mohammad Hanif Afzali氏(PEACE修了生)