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- あふれる笑顔と絆:地域で広がる温かい交流(2025年2月)
未来への架け橋・中核人材育成プロジェクト(通称アフガンPEACE)は、未来のアフガニスタンの国造りを担う人材育成のため、アフガニスタンの行政官と大学教員を研修員として受け入れる技術協力プロジェクトとして2011年に開始されました(現在はフェーズ2を実施中です)。
PEACE生は来日後、本邦大学の修士課程・博士課程に在籍し、アフガニスタンの国造りに必要とされた工学、農学、教育、保健分野などの専門分野の研究に励んでいます。
しかし、2021年8月に発生したアフガニスタンの政変以降、前政権の行政官だった研修員は帰国困難となり、多くのPEACE生が再びアフガニスタンへ戻れるようになるまでの間日本に残ることを希望し、新たな挑戦をすることとなりました。
本シリーズでは、慣れない日本での就職活動を経て外国人材として日本で就労しているPEACE修了生と受け入れ先企業・団体へのインタビューをお届けします。
活躍の様子はもちろん、現在の悩みや今後の展望など、十人十色のJICA研修の「その後」を語ってくれました。
未来への架け橋・中核人材育成プロジェクトフェーズ2 | ODA見える化サイト
あふれる笑顔と絆:地域で広がる温かい交流
Sadat Bibi Turkanさん(以下サダットさん)は2024年3月に豊橋技術科学大学の修士課程を修了したPEACE研修員のひとりです。在学中は都市計画について勉強する傍ら、地域のさまざまな活動に積極的に参加してきました。修了後の現在も、研究成果を活かせる建設会社で働きながら周囲の人々とつながりを深め、ますます地域に溶け込んで生活しています。サダットさんに今までの取り組みや現在の仕事、将来の夢についてお話を伺いました。
一期一会でつながる国際交流の輪
大学院生として日本で生活を始めた当初、研究は英語で行うものの、買い物など、何気ない日常で日本語が分からないことが困難に感じたと言います。「言葉はコミュニケーションの鍵」と考えたサダットさんは、忙しい研究の合間をぬって日本語学習にも力を入れることにしました。豊橋市国際交流協会が主催する「グローバルラウンジ」や、外国人研修員を支援するボランティア団体のイベントなど、日本語を使う場に積極的に足を運びました。
アフガニスタンでは国際交流をする機会がなかったため、これらの経験はサダットさんにとってとても新鮮で価値あるものだったと言います。サダットさんの話を聞いた人々から「アフガニスタンに行ってみたい」という言葉をかけてもらったこともありました。ポジティブに新しいことにチャレンジする姿勢が周りの人々の心をつかみ、新たなイベント参加に声がかかるようになりました。
「アフガニスタンは戦争だけではない。美しい文化や観光地もあることを知ってほしい。」サダットさんが様々な活動に積極的に参加する理由にはそんな思いがありました。2023年10月に名古屋で開催された「ワールドコラボフェスタ2023」では、アフガニスタンの民族衣装を身にまとい、ブース訪問者に自国の食文化や観光名所を日本語で紹介しました。訪問者からの「どうして日本に来たのですか?」「なぜヒジャブをかぶっているのですか?」などの様々な質問に対して、勉強中の日本語で一生懸命に答え、活気あふれる国際交流の機会となりました。当日はNHKの取材も受けるなどメディアにも取り上げられ、隣人から後日「テレビで見ましたよ」と声をかけられるなどの反響もありました。サダットさんはアフガニスタンのことをより多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、地域の人々から異文化への理解や興味を引き出す一端を担いました。
ワールドコラボフェスタ2023にて
日本語スピーチコンテストに挑戦
だんだん日本語が上手になってきたサダットさんは「とよはしインターナショナルフェスティバル2023日本語スピーチコンテスト」に出場し、「留学生の日本観」というタイトルでスピーチを行いました。日本とアフガニスタンの文化や自然環境の違い、日本の素晴らしいところを挙げ、最後には次のように祖国への思いを語りました。
「私は日本にとても愛着があり、この美しい場所で大きな成果を上げずに祖国に帰ることはできません。同胞の多くが不快な状況を経験しているときに、私はここに来ました。だから私は一生懸命働いて、特に女の子たちに故郷への贈り物を準備しなければなりません。アフガニスタン人の友人たちに私が祖国のことを忘れてしまったと思われないように、日本と祖国のビジネス協力を模索しています。」(以上、スピーチコンテストで話した日本語原稿からの引用)
スピーチの内容、外国人としての視点、語句の使い方、話し方などが総合的に評価され、サダットさんは「豊橋みなとライオンズクラブ賞」を受賞しました。日本人の友人の協力を得ながら、難しい日本語の発音を練習し、何度も練習を重ねた結果が実を結びました。
多くの観客を前に日本語でスピーチするサダットさん
父の思いを胸に空手教室へ
また、サダットさんは、日本に来てから空手を始めました。そのきっかけは彼女のお父さんです。実はサダットさんが日本に留学することになったのも、お父さんの影響によるものでした。アフガニスタンで教師をしている彼女の父親は日本に大変興味を持っており、自身も日本に留学する夢を抱いていましたが、残念ながらその機会には恵まれませんでした。そのため娘のサダットさんが、PEACEプロジェクトで日本に留学することが決まったときには大変喜びました。そして、日本で空手を習うことを勧めてくれたのです。
近所の小学校で開かれている空手教室に通い始めたものの、最初、同じ教室に通う子どもたちは、突然現れたアフガニスタン人の見慣れない恰好に戸惑っている様子でした。しかし、空手の先生が「目の色や肌の色、国籍などで人を色眼鏡で見てはいけない、皆同じ仲間なので仲良くしましょう。」と声をかけると、次第に打ち解けていきました。子どもが大好きなサダットさんは、積極的にコミュニケーションを取り、すぐに生徒たちと仲良くなりました。その親しみやすい性格に周囲も魅了され、周りの方から分からないことを教えてもらったり、お祈りの時間には別室を用意してもらったりするなど、あたたかな配慮に支えられました。サダットさんは週に2回、夜7時から9時まで通い、型と組手の両方を学びました。
空手の先生は練習の様子について次のように語ります。「最初は言葉の壁もあり、コミュニケーションが難しい場面もありましたが、持ち前の粘り強さでよく学んでくれました。「気合」「正座」といった空手用語についても、動作を実際に見せることや、場の雰囲気やこちらの態度を通じてその意味を感じ取ってくれたので、どうしても通じなくて困るということはありませんでした。」
空手の先生はサダットさんについて「非常にまじめで優等生」と評価し、こう振り返ります。「ほとんど練習を休まず、雨の日もカッパを着て自転車で通っていました。特に小さな子どもたちにとても優しく、お菓子を配るなど気配り上手でした。サダットさんがいたことで、子どもたちは相手を尊重すること、文化や生き方を否定せず仲間として打ち解け合うことの素晴らしさを学んだと思います。この経験が、まさに生きたグローバル教育となり、子どもたちの未来に役立つことを願っています。」
思い描く未来は
将来の夢について聞かれるとサダットさんはこう答えます。「今はまず、日本の会社で仕事を頑張りたいです。日本語をもっと勉強して、施工管理技士や建築士の資格を取りたいです。経験を積み資格を取ることは、現場でよりよい仕事をすることにつながるからです。資格があれば現場監督にもなれます。アフガニスタンでは女性が建築現場に立つことはありません。今のアフガニスタンでは、自分の専門知識を活かして働くことができないので、私は帰らずに日本で経験を積みます。日本の会社は素晴らしい材料を使って、良い建物を作っています。いつか日本の建築技術をアフガニスタンに持ち帰り、日本と同じような品質の鉄筋コンクリートのマンションを建てる現場に立ち、祖国の発展に貢献したいです。」
PEACEプロジェクトはアフガニスタンの国づくりに係る計画策定を担う人材育成を掲げていましたが、情勢変化により帰国・復職し、その目標を達成することが困難な状況に陥っています。そのような中でも同国の発展に寄与したいというサダットさんの強い想い、そして文化や技術等多くの側面でアフガニスタンと日本の架け橋となろうとする姿勢をPEACEプロジェクトは今後も応援します。
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