世界の地震犠牲者を救うため立ち上がった株式会社Asterの挑戦~耐震塗料で建物崩壊を防ぐ~
2022.03.31
振動台の上に製作された壁(加振前)(2022年1月)
開発途上国を中心に、世界には組積造(注1)による建物が存在し、実に世界人口の60%が組積造に居住しています。組積造は調達しやすい素材を、機械を使わず積む・並べるという原始的な方法で建てられ、解体や素材の再利用がしやすいため古くから広く住居等として活用されてきました。一方で、組積造は地震の揺れに脆弱な特徴があります。もう一つ興味深い事実は、過去100年間で亡くなった地震犠牲者のうち約80%が建物で亡くなっていることです(Aster・東京大学生産技術研究所目黒研究室調べ)。以上を踏まえると、地震発生リスクの高い国々における組積造の耐震化は喫緊の課題と言えます。
フィリピンの建設現場ではこのような品質の低いブロックが一般的に使われている
(注1)石・煉瓦・コンクリートブロック等を積み上げて作る建築物の構造のこと
壁を製作する様子
2019年、この課題を解決するため、東大発スタートアップ「Aster」が誕生しました。創業者の鈴木正臣CEOと創業メンバーの一人である東京大学山本憲二郎博士は、元来不可能とされていた樹脂と繊維を混ぜ合わせることに成功し、柔らかいが高強度な材料である耐震塗料(通称「Power Coating」)を開発しました。耐震塗料を脆弱な組積造の壁に塗布し、2週間ほど乾燥させると、非常に強い耐震性を持つようになります。また、塗布に特殊な技術がいらず、安価で現地生産も可能なことも特徴です。第34回日本自然災害学会優秀賞も受賞、防災の専門家等の間では非常に高く評価されています。
世界の地震多発地域での組積造耐震補強の市場規模は40兆円とも推定され、各国に莫大なニーズが存在しています。フィリピンはその一つであり、専門家はウェストバレー断層を震源地とする巨大地震がいつ襲っても不思議ではないと警告しています。フィリピンに数多ある組積造のうちAsterが最優先で取り組むべき対象としたのが、公立学校の校舎です。80万もの組積造の校舎が存在しており、日中に大地震が発生した場合、生徒が下敷きになる恐れがあるためです。Asterの試算では、教室の立替の15分の1ほどの価格で耐震塗料を提供可能です。しかし、ここでAsterはベンチャーであるがゆえの課題に直面しました。公立学校の校舎の建設や管理を担うフィリピン側政府関係者と話をしようにも、民間企業というだけで警戒されてしまったのです。フィリピンの子どもたちを守るには、フィリピン側政府関係者に製品・技術の有効性を理解し導入いただく必要がありますが、これとはほど遠い状況でした。そこでAsterはフィリピン政府にネットワークを有するJICAとの連携を考えたのです。
鈴木CEOが振動台実験準備のために耐震塗料を塗布する様子
Asterが提案した「耐震塗料による構造物耐震強靭化にかかる案件化調査」(注2)は2020年第二回中小企業・SDGsビジネス支援事業に採択され、2021年10月に調査が開始しました。そして2022年1月13日及び14日、つくば市の防災科学技術研究所(以下、「防災科研」)の振動台実験施設において、調査の一環としてAsterは振動台実験を実施しました。品質の低いフィリピンの組積造でも本当に同耐震塗料が効力を発揮するのかを検証すべく、予めフィリピンから日本へ輸送したフィリピン製ブロック約1トンを用いて、現地の学校施設を模した3枚の壁を制作し、これらの壁に振動を加えるという試みでした。
阪神・淡路大震災の同等の力で加振した結果、フィリピンの建築基準に沿わずに制作された壁は全壊した一方、同じように制作された壁に耐震塗料を塗布・乾燥させた壁は、目立ったヒビ一つなく原型をとどめ、耐震塗料の有効性が実証されました。
鈴木CEO、山本博士、シャンタヌ・メノンCOOが振動台実験終了後に集合した様子。加振の結果、耐震塗料を塗布しなかった一番右側の壁(フィリピンで一般的に使われているブロックを使用して制作したもの)が崩れ、耐震塗料の有効性が確認できる。(2022年1月)
この振動台実験には、フィリピン側政府関係機関である公共事業省(DPWH)もオンライン参加し、実験の様子をライブで見守りました。日本で振動台実験を行うに際しては、フィリピンで実際に使われている1トンものブロックを船便で輸送する、フィリピンで実際に行なわれているセメントの配合で組積造壁を制作する等、様々な苦労がありました。これらの事前準備にもDPWHは全面的に協力し、徹底的に現地の環境を再現することができました。これらの取り組みの結果、DPWHの「耐震塗料がフィリピンの建物の耐震化に実際に効果を発揮するのか」という疑念を払しょくすることができ、DPWHとの緊密な連携による調査が進められる体制が構築されました。
振動台実験の様子をDPWHがオンラインライブ中継で見守る様子(2022年1月)
2022年2月11日、スタートアップが事業モデルを競うイベント、第3回「スタ★アトピッチJapan」の決勝大会(於:東京・大手町の日経ホール)にて、予選で高評価を得た20社の経営者らがプレゼンテーションした結果、Asterがグランプリを受賞しました。鈴木CEOはプレゼンテーションの中で、JICAとの協力の元、フィリピンで実施中の調査と振動台実験の成果をアピールされました。私(本稿執筆者/案件担当:桑原)も当日、固唾をのんで見守っていましたが、振動台実験の成果発表の前、冒頭で鈴木CEOから語られた「地震犠牲者ゼロ」というミッションと、鈴木CEOが起業を決意されたイタリアの地震被災地の静寂の中がれきに埋もれた子どものおもちゃの音が鳴り響いていた瞬間にまつわるエピソードが広い共感を呼び、受賞につながったのではないかと思います。
鈴木CEOがAster起業を決意されたイタリア地震被災地踏査の様子
2022年4月には、DPWHを含むフィリピン側関係者に対して、振動台実験の成果を伝え、耐震塗料がフィリピンの環境でも効果を発揮することを伝えるため、セミナーを開催します。また、7月には、フィリピンの公立学校の校舎に耐震塗料を塗布するパイロット活動も計画しています。これらの活動を通じて本調査が、フィリピンで耐震塗料が普及し、地震被災者を救う足掛かりとなるよう、JICAはAster社に伴走し、力を尽くします。
(民間連携事業部企業連携第一課 桑原知広)
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