大災害からの復興に寄与した「市民協働のまちづくり」-宮城県東松島市-

2018年4月20日

加速度的な復興の理由とは

2011年3月11日、未曾有の被害をもたらした東日本大震災。1,100名を超える人命を失い、97%の家屋が損傷した東松島市は、震災からわずか1ヶ月後の同年4月に、行政の基本姿勢である「復旧・復興指針」を明示しました。さらにその8ヶ月後の12月には、住まいを失った被災者の集団移転先などが示された「復興まちづくり計画」を策定します。加速度的な復興の背景には、東松島市が震災前から取り組んでいたまちづくりの仕組みがありました。

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集団移転先を示す「復興まちづくり計画」

非常時に機能した「市民力」

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地域住民によって運営される市民センター

2005年4月、仙台市から北東へ約30キロメートルに位置する2つの町が合併し、東松島市は誕生しました。少子高齢化に伴う人口減少で財源が減り、広域化した新しい市で行き届いたサービスを提供することが困難になった状況で、市が最初に取り組んだのはコミュニティづくりでした。行政を待つのではなく自分たちでできることをする、そして住民同士が助け合うまちづくりを進めるためには、コミュニティが不可欠でした。2009年には公民館制度を廃止し、住民の代表によって構成される地域自治組織が8地区で誕生。住民自らが市民センターを管理運営する体制が整いました。

このように、震災前から培ってきた「自助」と「共助」による市民力が、被災直後の緊急対応や復旧の過程で機能されることになります。大勢の被災者で埋め尽くされた避難所では、被害が比較的少なかった内陸地域の住民を中心に、炊き出し、物資の配給、行方不明者の確認などが行われました。「復興まちづくり計画」の策定に当たっては、行政が机上で決めるのではなく、地域に詳しい住民に相談するところから始められました。行政と市民が協働する仕組みを進めて来た東松島市は、住民の知恵と尽力によってめざましい復興を遂げ、「復興のトップランナー」として注目を集めました。

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被害の大きかった地域に出向き、炊き出しを行う東松島市民の皆さん

世界中に発信される復興モデル

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フィリピンからの視察団

東松島市の教訓とノウハウは、本教材の利用によって広く共有することができます。防災や災害復興の研修等での活用はもちろん、人口減少地域における市民協働のまちづくり、復興が進む中で新たに浮かび上がる課題への取り組み方などは、過疎地域の地方自治や非常時対策を進めるうえでの一助となることが期待されます。また、HOPE(一般社団法人 東松島みらいとし機構)やJICAとの連携により途上国の防災復興研修を行う様子は、防災を通じた国際協力や地域活性化の事例として、地元小中学校の国際教育に活用することができます。

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復興に尽力した東松島市の皆さんとJICA職員。本教材の進呈式にて

復興の指揮を執った東松島前市長・阿部秀保さんは、国内外から寄せられた手厚い支援に感謝の念を抱き続け、「復興のモデル作りが恩返し」と語りました。温かい支援と市民力によって成し遂げた東松島市の復興が、防災・減災、被災地におけるまちづくりのモデルとして世界中に広く発信され、世界の防災意識向上に貢献していくことを願います。

平林 淳利
JICA社会基盤・平和構築部 国際協力専門員

関連資料

このページで紹介している教材

東日本大震災からの復興における東松島市の取り組み

1,100名を超える人命を失い、97%の家屋が損傷するという甚大な被害の後、2011年4月には復旧・復興指針、同12月に復興まちづくり計画を市民に示した東松島市。震災前から継続されていた「行政と市民が協働する」仕組みを、速やかな復興に繋げた行政の取り組みを概観する。