JICA海外協力隊60周年記念企画!協力隊経験者による協力隊時代の今昔トーク!
2025.04.08
2025年はJICA海外協力隊の発足から60年という記念の年です。
1965年、ラオス・カンボジア・マレーシア・フィリピン・ケニアの5か国に29名を派遣したところから始まりました。これまでに99か国、約57,000人の方がJICAボランティアとして派遣されました。
初めて協力隊が派遣された国の一つ、カンボジアに派遣された河野さん(写真左)は2007年から2年間、同じく林さんは2022年から2年間、カンボジアのカンポット州に派遣されました。
そんな北陸センターのスタッフ二人にカンポットでの思い出や活動について話を聞きました。
河野さん:カンポットはフランス植民地時代の雰囲気を残したフレンチコロニアル様式の建物が多く残っている地域として知られていますが、私が住んでいた部屋も趣のあるフレンチコロニアル様式の建物でした。当時は自分で住む場所を探しました。カンボジア派遣後まもないクメール語もよく話せない状態で部屋を探したり、交渉をしたりするのは本当に大変でした。やっと探しあてたお気に入りのお部屋でしたが、安全面の強化が必要ということで、大家さんにお願いして窓などの補強をして、ようやく住む場所が決まりました。
でも、家が決まって、ようやく引越しというタイミングでデング熱にかかってしまいました。40度以上の熱が出て、周囲の人にも心配をかけました。当時はデング熱の他マラリアやアメーバ赤痢など感染症にかかる人がいました。
河野さんと同僚
お気に入りだった自宅
林さん:私の時は、自分で探すことはなく、すでに住む家は決まっていました。
窓がなく、虫も出ました。正直他の隊員と比べても見劣りしましたが、かえってここでやってやる!という気持ちになりました。私が派遣されていた頃はデング熱にかかったボランティアが一人いたかな、というくらいでした。公衆衛生面はずいぶん改善されたのかなと思います。
河野さん:林さんの家のあたりは、私がいたころは何もないところでした。前の道路は舗装もされていなかったです。林さんの活動の場所の一つであるサッカー場もなかったと思います。
林さん:河野さんの家があったあたりは、レストランやバーなどが増え、派手な電飾が飾られ、とても賑やかな場所になっています。河野さんが派遣されていた当時の写真と比べると、趣という面はなくなってしまったかもしれませんね。
河野さんのお家の前の735番通り(河野さん赴任時当時:2007年頃)
林さん赴任した2022年頃の735番通り。道路が舗装され、カフェやバーが集まる通りに
河野さん:カンポットはカンボジアでも有名なドリアンの産地です。ドリアンが大好きでよく食べていたので、いつの間にか食べごろのドリアンを見極められるようにもなっていました。当時は現地の人が心配するほど食べていました。
林さん:私はドリアンは好きになれませんでした。やっぱりにおいが…。カンポットの名産であるドリアンですが、そのにおいは賛否あって、今ではドリアンNGステッカーが貼ってあるタクシーなんかも走っています。
林さん:カンボジアは体育隊員の派遣が多く、サッカー隊員も複数いましたが、カンポット州ではわたしが初めてのサッカー隊員でした。他の州のサッカー隊員は、2代目、3代目という隊員もいました。
要請に基づいた配属先がありましたが、それ以外でも5つのクラブを掛け持ちして、プライベートでもサッカー交流をしていました。
本来のポジションはゴールキーパーですが、キーパーの指導以外にも怪我がないよう事前のストレッチの大切さを伝え、練習に来ない生徒がいたので、チーム全体のモチベーション向上を図るために、生徒一人ひとりと積極的にコミュニケーションを取るように意識しながら活動していました。
カンポット州の運河開設を記念して開催されたサッカーの試合に参加したことも、良い思い出になりました。試合の様子はカンボジア全国にテレビ中継されました。
林さんの自宅に生徒たちが誕生日を祝いに来てくれました
全国でテレビ中継された御前試合
河野さん:職業訓練校で活動していました。要請では織物コースでの指導をする事になっていましたが、機織りや染の技術は現地のベテランの先生方には遠く及ばず、赴任当初は先生方から「新しい生徒」と呼ばれていました。ですが、私ができる事は何か考え、織物の模様のデザインを考えたりしていました。生徒の中には学校に行ったことのない子どもも多かったので、彼女たちが現金収入を得られるように、マーケティングや販路の開拓なども行っていました。
活動の中で印象に残っているのは、プノンペンで開催された一村一品フェスティバルに参加した事です。各地から様々な団体が選ばれていましたが、カンポットからは、これまでの活動が評価され、私の配属先である職業訓練校が選ばれ出展する事になりました。
時の流れとともに、街並みなど目に見えるものは変わることが多いです。
ボランティア活動では、時に自分の思い描いていた活動とは違う活動を行うことになることがあります。
派遣された国のためにと試行錯誤して取組む原動力は、人々とのふれあいなのでしょう。そういった時に自分には何ができるかを考え、取り組むそんな臨機応変さは、60年経っても変わらないボランティアの姿なのだろうと思います。
JICA海外協力隊の2025年度春募集に伴い説明会を開催!
下記リンクより詳細をご覧ください。
https://www.jica.go.jp/domestic/hokuriku/information/event/index.html
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