≪氏名≫
池田 紘子(いけだ・ひろこ)
≪派遣年度≫
2011年度
≪派遣国≫
アルゼンチン
≪職種≫
文化
≪略歴≫
兵庫県出身。沖縄の大学へ進学し、エイサーサークルに所属する。卒業後はJICA沖縄での勤務を経て、JICA海外協力隊としてアルゼンチンに派遣。日系社会でのエイサーや三線などの指導にあたる。帰国後は、公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)で勤務し、沖縄と世界をつなぐ活動や、沖縄の移民の歴史について学べる事業の企画運営に携わる。
≪本文≫
「海外」と「沖縄」への関心から始まった国際協力
中学生の頃から海外に憧れていた池田さんは、大学進学を機に沖縄への関心を深めました。24歳でJICA沖縄の支援スタッフとして働いたことで、沖縄の強みを活かした様々な国際協力があると知り、驚きました。
沖縄で国際協力に携わる将来を見据え、知識と経験を得るためJICA海外協力隊に参加。派遣先を探す中で日系社会海外協力隊の存在を知り、「沖縄と関わりのある分野で国際協力をしたい」と思い、大学時代から続けていたエイサーをアルゼンチンで指導する要請に応募しました(※)。
アルゼンチン第2の都市コルドバの日本人会に配属され、週2回のエイサー指導を担当。参加者は日本語学校に通うアルゼンチン人が中心で、日系の子どもは少数でした。その他の活動内容は池田さんに任され、風呂敷や折り紙、習字などの日本文化紹介にも積極的に取り組みました。
さらに、コルドバでの活動に加え、アルゼンチン各地の日本人会を巡回。「自由に動ける協力隊員として相互交流を生みたい」という思いから始めた活動は、1年後に複数の日本人会に属するエイサーグループの合同合宿という形で実を結びました。演舞を見せ合い、一緒に練習し、泊まりがけで交流を深めることで、日系・非日系の子どもたちが友達になり、池田さんの帰国後も地域を越えた交流が続いています。このエイサー合宿は、日系コミュニティに新たなつながりを生み出しました。
見えてきた「求められていること」と「世代間の温度差」
池田さんは、日本人会館の日本語クラスに通う子どもやその家族と関わりながら、「何でもやってよい」という環境で活動を続けてきました。1年ほど経った頃、「日系人の次世代育成」に焦点を当てる方針が見えてきます。
当時、日本人会はアルゼンチン人との交流には消極的なところがあり、日系の子ども同士のつながりを重視し、エイサーを通じてアイデンティティを育み、日本人会への関心を高めることを目指していました。これは、移民一世が様々な困難を乗り越えて互いに助け合いながら築いた日本人会を守りたいという強い思いに根ざしています。
協力隊活動・OKIGAKUにて、日系人子弟を対象に沖縄講座を実施
池田さんは現地の状況を理解し、日本人会での発表は日系の子どもに限定する方針に転換。さらに帰国までの半年間、「OKIGAKU」と名付けた講座を週1回開催し、家族から移民当時の話を聞き取って共有する学習や、沖縄の歴史・文化について学ぶ機会を提供しました。参加者からは「今まで部分的にしか知らなかった沖縄のイメージがつながった」と好評を得て、後に3名が市町村留学生として沖縄に渡りました。
一方で、池田さんは日本文化やエイサーに関心を持つアルゼンチン人が将来的に日系コミュニティに良い影響を与えると考え、非日系人も参加できるアニメイベントでの演舞披露など開かれた活動にも力を入れました。日系3世・4世の子どもたちも参加し、彼らの「さまざまな場で演舞したい」という希望を叶えることができました。
池田さんは、「日本人会の歴史を尊重すること」と「新たな日系人コミュニティのつながりを築くこと」の双方を意識しながら活動し、世代間のアイデンティティ継承や文化を通じた横のつながりの形成に取り組みました。これらの経験は帰国後の仕事にも活かされることになります。
自分のルーツを学び、人生を豊かに。そしてウチナーネットワークの未来へ
帰国後、池田さんは公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)に就職し、早速、海外の県系人と沖縄の子どもたちとが交流する沖縄県主催の「ウチナージュニアスタディー」事業を担当します。事業は沖縄の平和や移民、文化を共に学びながら若者同士の強い絆を構築するもので、池田さんは「自分の協力隊での経験がすぐに活かせる」と、同事業に2年間携わります。
JOCAでは、県からの委託を受けて、学校で沖縄移民の歴史を教える出前講座も実施しています。池田さんは、協力隊の活動を通じて現地の移民一世の方々から直接聞いた話を、沖縄の若い世代に伝えています。
帰国後は、市町村留学生として来沖した教え子のサポートや交流を実施
「アルゼンチンで得た知見は沖縄移民史の一部です。なぜ移民したのか、移民した先でどのような生活を送ったのか。地域ごとの違いなどについて、自らも学びながら県内の小中学生や一般の方々と共に考え続けることが、仕事のやりがいであり、面白さです。自分が興味関心を持って意識さえすれば、世界に移民した人たちとつながる術を沖縄の殆どの人は持っています。祖先が移民するに至った経緯や背景など、自分のルーツについて知ることも、人生を豊かにする方法の一つだと思います」と語ります。
池田さんが持っていた海外と沖縄への関心は、協力隊への参加を通じて、「沖縄から国際協力を行う」という形へと発展しました。 それは、自らの仕事のやりがいにつながっているだけでなく、世界のウチナーネットワークの継承・発展にも貢献しています。
学生を対象とした国際協力に関するフィールドワーク(沖縄市)
(※)
2010年度の沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課の推計値によれば、アルゼンチンには、約4万人の日系人が暮らしており、そのうち約7割が沖縄県系人とされています。(https://www.pref.okinawa.jp/toukeika/so/topics/topics392.pdf
)
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