≪氏名≫
粂 正幸 (くめ・まさゆき)
≪派遣年度≫
1990年度
≪派遣国≫
トンガ
≪職種≫
養殖
≪略歴≫
北海道生まれ、岐阜県育ち。琉球大学理学部海洋学科で海洋生物学を専攻。卒業後、JICA 海外協力隊に参加し、派遣期間を延長して4年間トンガで養殖の活動に従事。帰国後は沖縄に戻り、多良間島でクルマエビ養殖場の立ち上げに携わる。現在は浦添市にある株式会社イーエーシーの環境部自然環境課で主任研究員として生物・環境調査に従事。
≪本文≫
トンガで真珠母貝養殖への挑戦
粂さんは中学の時に図書館で読んだJICA海外協力隊向け実践ガイド『クロスロード』をきっかけに、海外への憧れを募らせました。琉球大学進学を機に沖縄に移り住み、海洋学科で海洋生物学を専攻します。学科内には開発途上国からの留学生が10名程度在籍しており、彼らから「中学生の頃の理科の先生がJICA海外協力隊(以下、「JOCV」)だった」「職場にJOCVがいる」などの話を聞いてJOCVは身近な存在でした。
派遣先のトンガのババウ島では、水産省水産局に配属され、養殖の技術支援を担当しました。粂さんが派遣される4か月前に、国連食糧農業機関(FAO)による真珠養殖の産業化プロジェクトが始まっていたため、配属先の希望どおり、このFAOプロジェクトに協力することになります。粂さんを含むババウ支局の6人で、採苗から挿核までの真珠母貝育成期における水深別比較成長試験など様々な試験や技術研修を重ね、数千個の真珠を育てました。 海洋条件に恵まれたババウ島周辺の海域では、真珠母貝は日本の2倍の速さで成長することが確認できました。
プロジェクトの第1フェーズが終了する時期は、粂さんの当初の協力隊派遣期間満了と重なっていました。しかし、優良なプロジェクトであったにも関わらず、援助機関の都合などから継続は不透明な状況に。「第2フェーズが始まるまでは何とかつなぎをしたい」という思いから、粂さんは派遣期間の延長を申し入れ、異例となる4年間の任務を全うしました。養殖技術指導の活動を通じて、トンガでの真珠養殖という地元産業の創出を目指すプロジェクトの背景には、国際機関や各国政府の政策の影響、そして担当者による調整があることを、多様な関係者との関わりの中で学びました。
協力隊の活動で真珠養殖の試験を実施
海への情熱を仕事にして、沖縄の環境と地域に貢献
帰国後、好きな海に関わる仕事をしたいと考えていた粂さんは、多良間島の振興を目的としたクルマエビの養殖事業に携わります。「好きな海のことを仕事にして多良間島に行けるのだから、願ったり叶ったりですよ」と、やりがいのある仕事と、協力隊で得た経験を地方に還元する機会の両方を得ることができたと話します。
その後、浦添市にある株式会社イーエーシーへ転職し、環境アセスメント(環境影響評価)の業務に従事しています。粂さんが担当する生物調査における環境アセスメントでは、開発に際してその場所に生息する生物を調査し、開発が環境に与える影響を予測したうえで、その影響を最小限に抑えるための対策を検討・報告します。海へも足を運びます。「大好きな沖縄の自然と関わる仕事がしたい」という想いは、今も変わりません。
海が結ぶ人と地域のつながり
現在、粂さんは宮古島の水質調査をメインに担当しています。宮古島の平良港では、物流・産業、老朽化、賑わい空間の不足、大型クルーズ船受入れなどの課題を解決するために、港湾整備が進められています。港湾整備は、水質汚濁などの環境に悪影響を及ぼさないよう配慮しながら進められています。粂さんの会社は、沖縄総合事務局平良港湾事務所からの委託を受け、定期的な水質調査を実施しています。
粂さんが、現在の仕事に協力隊の経験が特に活かされていると感じるのは、「人とのつながりを大切にし、コミュニケーションをよくとること。技術だけでなく、調整することも大切にすること」という心構えです。港湾事務所職員や工事関係者との調整はもちろんのこと、万が一環境保全上の問題が起きた際には、漁業関係者や地域住民、港湾関係者など多様なステークホルダーが、同じテーブルで話し合い、解決策を模索する姿勢が求められます。粂さんの仕事は、その議論の基礎となる科学的なデータを提供しています。「海を通して、宮古島へ人がやってきます。海は外の世界とも繋がっているし、海人のように魚を取って暮らしている人もいれば、観光資源として利用する人もいます。人と人も海を通して繋がっている。この環境を守ることは、とても大切なものだと思います。環境と観光という、宮古島をはじめ沖縄全体の生命線に関わる仕事ができていることが幸せです」と語ります。
協力隊の経験を活かして、帰国後も広がる交流
協力隊で培ったトンガ語を活かし、沖縄の団体(沖縄リサイクル運動市民の会)によるトンガへの廃棄物処理に関するJICAプロジェクトに、通訳として2013年に同行しました。これにより、25年ぶりにババウを再訪することができました。
また現在も、協力隊派遣時代の同僚とは、定期的にトンガ語で電話をしています。その同僚は真珠養殖で生計を立てるようになり、生産した真珠を加工してペンダントやネックレスとして仕立て、地元の市場で海外から訪れる観光客むけに販売しているという、嬉しい報告もありました。
「自分の好きなことを生かして、社会や人とかかわるきっかけになったのが協力隊でした」と語る粂さんの挑戦は、大好きな海とともに、これからも続いていきます。
25年ぶりに再会した同僚家族と(2013年)
元同僚達が生産した真珠を使ったアクセサリーを地元市場で販売
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