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JICA 地方マスメディア派遣プログラム 体験レポート -カンボジア平和博物館づくりへの支援などの取材を通じて-

2025.03.19

JICAでは、日本国内の NGO や地方自治体・大学・企業などが持つ知識・経験を活かし、開発途上国の課題解決に貢献する「草の根技術協力事業」を実施しています。
その一つに、沖縄県と特定非営利活動法人沖縄平和協力センター(OPAC)が、カンボジア 地雷対策センター(CMAC)が進める平和博物館づくりを支援しているプロジェクトがあり ます。沖縄県がこれまで取り組んできた平和を希求する博物館づくりの経験と技術を CMAC に伝え、発信していけるようになることをサポートしています。

今回、2024年12月15日~22日までの日程でカンボジアでの活動を行った際、JICAの地方マスメディア派遣プログラムで株式会社琉球新報社の大嶺雅俊記者に現地を取材してもらいました。大嶺記者がカンボジアで実施されている国際協力事業や現地の様子、平和分野での沖縄とカンボジアのつながりについて感じられたことをご紹介します。

琉球新報暮らし報道グループ 記者 大嶺 雅俊


昨年12月中旬、JICA沖縄のメディア派遣事業で、およそ1週間、カンボジアに滞在した。人や車が、日本と比較すると乱暴に行き交い、古くからある建造物と新たな建造物が雑然と並ぶ街の様子が、経済的な成長期にある国であることを実感させた。

政治的安定に伴う経済発展。その安定が、日本の年号で表記すれば、平成に至ってようやくもたらされたものであることすらきちんとは分かっていなかったぐらい、カンボジアは私にとっては「遠い国」だった。

今回の取材対象は、カンボジア地雷対策センター(CMAC)が新たに整備する「平和博物館」について。必然的に、なぜ平和博物館を整備するのか、という背景に触れることになった。

「ポル・ポト派」「大虐殺」「地雷」…。カンボジアの現代史については、学校教育やメディアで見聞きしていたそれらのワードから、何となく悲惨な歴史があったことは知っていた。そして、同国でのわずかな期間の取材ながら、ただ「知っていた」だけということ、かなり「人ごと」だと感じていたのだということを痛感した。

今年は太平洋戦争の終結、そして多数の住民を巻き込む凄惨な地上戦が展開された沖縄戦から80年が経過する節目の年となる。沖縄で生まれ育った私にとって、戦争と言えば「沖縄戦」のことだった。

建設中の博物館施設の視察

CMAC との協議

カンボジアで見聞きしたことは、戦禍は沖縄戦だけでないというごく当然のことを、改めて私に突き付けた気がした。沖縄のメディアにいる人間として、これからも「戦争」には向き合い続けなければならない。この気付きは、きっとその時に生きてくるのだろうと思っている。

正直に言って現地取材においては、新たな平和博物館づくりに沖縄が関わっている意義という、最も記事に盛り込みたかったことについて、カンボジアの関係者から満足に話を聞き出すことはできなかった。

取材力不足ということもあるが、ある意味、おべんちゃらとかで無理に取り繕うことをしない人たちなのかとも感じた。本当のところは分からないが、だからこそ、新たな博物館が世界中に平和を発信する拠点になってほしいという思いを語る言葉には説得力があった。

展示にどういう思いを込めて、どう来館者に伝えていくか。戦禍の継承、平和発信を続けてきた沖縄の専門家らが、新たな平和博物館の担い手たちにそのことを伝えている。今年1月中旬~2月初旬に日本での研修を受けたCMAC職員4人による、沖縄での企画写真展を観覧した時、細かなノウハウも含めて、沖縄が培ってきたものは、カンボジアにも引き継がれていっているのだなと感じた。
 
来年の開館に向けて、平和博物館の整備が急ピッチで進んでいる。きっと、平和の継続を望むカンボジアの人たちの強い思いが詰まった施設になるだろう。そこに沖縄が関わっていることは素直にうれしく思うし、互いに学び合いながら、より「近い国」になるきっかけとなる場になることを願っている。

平和博物館正門にて、沖縄・カンボジア双方の関係者

現地の子供のお坊さん

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