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長期研修員向けに「沖縄の戦後復興の歩みと平和への取り組み」ツアーを実施しました。

2025.03.21

JICA沖縄では、これまで研修員福利厚生の一環として、平和学習ツアー(平和祈念資料館)や文化紹介・体験プログラムを実施してきました。今回JICA長期研修員(留学生)を対象に地域理解プログラムとして、「沖縄の戦後復興の歩みと平和への取り組み」をテーマに企画、3月1日に実施し、琉球大学で学ぶ3か国3人が参加しました。

1.講義:沖縄の戦後復興の歩みと平和への取り組み

沖縄平和協力センター理事長の仲泊和枝氏を講師に招き講義を実施しました。
「琉球王国」から日本の中の「沖縄県」となり、戦後「米軍統治下」の時代を経て現在の沖縄県となった経緯や、なぜ沖縄が日本で唯一の地上戦の場となったのか、なぜ今も沖縄に米軍基地があるのか、戦争がもたらした悲劇と、沖縄の戦後復興における米軍政府の貢献、地元住民の復興に向けた働きや、沖縄県が戦後世代へどのような伝承、平和への取り組みを行っているかなど、さまざまな面から学びました。

熱心に講義に聞き入り、活発な質疑応答がされました

2.平和学習ツアー(読谷村):トリイステーション周辺、村内戦跡(ガマ)

1945年米軍が沖縄本島に上陸した地である読谷村を訪れ、現地団体が平和学習のために実施されている2つの平和学習ツアーに参加しました。

在沖縄米軍トリイステーション(西太平洋地域における米軍最重要通信基地)とわずかに金網のフェンスをはさんで地元住民の生活が隣接、共存している読谷村エリアを視察しました。戦時中米軍の上陸によって生活の場を奪われ、戦後も米軍基地建設のため元の場所に戻ることができない住民が多くいること、米軍基地内に農地や先祖の墓地がある人たちは米軍に入構申請を行ったうえで農地作業や先祖供養に訪れている様子などを実際に見ることができました。米軍基地周辺の住宅街は、米国に倣い碁盤目に設計されている点など、沖縄の他の地域では見られない風景でした。

戦時中住民が避難した“ガマ(自然の洞窟)”も2カ所案内していただきました。「チビチリガマ」は避難した住民の多くが自決により命を落としたガマであり、「シムクガマ」は避難した人のほとんどが生き残ったガマです。この2つのガマは1kmほどしか離れていませんが、2つのガマの「生と死」を分けたものは何だったのか、戦時下での人々の心情がどうであったのか、現地で聞く平和ガイドの話からいろいろなことを考えさせられました。

「艦砲ぬ喰ぇー残さー」歌碑

「艦砲ぬ喰ぇー残さー」歌碑

シムクガマにて

3.振り返り

沖縄の歴史と沖縄戦、戦時中の状況、戦後なお沖縄に残された戦争による傷跡や問題、戦争の悲惨さ・歴史の継承、平和のための地域の取り組みなど、講義と現地視察により学びの多いプログラムとなりました。

参加研修員の感想
・沖縄戦について、地上戦の具体的な詳細や、戦後沖縄がどのように復興に努めたか、多くのことを学ぶことができました。ガイドツアーでは午前の講義で説明された場所を見学し、過去と現在の人々の葛藤や生活を知ることができ、非常に興味深いものでした。
・戦争がいかに沖縄を破壊し、犠牲者を苦しめたか、そして沖縄が戦後どのように復興したかを学びました。米軍統治がいかに沖縄の人々に影響を与え、つらい記憶を残しているかを知り、悲しく思います。
・平和のために私がこれからやるべきことは、自分自身、環境、そして世界との平和を保つために、あらゆる努力をすることです。沖縄の人々が戦後を乗り越え、悲しい過去にもかかわらず世界中の人々や現代の沖縄の若い世代が楽しめる活気に満ち、繁栄したビジネス環境を築いた勇気、回復力、知恵、そして克服する精神に深く感動しました。沖縄と日本に神の祝福がありますように。そして戦争で亡くなった方々の魂が安らかに眠れるよう祈ります。

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