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JICA 地方マスメディア派遣プログラム 体験レポート -ボリビア in コロニアオキナワ- Vol. 1

2026.04.02

沖縄で活躍するお笑い芸人 首里のすけさん、ディレクターの長濱さん、琉球朝日放送(QAB)の町さん、諸見川さんがJICA地方マスメディア派遣プログラムにてボリビアのコロニアオキナワを訪れ、地球の裏側にあるもう一つのオキナワで沖縄出身の海外協力隊員や沖縄県系の帰国研修員、沖縄県とJICA沖縄が取り組む事業等を取材しました。今回の取材を通して見た現地の様子や国際協力事業、ボリビアと沖縄のつながりから感じたこと等をご紹介頂きます。

ボリビア取材を終えて

琉球朝日放送 町 龍太郎

「ボリビアに沖縄があるらしい。」
最初のきっかけとなったのは、お笑い芸人の首里のすけさんから聞いたこの発言でした。

その後、紆余曲折を経ながら正式にボリビアでの取材が決まり、事前学習として過去のニュースや書籍、はたまた那覇市内でボリビアから沖縄へと戻ってきた方へのヒアリングなどを重ねながら、ボリビアでの取材準備を進めました。

取材メンバーは、首里のすけさん、同行ディレクターの長濱良起さん、私とカメラマンの4人となりました。これまで、QABではJICAのメディア派遣プログラムで、ディレクターとカメラマンの二人一組で行うのが通例でしたが、今回はこれまでと違った形、つまり芸人さんをレポーターとして起用するというチャレンジがありました。その理由は、やはり取材クルーがディレクターや記者だけになってしまうと伝えたい情報はお届けできるものの、どこか固くなってしまい、視聴者にとって「面白い!」と思ってもらえるかどうかは別の話だからです。芸人さんがリアクターとなることで、ボリビアにある沖縄のありのままをより面白い形で表現できるとの考えから、このような座組となりました。様々なハードルはあったものの、なにより首里のすけさん自身の強い思いが今回の座組を成立させ、実現に至ったということになります。

さて、実際にボリビアに着いた私たちを待ち受けていたのは、地球の反対側に移動してきたとは思えないほど、“沖縄そのもの”でした。出会う人たちが日本語を話し、名前を聞いたら比嘉、山城、大城など、沖縄で聞き覚えのある苗字の方々ばかりです。あまりにもたくさんのボリビアのウチナーンチュの方々にお会いしたので、二日目ぐらいからは、言葉が通じることも、相手が沖縄ルーツであることにも驚かなくなったほどです。一方で、周囲の環境は全く違うものです。特に沖縄移住地であるコロニアオキナワは、未舗装の道路が続いており、生活環境としては、沖縄とは違いました。とは言っても、私の出身は鹿児島県の離島ですが、同じような感覚になったので、どこか懐かしい印象を覚えました。

取材にあたった項目としては、①海外協力隊 ②日系社会研修を受けたボリビアのウチナーンチュ ③CAICO(農業協同組合)④沖縄県の取り組み となります。内容は、琉球朝日放送(QAB)の公式YouTubeチャンネルにて「首里のすけinボリビア!! JICAリポート」として配信中ですので、ぜひご覧いただければと思います。

それぞれについて、映像では収まりきらなかった取材する中で感じたことを少しだけ書き連ねたいと思います。

海外協力隊としてボリビアに渡った小学校教員のお二人、古見先生と阿波根先生は、とにかくボリビアでの生活を楽しんでいる姿が印象的でした。お二人がインタビューの中で話されていたように、「ボリビアにいるけど沖縄で暮らしているみたい」という言葉がまま感じられました。一方で、日本の沖縄において大人も含めて子どもたちにも、もっと地球の反対側にあるオキナワのことを知ってほしい、という言葉が響きました。この二つの地域をつなぐ教育、もしくは取り組みが今後も継続的に、そして精力的に実現されることを願っています。

JICAの日系社会研修を終えてボリビアの地で活躍されているウチナーンチュの皆さんの取材で特に印象的だったのは、CAICOのパスタ工場で働く島袋さんへのインタビューでした。とても大きな施設の中で、「OKINAWA」という名前の付いた商品を生産し、それをボリビア国内だけでなく国外輸入までを目指すその姿に、沖縄の企業と変わらないウチナー魂を感じ、胸がアツくなりました。いつの日か、CAICOで生産されたパスタ麺「フィデオオキナワ」が、沖縄県内のスーパーの棚に並ぶ日常が待ち遠しい限りです。

CAICOの歴史についても、津嘉山組合長をはじめ、比嘉徹さんの首里農場を取材させていただきました。ボリビアに渡ったウチナーンチュたちが大きな農地をかかえ、組織一丸となって歩んだその苦難の歴史の一端に触れ、日本側からも絶えずJICAを中心に支援を続けてきたからこそ、今のCAICOがあるのだと、その歴史の重みや人の意志、覚悟がにじみ出ていました。「やろうと思ったことはできるもの」なんだと、ジャングルを切り開いて耕した広大な農地と大きな工場施設を見て、震えました。あえて言うならエモくなりました。とてもすごいことです。沖縄戦によってすべてを失ったウチナーンチュが、80年の時をかけながら今の沖縄をつくってきたように、ボリビアのオキナワでも戦後の歩みが確かにあったのだと強く感じるとともに、この事実を、この歴史を、この人々の思いを、今後もより多くの人に発信したいと考えています。

そして、そんな歩みは、沖縄県という行政においても連携を深めようとする動きがありました。主に観光の側面から、連携を深める調査団の取材を行いました。印象的だったのは、県系3世の比嘉貞雄さんがプレゼンテーションを行った「コロニアオキナワの道の駅構想」です。こうした取り組みを沖縄県からも支援することで、より深く継続的なつながりが生まれることを期待しています。

取材を振り返る中で、今回は本当に特別な体験だったと改めて感じています。改めて、沖縄のメディアがボリビアに渡った今回のメディア派遣の価値を再認識するとともに、今後もこうした発信に積極的に取り組み続けたいと思います。

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