地域おこし協力隊として地域の多文化推進に貢献~小川ひとみ~

2023.12.07

JICA 海外協力隊から帰国後、地域おこし協力隊として長野県の木曽町に移住し、町の多文化推進等に取り組んでいる小川ひとみさんに、地域への思いなどを伺いました。JICA海外協力隊の経験を活かして町と世界をつなぐ活動をしている小川さんの壁の乗り越え方や原動力とは?!
帰国後に国内外で活躍する帰国隊員のインタビューシリーズ「協力隊経験を未来へつなぐ」の第4回です。

海外に行くなら、現地の人の役に立つようなことをしたいとJICA海外協力隊へ

―大学卒業後、大学大手IT企業のシステムエンジニアとして働いていた小川さんがJICA海外協力隊を目指したきっかけはどんなことですか?
小川ひとみさん(以下「小川」):何度か海外旅行に行っているうちに、ただの旅行では物足りなくなってきてしまいました。「海外に行くなら、現地の人と交流したり、現地の人の役に立つようなことをしたりしたい。」そう思い、JICA海外協力隊であれば自分のやりたいことを実現できると考え、応募を決めました。


◆関連リンク◆
JICA海外協力隊

10回の授業で電気が通ったのは1回だけ!電気がない中でどうコンピュータを教えた?

小川さんは青年海外協力隊として「PCインストラクター」という職種でガーナに派遣され、首都から乗り合いバスで3時間の町にある技術職業訓練校に配属されました。
主な活動は、1.コンピュータの基礎知識の授業と基本操作の実習、2.教材開発、3.備品管理の3つが要請内容です。

―具体的にはどのような活動を行いましたか?
小川:通常の授業では、パソコンの電源の入れ方から、マウス・キーボードの使い方、Word、Excelなどの使い方を教えていました。ただ、当時のガーナは停電がとても多く、パソコンを教えるのに電気を使えない日がほとんどで、はじめの半年で授業が10回ありましたが、そのうち電気が使えたのは1回だけでした。そのため、授業のない時間を使って、電気がなくてもITの勉強ができる教材を開発していました。

開発された問題集を持つ生徒と小川さん

―パソコンを教えるのに電気がない!日本にはない環境ですね。その他に苦労したことはありますか?
小川:備品がなくなることです。パソコンやマウス、電源コードなど、学習用の備品がしょっちゅうなくなりました。教材であるはずのパソコンを先生が「ちょっと仕事に使わせて」と言ったきり私物化していたり、少し目を離した隙に生徒が盗んでしまったりと、ただでさえ少ない教材がさらに減ってしまい、備品管理に苦労しました。対策として、備品管理リストを作って持ち出すときは名前などを書いてもらうことにしましたが、なかなか定着しませんでした。

パソコンに関するかるたを作って電気がない中でも授業ができるように

ガーナでの協力隊活動の様子

―苦労を様々な苦労をされた協力隊経験ですが、一番の喜びや思い出はどんなことがありますか?
小川:学校対抗ICTクイズ大会を開催できたことです。当時ガーナにはIT関連職種の隊員が20名以上いました。IT関連の隊員と、彼らのカウンターパートを合わせて40名以上のメンバーの協力を得て、1冊の問題集を作りました。そして完成した問題集を授業で活用してもらうために、学校対抗のICTクイズ大会を企画しました。自分の配属先も含めて5つの学校に問題集を無償提供し、その代わりにクイズ大会に出場してもらうように依頼したのです。問題集を作る過程や、クイズ大会の準備は簡単ではありませんでしたが、ガーナ人と日本人が力を合わせて無事開催することができ、大会は大いに盛り上がりました。クイズ大会は学校代表選抜で行ったのですが、選抜のための試験の際、一番成績が悪かった学校が優勝したので、大会に向けて問題集で勉強してくれたと感じ、嬉しかったです。

クイズ大会での様子

地元信州に貢献したい思いで地域おこし協力隊に

小川さんは帰国後、東京のIT企業でエンジニアをしていましたが、現在は長野県木曽町に移住し地域おこし協力隊として活動しています。

―帰国後、一旦東京で働いた後、木曽町に移住したのはどんな思いからですか?
小川:もともと、いずれは地元信州に帰りたいと考えていたこともあり、インターネットで職探しをしていました。ところが、自分の経験を活かせるような仕事は見当たりませんでした。そこで思いついたのが、地域おこし協力隊です。「地域おこし協力隊なら、田舎で暮らしながらもITや海外での経験を活かして地域のために何かできるかもしれない」と。そこで町役場に問い合わせ、移住を考えている旨を伝えたところ、自分の経験を活かせるようなミッションの募集を出していただけることになりました。

―地域おこし協力隊としてどんな活動をしていますか?
小川:町における多文化共生推進がメインの活動になっています。国際交流のイベントや、世界の料理を作って食べるワークショップを開催したり、町広報誌に世界の国々を紹介する記事を書いたりしています。その他、情報発信や農園づくり、特産品開発など、幅広く活動しています。また、隣町に住むJICA海外協力隊のスリランカOVと一緒に「世界の朝ごはん」を開催しています。「食」という世界共通のものを入り口に、世界に興味を持ってもらうきっかけ作りとして「世界の朝ごはん」を開催しています。木曽町、駒ヶ根市などの南信地域(長野県南部)を中心にこれまでに8回開催してきました。講師は毎回、テーマの国に長期滞在したことのある方にお願いしています。

「世界の朝ごはん」で作ったガーナの朝ごはん

―現在の活動にJICA海外協力隊の経験はどう生きていますか?またやりがいを感じることはありますか?
小川:現在は地域おこし協力隊として、地域で異文化理解・国際交流関係のイベントを企画・開催しています。青年海外協力隊の経験で得た人脈やガーナの文化についての知識、英語力は大いに活かされていると感じます。現時点では目に見える効果はありませんが、国際交流や異文化体験イベントの後に、参加者がイベントで知った国に興味を持ってくれるようになると、やりがいを感じます。先日も、イベントの後、セネガルの本を図書館から借りてきた方がいて嬉しくなりました。

「○○がないからできない」という考え方はしない

―様々な活動を行う中で壁に当たることもあるかと思いますが、どのように乗り越えていますか?
小川:とにかく動く! 切り替える!
ガーナに行ってから「○○がないからできない」という考え方はしなくなりました。ないものだらけのガーナでの生活を通して「○○がないなら、△△で代用してみる」と当たり前に考えるようになったのです。それは壁に当たったときも同じです。「○○という壁があるなら、△△でやってみよう」と頭を切り替えて、動く。「△△でもダメなら□□」…というように、とにかく行動します。

―小川さんを突き動かしている原動力は何ですか?
小川:青年海外協力隊で何もできなかった悔しさです。
ガーナ渡航前の私は「ガーナの教育を変える!」と意気込んでいました。ところが実際にガーナで教員として活動してみると、ガーナの教育どころか、1つのクラスの授業すらなかなか改善できません。結局、自分の学校の教育ですら、何一つ変えることができませんでした。
「ガーナの人たちを助けるつもりで行ったのに、何一つできなかった。いつも助けられていたのは私のほうだった」
そんな悔しさから、「日本で修行して、もっともっと力をつけて、いつかガーナに恩返しをする」と決意しました。帰国から数年経った今でも、私の原動力の源はガーナにあります。

いずれは観光農園を開園してガーナ人を雇用したい

―将来、どのようなビジョンを描いていますか?どのような社会になればよい、と思って活動されていますか?
小川:外国の方によって(ソフト面で)訪れやすい地域になり、今よりもたくさんの外国の方が暮らしている。また、彼らが産業の担い手となることで、地域が維持されている。外国の方も地域の方もお互いの文化から学び合い、多文化共生が行き届いた地域になっている。そんな社会になることを願って活動しています。

―今後の活動の展開などを教えてください。
小川:地域おこし協力隊の任期満了後は、移住前のIT企業に再就職する予定です。町に住み続けてリモートワークで仕事をしつつ、余暇を使ってこれまでの地域活動を継続していくつもりです。廃業した祖父母の民宿には広大な農地もあるのですが、今は耕作放棄地になっています。いずれは畑を観光農園として開園し、ガーナ人を雇用して民宿に住んでもらいたい、と夢を膨らませています。

挑戦する方へのメッセージ

―最後に、これから何かに挑戦したいと思っている方や協力隊応募を考えている方へメッセージをお願いします。
小川:JICA海外協力隊の2年間は、そこでしかできない特別な体験で溢れています。私はガーナで暮らした2年6ヶ月間で、考え方や人生が変わりました。少しでも興味があったら、ぜひ応募してみてください!

木曽町での国際交流イベントの様子

プロフィール

小川ひとみ:新卒で入社したIT企業に5年間勤めたのち退職し、青年海外協力隊としてアフリカのガーナに赴任。2014〜2017年の2年6か月間、職業訓練校のICT教員として活動していました。2023年現在は木曽町地域おこし協力隊として活動中。

報告者:市民参加協力第一課 我妻みず穂

\SNSでシェア!/

  • X (Twitter)
  • linkedIn
一覧ページへ