五感で蚕を飼う~浅井広大~

2024.02.01

JICA 海外協力隊から帰国後、群馬県の富岡市に移住し養蚕に取り組んでいる浅井広大さんに、任地や養蚕農家としての思いなどを伺いました。協力隊経験を活かして地域に貢献する活動をしている浅井さんのきっかけとは?!
帰国後に国内外で活躍する帰国隊員のインタビューシリーズ「協力隊経験を未来へつなぐ」の第5回です。

海外に行くなら現地の人の役に立つようなことをしたい、とJICA海外協力隊へ

―大学卒業後すぐにJICA海外協力隊に参加したそうですが、協力隊を目指したきっかけは何ですか?
浅井広大さん(以下「浅井」):海外や外国語に興味があり、アルバイトでお金をためては海外に行き、大学でベトナム語やラオス語を勉強していました。旅行では得られないような体験をし、また自分が勉強してきた分野である農業経済を少しでも現地に生かせればと思い応募しました。
JICA海外協力隊

現地の人から人へ知識や技術が拡がっていくよう意識

浅井さんは青年海外協力隊としてネパールに「村落開発普及員」という職種で派遣され、
シンドゥパルチョーク郡農業開発事務所に配属されました。
―具体的にはどのような活動を行いましたか?
浅井:前任者が取り組み始めたキノコ栽培の普及を主に行っていました。現地ではベジタリアンが多く、健康にも良いと評判で高値で取り引きされており、資材費もそこまでかからないので農家のお小遣い稼ぎにはぴったりだったようです。女性でもできる作物なので、女性グループらと一緒になって活動したりもしました。
他にも有用液肥の普及や牛舎改善などを行いましたが、人から人へ知識や技術が拡がっていくよう意識しました。
※現在の「コミュニティ開発」

女性グループと浅井さん

―活動中、苦労されたことはどんなことですか?
浅井:日本の知識や技術は良いものと理解されていましたが、遠い異国のものとはねつけられてしまいました。そこで、現地で工夫をしている農家さんの技術を紹介したり、農家さん自身を研修会の指導役としてお願いしたりしたところ、次第に受け入れられるようになりました。変わり者農家さんをピックアップし、彼を成功させてモデルとしたことも良かったと思います。
また、語学面でも苦労しました。自分と現地の方との会話は何とかなっても、現地の方同士の会話についていけない。これは多くの協力隊員が経験することですね。

ネパールでの協力隊活動の様子

―協力隊経験の中で一番の喜びや思い出はどんなことですか?
浅井:村に泊まったときに老若男女様々な方がきてくれて、火を焚いて温まりながら、「来てくれてよかった。」と言ってくれたことです。活動内容そのものより、「あなたがきてくれて、いろんな子どもや若い人と交流してくれて、この村で活動してくれたことがよかった。」と言ってくれた時は嬉しかったです。生活や交流の部分で一緒に汗を流したことを評価してくれたのだと思います。

五感で蚕を飼う姿に憧れて養蚕農家に

浅井さんは、現在養蚕体験・研修所「大丸屋」の管理人として、富岡市にて養蚕とネギ栽培(下仁田ネギ・長ネギ)で生計を立てています。
―なぜ養蚕を始めようと思ったのですか?
浅井:帰国3ヵ月後にネパールの任地を震源とした大きな地震があり、友人も命を落としたり、家をなくしたりしてしまいました。居ても立っても居られなくなり、復興支援しながら生計をたてる手段として外務省のプログラムを活用し、群馬県甘楽町のNPO法人自然塾寺子屋にお世話になりながら復興支援活動に従事しました。
その中で、養蚕農家で研修を受けたところ、養蚕農家の五感で蚕をかう姿や人間性に魅力を感じ、自分もやってみよう!と思ったことがきっかけです。
ネパールの農家と日本の農家の「土地を愛している」姿にあこがれて始めたとも言えるかもしれません。

―様々な活動を行う中で壁に当たることもあるかと思いますが、どのように乗り越えていますか?
浅井:自分ひとりの力では何ともならないので、人に助けを求めることにしています。どうしたらよいのか、とにかく聞きまくる。協力隊時代も自分で何とかしようというよりは、足でかせいで、良い人にめぐりあってやってきました。その土地のやりかたはその土地にあっているので参考なります。また、過去の記録ノートを見返すようにもしています。

―浅井さんを突き動かしている原動力は何ですか?
浅井:師匠の存在ですね。その師匠が80歳近い今でも現役でいい繭を出しているので、そこに追いつきたい、負けられない、という思いで頑張っています。以前、JICAが実施したネパールの養蚕事業で群馬県職員が派遣されていたこともあります。その経緯から、ネパールからも「是非きてくれ」と言われているので、いつかネパールにも養蚕で力になりたいと思っています。

養蚕を地域振興につなげたい

―将来、どのようなビジョンを描いていますか?
浅井:富岡シルクは最近、ハイブランドとの取引も一部始まりました。彼らは原料調達にあたって、クリアするべき量や質はもちろん、生産者がどんな想いを持ってその仕事をやっているかというフィロソフィーを大変重視すると話を聞きました。今後、更なる量が必要になってきますが、やめてしまう人が多い中、一人でも多く養蚕に携わる人を増やし、養蚕が地域振興につながればよいと思っています。
地域には自分のことばかりではなく地域の将来を考えている粋な方、あこがれる農家さんがたくさんいますが、自分もそういう農家になりたいです。

―今後の活動の展開などを教えてください。
浅井:現在、年間800-900キロ出している繭を1トン出せるようになりたい!そのためにもスタッフを増やしていきたいです。

作業中の浅井さん

挑戦する方へのメッセージ

―最後に、これから何かに挑戦したいと思っている方や協力隊応募を考えている方へメッセージをお願いします。
浅井:今はインターネットを通じて簡単に世界の様子を知ることができますが、直接、現地の人と向かい合ってみないと得られないこと、分からないことがたくさんあります。自分の身を通して体験して得られることもあると思います。JICA海外協力隊は人生の価値観も変えてくれるので、そういう経験を、協力隊を通して知ってもらえたら嬉しいです。

プロフィール

浅井広大:東京都出身。大学卒業後、JICA海外協力隊としてネパールに派遣。農業開発事務所にて、農家の生計向上を目指し、有用な液体肥料の普及、牛舎改善、キノコ栽 培技術の普及を行う。帰国後、NPO法人自然塾寺子屋にてネパール大地震からの復興支援活動に従事。甘楽町地域おこし協力隊として養蚕振興に携わり、2019年、富岡市で養蚕農家として独立。

報告者:市民参加協力第一課 我妻みず穂

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