新たに着任した日系サポーターを紹介します!
2025.07.08
東京センターでは5月に2名の日系サポーターを迎えました。
南米ブラジルからは、ナミ・グロリア・イノウエさんが5月11日に来日。NPO法人多文化フリースクールちばにて外国につながりのある子供たちの日本語指導や学習支援を開始しました。
ナミさんには、ブラジルでのこれまでの生活や日系社会との関わり、活動に対する意気込み、そして今後の抱負などについて伺いました。
ナミ・グロリア・イノウエさん
現在、NPO法人多文化ブリースクールちばにて日系サポーターとして活動中
ナミさんは日系人夫婦の一人っ子として南米ブラジルのサンパウロ州で生まれました。日系三世です。幼少の頃、周りに日系人は多くなく、日本語学校もなかったそうです。そのような環境のなかでも、日本文化と触れ合う機会を家族とともに大切にしてきたと語ります。
「しかし、車で2時間あまり離れた場所に日本人会があり、幼いころから運動会や母の日イベント、すき焼きフェスタ、灯篭流しなどのイベントに参加する機会がありました。その他にも家族でよくビーチに行きました。家族と過ごした幼少期の思い出は、本当に素晴らしいものです!」と目を細めます。
卒業の日、家族と共に
一方、勉強熱心な少女でもありました。3歳で保育園に入園し、同じ学校にそのまま小学校・中学校の部に通いました。その後、専門高校を経て大学に入学し、昨年法学部を卒業しました。振り返ると、これまでの人生はほとんど勉強の日々だったそうです。
「これまでで一番嬉しかったことは何か」と尋ねると、
「自分が志望する大学に受かったと知った瞬間です。自宅で大学のウェブサイトで公表された合格者の中に私の受験番号を見つけると、嬉しさのあまり涙を流しました。そばにいた家族も一緒に喜び、祝福してくれました。」と答えました。
ナミさんはサンパウロ大学法学部に現役で合格し、昨年卒業しました。ブラジルのサンパウロ大学は国内最難関の大学であり、中南米でも事実上最も難しい大学です。厳しいカリキュラムについていくのも決して容易ではなく、卒業も非常に難しいとされています。毎年、世界の大学ランキングでも100位内にランクインする名門です。
5年の過程を経て卒業した現在、ブラジルの弁護士資格を有し、帰国すれば法律事務所への就職や開業も可能な状況です。
大学在学中、サンパウロ大学法学部とJICAの共同事業「ブラジル日本開発研究プログラム『フジタ・ニノミヤチェア』*にも参加する機会がありました。JICAとの縁は既にこの時に始まっていました。
「フジタ・ニノミヤチェア」が開催した“The Japanese Law Extension Course”を受講。ブラジルと日本から多数の教授が両国の法制度についてオンラインで講義を行いました。テーマは非常に興味深く、両国の法制度の最新動向を把握する貴重な機会となりました。
また、2023年には法学部で開催されたJICAの田中明彦理事長による『複合的危機下の国際関係~日本の視点~』という講義を対面で受講することもできました。「フジタ・ニノミヤチェア」創設のきっかけとなったサンパウロ大学法学部の二宮正人教授との縁もありました。
「二宮教授は両国で非常に尊敬され、まさに法学の『権威』です。私自身、日系人が少ない専攻にあっては、日本人の先生がいらっしゃることを嬉しく思いました。そして二宮先生の経歴に関心を持ち、先生がご担当の講義「比較法II:アジアの視点から見た日本法」を受講する機会に恵まれました。この科目では、先生は日本の法律の概要を説明してくださり、また日本での留学について意見交換をすることができました。私はこの科目を通じ日本の法律への関心を深め、卒業論文のテーマを日本の刑事訴訟法に決め、二宮教授を指導教員としてお迎えする栄誉に預かりました。二宮教授は、非常に賢明な方、かつ熱心に学生を支援する方だと感じました。興味深いことに、私が卒業論文の相談で先生の研究室を訪れるたび、教授はご自身の著作やかつて学生の時に指導した先生の著作など多くの書籍を贈ってくれました。二宮教授の蔵書は本当に豊富です。」
*ブラジルのサンパウロ大学との共同事業「フジタ・ニノミヤチェア」の詳細はこちら:サンパウロ大学 | 海外での取り組み - JICA
法学部を卒業し、現在はブラジルの弁護士資格を有する
これまで順調に弁護士への道を歩んできたナミさん。いよいよ弁護士としてのキャリアが始められるこのタイミングでなぜ日系サポーターになる道を選んだのでしょうか。
「昨年、大学の交換留学プログラムで日本の大学に短期間留学する機会がありました。この時、日本という国にすっかり魅了されました。帰国する頃には、私の先祖の文化についてもっと知りたい、そのため日本に戻りたい、そう強く思いました。また、日本の南米日系人社会にも何らかの支援ができれば、とも思いました。」と語ります。
ナミさんは、留学によって日系人としてのアイデンティティをより強く意識するようになったと言います。とはいえ、これまでのブラジルでの人生においても日系社会の存在意義は感じていたそうです。
「私は、日系コミュニティは組織として強くなって欲しいと思っています。ブラジルは私の外見(日系人)と異なる民族の人々がほとんどを占める大国です。私にとっての日系社会は、そうした国にあっても自分を見失わず、自身のルーツを理解し、孤独を感じないためにも非常に重要だったのです。」
こうしてナミさんは日系サポーターに応募し、来日しました。最初の1週間は、各国から来た日系サポーターとともにJICA横浜センターでのオリエンテーションプログラムに参加。基本的な日本語の勉強のみならず、JICA移住資料館視察、課外活動などを通じて時間を共有し、同期研修員たちとの絆が生まれました。
「JICA横浜で中南米諸国の研修員たちと出会いました。異なる国から来た人たちで、お互い会うのが初めてなのに、日系人であるとの共通の意識だけで繋がっていることが感じられ、感銘を受けました。また、皆強いモチベーションに支えられ、日本での生活と日本語を必死に学ぶ姿が印象的でした。」
ナミさんはその後、千葉市にある「NPO法人多文化フリースクールちば」で本格的な活動を始動。同NPOは母国で中学を卒業し来日したものの、日本の高校入学にあたり支援を必要とする子供たちに対し、日本語・学習面でのサポートを行っています。
ナミさんが応募時にこの提案表を選んだ背景には、日本における日系人や外国につながりのある子供たちが直面している教育や生活の課題に取り組みたいという強い意志があったためです。
「日本には学校に通えない多くの外国の子供たちがいることを以前から知っていました。こうした状況は残念でなりません。日本で生活する外国の子供たちが将来定職に就くには、日本での教育は必須です。定職があれば将来経済的にも、社会的にも問題に直面することが少なく、より円滑に日本社会に溶け込むことができると思います。
NPO法人多文化フリースクールちばで行っている活動を知り、まさに外国の子供たちのこうした問題の解決に繋がるものであると感じ、私も何か支援ができればと思いました。私自身、日系三世として生まれ、日本と異なる環境のもとで育ちました。異なる言語、文化の国で生活する難しさを身をもって経験しているため、彼らの気持ちを汲みながら支援できると思いました。」
千葉の受入先での活動は始まったばかりです。
今後の抱負を聞くと、こう語ります。
「外国につながりのある子供たちへの支援に最大限の力を注ぎつつ、彼らの国の文化にも触れたいです。また、日本語をもっと上達することで、自分をより表現できるようにし、生徒たちへの指導の質を高めたいです。さらに、この機会に、日本社会において外国人や日系人が直面する困難について状況を知りたいと思っています。今まではブラジルで日系人としてアイデンティティをもち、それに伴うチャレンジを自分なりに経験したつもりですが、それはある意味狭い視野でしかないと思います。今度は日本における日系人の状況を知ることで、日系社会の“O outro lado da moeda”*(裏側の本当の姿)を知ることができ、視野を広げたいと思っています。」
*直訳すると「硬貨のもう一方の側面」。裏側にある本当の姿、という意味です。
NPO法人多文化フリースクールちばでの活動の様子
ナミさんは今回、縁あって初めて日系サポーター事業に携わることになりました。JICAに対して今ではどのような印象を持っているか、最後に聞いてみました。
「JICAは日系の子孫であることを価値あることとして認め、そのお陰で日本に迎え入れられる機会が与えられたと捉えています。このことにより、日系人であること、そして日本人の先祖がいることに対する感謝の気持ちを私の中で芽生えさせました。」
帰国後、ナミさんは専門である法律の知見により人々を支援していきたいと考えています。また、今回日系サポーターとして外国人・日系人のコミュニティを支援した経験を、現地の日系社会でも共有していくことを決意しています。
・ブラジル国サンパウロ州生まれ。
・サンパウロ大学法学部卒(弁護士)
・座右の銘:“A persistência é a chave para o sucesso”(粘り強さが成功のカギなり)
・星座 ふたご座
・血液型 O型
※「日系サポーター」の詳細はこちら:日本の中南米出身者を支援する「日系サポーター」とは?|JICA MAGAZINE | 広報誌 JICAマガジン
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