いくつになっても、挑戦は続く

鴨川由美子さん
NPO法人胃癌を撲滅する会 代表

~「あなたらしく」生きていると思えるのはいつですか?~
やってみよう、とはじめの一歩を踏み出したとき

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国内で消化器内科医として勤め、その後アメリカ留学を経て国外で基礎研究に従事していた鴨川由美子さんは、臨床の現場に戻るにあたって、国境なき医師団などの途上国の医療に携わるようになりました。世界で活躍する鴨川さんの「今」につながる出会いと挑戦を振り返ります。

途上国の現場で得た新たな目標

NPO法人胃癌を撲滅する会の代表を務める鴨川由美子さんが途上国の医療に携わるようになったのは、オーストリア人の夫の帰国に合わせてウィーンに移住し研究職を離れたことで、臨床にカムバックしたいと考えるようになったことがきっかけでした。そして、以前から気になっていた僻地医療もしくは国際貢献のような仕事をあらためて志そうとしたとき、偶然の出会いが後押しとなりました。
「途上国の医療現場は先進国とは環境が大きく異なるため、専門的な研修が必要です。どこで学ぶか悩んでいたら、日本に一時帰国したときランチに入った店で本当に偶然、20年ぶりくらいに昔の上司と再会したんです。その方がちょうど日本の国立国際医療研究センターで働いていると分かり相談をしたら、『僕のところでも熱帯医学の研修をやっているから来てみたら』と言ってくださって。国立国際医療研究センターでの研修を経て、国境なき医師団に応募しました」
国境なき医師団に参加した鴨川さんの赴任地は、インドのカシミール地方でした。診療所を回り、現地の医療スタッフに指導とアドバイスをしていく中で、鴨川さんは歯がゆい思いをすることがありました。
「派遣先では胃痛を訴える人が多かったのですが、胃酸を抑える薬などを処方してもまた戻ってくる人たちがいて、もしかするとピロリ菌が原因なのかもしれないと考えました。ピロリ菌はガンの原因にもなるので、国境なき医師団に組織的な早期治療の対応を提案しましたが、同医師団が対象とするのは緊急医療と感染症のみという方針で、がん治療までは対処しきれないという判断でした」
さらに、国境なき医師団が滞在するのは基本的に短期間で、長い場合でもせいぜい1年から2年だといいます。
「大きな事故や自然災害などの緊急時に、すぐにその場へ行って必要な医療を行う国境なき医師団の活動はとても大切であり、絶対に必要なものです。ただ、内科医である私は、基本的な医療知識を周知させて積み上げていくことが得意です。ならば、現地の医師や看護師さんたちへの知識の共有によって医療のレベルや技能が上がる方が良いのではと考えたのです」
加えて、首都ではなく地方の診療所に勤める医療スタッフの人々が新しい知識の吸収に非常に積極的な様子だったことも印象に残ったそうです。これらの経験が、新たな目標――胃癌を撲滅する会(以下HIGAN)という構想につながっていきました。

国境なき医師団に参加していた鴨川さんは、検査や治療に必要な資材を積んだ車で赴任地の診療所を回っていました。

国境なき医師団に参加していた鴨川さんは、検査や治療に必要な資材を積んだ車で赴任地の診療所を回っていました。

ブータンの活動を支えた人々

鴨川さんがHIGANを立ち上げたのは2016年のことでした。日本の医師を中心とした約30名のメンバーで活動しています。
「HIGANの最終目標は胃がんで亡くなる人を減らすことです。しかし資金もなく、組織も少人数だったので、いきなり患者さんに治療を提供することはできませんでした。そこで、まずは医師に向けた知識の共有――ウェブサイトを通じて資料や動画などの知識を発信することから始めました」
やがて実際に途上国で活動するにあたり、鴨川さんたちは当時胃がんの発生率が世界で2番目に多く、国として広すぎないブータンに注目しました。そうして、2019年10月から、JICA草の根技術協力事業(支援型)の「ブータンにおける胃癌撲滅のためのパイロットプロジェクト」が開始されたのです。
プロジェクトでは現地のダワカ村をモデル村とし、現地ブータン人の内視鏡医や保健所の医師たちとも密に連携しながら、胃がんの原因となるピロリ菌の除菌と、早期胃がんの発見と、治療のため定期的な検診を行います。並行して、早期胃癌を見つけるために必要な内視鏡の技術を伝えていきました。
「ダワカ村での検診を始めたころに、現地の病院にブータンでも屈指の内視鏡の権威の先生がいました。その先生が現地での活動にさまざまな形で協力してくれたのですが、実は、その人はロテ・ツェリン先生といって、その後にブータンの首相になったんです」
一つのモデル村(ダワカ村)から始まったHIGANの取り組みは、ロテ・ツェリン首相の理解と協力によりその後国のフラッグシッププログラムとして、胃がんの撲滅、そのためのピロリ菌の検診と除菌、内視鏡検診の実施につながっていきました。
活動中には大きな困難にもぶつかりました。プロジェクトが始まってすぐ、コロナ禍の影響でHIGANのメンバーは現地に入れなくなってしまったのです。そこで、内視鏡医の教育にはHIGANのメンバーである福岡大学筑紫病院内視鏡科教授の八尾建史氏の作成した、ネット環境があれば学ぶことができるeラーニング(e-Learning)を導入。また、3か月に1度オンラインでの症例検討会を実施し、現場の治療へのアドバイスやフィードバックを続けたそうです。
プロジェクトの終了が近づく23年8月、研修を受けてきた現地の医師が、初めて早期胃がんを発見しました。
「4年かかりましたが、現地の医師だけで診断できるようになったことがすごくうれしくて。診断ができたら、今度は治療――内視鏡的な切除ができる。これからもっと困難なことをどんどん覚えてもらわないといけませんが、まずは最初の一歩です」
プロジェクト終了後も、ダワカ村との関わりや現地の医師との協業、また子どもたちに向けた胃がんの知識に関する講義などは続いています。また、ブータンでの成果を受けて、2022年からはラオスでも現地の医師たちに向けて内視鏡教育をする取り組みが始まっています。

モデル村(ダワカ村)での内視鏡検診の様子。

モデル村(ダワカ村)での内視鏡検診の様子。

ブータン保健省のデチェン・ワンモ大臣(中央)と鴨川さん(右端)。

ブータン保健省のデチェン・ワンモ大臣(中央)と鴨川さん(右端)。

ブータンのロテ・ツェリン首相(中央)とHIGANのメンバー。

ブータンのロテ・ツェリン首相(中央)とHIGANのメンバー。

始めたいと思ったときが始めるとき、完璧じゃなくてもやってみる

NPOを立ち上げる前には、国境なき医師団やWHOなどで途上国の医療に携わる一方で、鴨川さんは移住先のウィーンでも医師を続けることにしたのですが、ウィーンで医師として働くには、新たに現地で医師免許を取得する必要があります。しかし、そのためには内科だけでなく薬学、解剖学、小児科、脳外科、外科、そして放射線科と複数の分野でのドイツ語による口頭試問を突破しなくてはならなかったそうです。
「当時一緒に試験勉強をしていた年下の友人がいました。彼女の旦那さんは子どもの頃にポーランドから移住してきていて、彼のお母さんは歯科医師でした。でも、結局お母さんは試験を受けなかったそうです。彼は『僕のお母さんは当時もう56歳だったからね』と話していましたが、まさに当時の私は56歳だったんですよ」
鴨川さんはその言葉を聞くまで、自分の年齢を意識したことはなかったと言います。それはアメリカ留学の経験から「何かを始めるのに遅いことはない」と考えるようになったからでした。
「留学先の研究室には本当にさまざまな人がいました。子育てが終わってから研究者になった人もいて、見ていると『いくつになってもいいじゃない、始めたいと思ったときが始めるときなんだ』と思えたんです。結果さえ出せば、年齢や性別、経歴、どこから来たかなんてことはまったく関係ない世界がある、というのはすごく印象的でした。あのときアメリカに行ったのは私にとって一つのターニングポイントになったと思います。ずっと日本にいたら、もしかしたら国際協力の方面には進まなかったかもしれません」
鴨川さんの大学時代からの友人で、現在HIGANの事務局も手伝っている小児科医の山内あけみさんは、留学での経験をきっかけに活動の幅を広げていく鴨川さんに驚きつつも納得していると言います。
「学生時代から優秀な人でしたが、けっして決まった枠にはまる人ではありませんでした。それでも、ゼロからNPO法人を、それもいきなり世界で活動する形で立ち上げるようなイメージはなかったので、当時は驚きました。けれど、鴨川さんは止めても聞かないと分かっているし、結局『成し遂げちゃう人』だと知っているので誰も彼女の挑戦を止めないんですよね。ブルドーザーのようなバイタリティと熱意に引っ張られて、周りは『しょうがないなあ』とついていってしまう、そんな人です」
自身の行動力の根底にある考えを、鴨川さんはこう話します。
「なんでも完璧にしてからと思うと何もできなくなっちゃうので、完璧じゃなくてもやってみようとするのが私なのかな、という気がします。ドイツ語の試験のときも、完璧までやったらもう一生できないなと。ある意味で無謀なのかもしれないですね。でも、駄目だったときにはたいていの場合ほかに道が開けるので、そっちに進まなくて正解だったと思うようにしています」
鴨川さんの次の一歩は、より多くの地域で、胃がんにとどまらず他の医療教育も展開していくこと。この先、活動を引き継いでくれる若い世代や、新しいアイデアを持った人――鴨川さんの進む道に、次はどんな人との出会いがあるでしょうか。

鴨川さんに大きな影響を与えた、留学時代の研究室のメンバー。

鴨川さんに大きな影響を与えた、留学時代の研究室のメンバー。

プロフィール

鴨川由美子 かもがわ・ゆみこ
NPO法人胃癌を撲滅する会 代表理事。元オーストリア、ウィーン医科大学第三内科勤務医。消化器内科研修後、米国で免疫学の研究に従事。2010年に国境なき医師団の一員としてインドへ赴任。2012年よりWHOのコンサルタントとして感染症撲滅運動にも携わる。2016年にNPO法人胃癌を撲滅する会を設立。