カンボジア海上輸送の要、シハヌークビル港。日本の協力30年の軌跡
掲載日:2026.05.13
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カンボジアのシハヌークビル港は、カンボジア南西部のプレアシハヌーク州に位置します。同国最大の海港として1955年に開発が開始し、1996年からは日本による協力が開始しました。現在は、シハヌークビル港湾公社により運営され、カンボジア内の海上輸送取扱貨物の約7割がシハヌークビル港を経由します。2026年5月、シハヌークビル港において、日本による協力30周年を記念し式典が行われました。
シハヌークビル港は、1955年にフランスの支援により開発が開始されましたが、内戦の影響により、1969年には整備が中断され、その後、日本が協力を開始するまで長期間にわたり開発が停滞した状態が続きました。
1991年に内戦が終了し、国の復興に向けた動きが始まると、シハヌークビル港はカンボジアの経済復興を支える重要な社会基盤として位置づけられ、コンテナ貨物の本格的な取扱いが始まります。しかし当時の港にはまだコンテナ専用埠頭がなく、一般貨物を扱う桟橋でコンテナ荷役を行っていたため、作業は非効率的な状況にありました。こうした課題を背景に、1994年にカンボジア政府から日本政府へ協力要請があり、1995年の事前調査を経て、1996年~1997年に「シハヌークヴィル港整備計画調査」が行われ、港湾整備マスタープランが策定されました。これにより、港湾物流の近代化への道筋が示されることになりました。
現在もシハヌークビル港湾公社の事務所に飾られる旧港の写真
調査結果に基づき、1999年から2009年にかけて「シハヌークビル港緊急リハビリ事業」および「シハヌークビル港緊急拡張事業」が実施されました。これにより、コンテナターミナルの建設とクレーン等の荷役機械の導入が段階的に進められました。その結果、急増する貨物需要への対応が可能となり、1992年に4,154TEU(注)の年間コンテナ取扱量は、2015年には392,000TEUへと大きく増加しました。
また、世界的なコンテナ化の進展を受け、さらなる取扱能力の向上を目指すため、2017年以降現在に至るまで、「シハヌークビル港新コンテナターミナル整備事業」と「シハヌークビル港新コンテナターミナル拡張事業」により、新たなコンテナターミナルの増設と機材の導入が継続的に進められています。
(注)貨物量の単位のひとつ。1TEUは20フィート(約6m)コンテナ1個分
大型貨物船と大量のコンテナが置かれたシハヌークビル港_その1
これまでの事業を通じて、シハヌークビル港はカンボジア唯一の大深水港(注1)となり、経済成長を支える最重要基幹インフラの一つとなりました。コンテナ貨物取扱量は経済成長に伴って増加を続け、2016年の40万TEUから、2025年には3倍以上の134万TEUに達しています。2010年代以降のカンボジア経済の急成長(注2)は、日本の支援による同港の発展に大きく支えられてきたといえます。
今後も需要のさらなる増加が見込まれる中、JICAは引き続きコンテナターミナル整備や運用能力の強化に取り組んでいます。加えて、将来を見据えたマスタープラン協力を通じ、陸上輸送との連携強化を図ることで、一層の経済発展への貢献が期待されています。
このように同港はカンボジア国にとって極めて重要な物流拠点であると同時に、2国間の友好関係を象徴する存在となっています。毎年5月1日には労働者を称えるレイバーデー式典が同港で開催されますが、日本関係者も招待されるなど、両国関係の発展を祝う場となっています。
(注1)大型船が直接入港できる港で15-20m以上の深さが必要とされる
(注2)2016年~2025年の平均GDP成長率は5.3%
大型貨物船と大量のコンテナが置かれたシハヌークビル港_その2
2026年5月1日に開かれた式典では、レイバーデーに併せて日本によるシハヌークビル港協力30周年が祝われました。式典には首相をはじめとする政府要人、JICAからは宮崎桂副理事長、そして港湾関係者ら約2300名が参加しました。
会場ではカンボジアと日本双方の国旗が掲げられ、これまで長きにわたってインフラ整備や港湾運営にする技術支援が積み重ねられてきたことが多くの参加者と共有されました。フン・マネット首相からは日本の長年にわたる支援への謝意が繰り返し述べられるとともに、今後の継続的な支援への期待が示されました。
両国の国旗が掲揚されている式典会場
両国の国歌演奏から式典が開始された 中央左:植野篤志 駐カンボジア日本国大使 中央右:フン・マネット カンボジア国首相
今後の更なる関係強化を確認しあうフン・マネット首相(左)と宮崎JICA副理事長(右)