広がる「母子手帳」の輪 日本で生まれ、インドネシアから世界へ

#3 すべての人に健康と福祉を
SDGs

2024.02.15

妊娠から出産、子どもの成長まで、母と子の健康の記録を1冊にまとめた「母子手帳」*1。戦後まもない1948年に日本で誕生し、今まで世界約50カ国で使われてきました。中でも1993年にJICAによる最初の支援国の一つとなったインドネシアは、人々の熱意と努力が国を動かし、2004年の大臣令を経て全州導入を果たしました。そして今、多くの国がインドネシアの経験に学ぼうとしています。

インドネシアの母子手帳の普及と発展に貢献してきた、同国保健省のキラナ・プリタサリさんとJICA国際協力専門員の尾﨑敬子さんに、30年にわたる協力や直面した課題、さらなる普及への展望などを語っていただきました。

インドネシアによるインドネシアのための母子手帳づくり

—JICA の協力が始まった 1993 年当時、インドネシアの出産や母子保健をめぐる状況はどのようなものだったのでしょうか。

プリタサリ インドネシアで最初に母子手帳が導入されたのは、中部ジャワ州サラティガ市という地区で、当時この州で母子保健プログラムを担当していたアンドリアンシャ・アリフィン医師の働きかけがきっかけでした。JICAの研修に参加するため日本を訪れ、母子手帳の存在を知ったアリフィン医師が、JICAの専門家とともに母国への導入に着手したのです。

1993年というと、インドネシアが全国の村に約5万4千人の助産婦を配置し始めた頃ですが、まだ100%の普及率ではありませんでした。予防接種率は約70%と進んでいたものの、妊産婦死亡率は10万出生あたり約390、乳児死亡率は1,000出生あたり約57と、シンガポールやタイなど周辺国と比べて5倍から10倍も高い状況でした。

JICAの支援のもと、私たちはまずインドネシアでそれまで使われていた母子保健や発育発達にまつわるさまざまなカードを一つに集約し、母子手帳のパイロット版をつくることにしました。そして1997年、標準版となるインドネシアの母子手帳が策定されました。

キラナ・プリタサリさんと尾﨑敬子さん

インドネシア保健省の元公衆衛生総局長キラナ・プリタサリさんとJICA国際協力専門員の尾﨑敬子さん

尾﨑 「インドネシア版母子手帳」と聞いて、多くの人は単に日本の母子手帳をインドネシア語に置き換えたものを想像するかもしれません。しかし実際は決して日本版の翻訳ではありませんでした。むしろ、それではうまくいかないのです。当時の関係者たちが行ったのは、まず既存のツールを集約することでした。それまでインドネシアでは予防接種カード、母子健康カード、子どもの発育カードなど、同じ母子に対して何枚ものカードが使われていたからです。そして、都市や農村、島嶼部など地域を問わず、利用者や医療従事者の誰もが「これは自分たちのものなんだ」という意識を持てるよう、当時のJICA専門家たちは多大なる熱意と時間をかけて、母子手帳作りを支援していきました。

プリタサリ 各州が作成する母子手帳には、その土地に伝わる知恵や特色も織り込込めるようにしています。例えば、地元で採れる食材を使った栄養指導の情報を載せたり、信心深い州ではイスラム教の祈りの言葉を添えたり、一目でわかるよう表紙に現地の風景や親子の写真を載せるケースもあります。

さまざまな母子手帳

インドネシア各州で作成されているさまざまな母子手帳

—2004 年には母子手帳の使用を推奨する保健大臣令が発布されましたが、それまでの苦労や、大臣令後の取り組みについてお聞かせください。

プリタサリ インドネシアでは1998年から2000年にかけて地方分権化が進められ、保健政策も見直されました。そのため、母子手帳を普及させる試みは中央だけでなく地方政府の仕事でもあるのだと、州や県の保健行政官に認識してもらう必要がありました。また、母子手帳の中に記載する情報は複数のプログラムにまたがるため、保健省内の各プログラム担当官たちにも、一本化された「母子手帳」を共通のツールとして使っていくよう説得しなければなりませんでした。

さらに財政面の問題もありました。大臣令が出るまでは、母子手帳の印刷はJICAの支援のもと保健省が行っていました。しかし、大臣令に伴い全州で配布するとなると膨大な数の印刷が必要になります。これをすべて中央で賄うことは難しいため、州や地方の責任下で行うよう説得する必要があったのです。

母親に説明するプリタサリさん

母親に説明する尾﨑さん

20年以上にわたって志を共にし、インドネシアの母子保健の向上に尽力してきたプリタサリさんと尾﨑さん (写真右:JICA/今村健志朗)

大臣令後は、母子手帳の利用状況をどうモニタリングしていくかが課題でした。インドネシアは国土が広大で、33もの州と500以上の県・市町村があったからです。*2 そこで国家統計局に協力を仰ぎ、彼らが5年ごとに実施する妊産婦のケアや予防接種などに関する全国調査の中で、どれだけの母親が母子手帳を受け取り、利用しているか、という情報収集を依頼しました。

そしてモニタリングを続けた結果、医療従事者の介助による安全な出産が増えていることがわかりました。2004年の大臣令時には71%だったのに対し、2010年には75%、その後80%と向上し、2022年には95%に達しました。こうした改善も、母子手帳による啓発や保健指導が大きく貢献していると言えます。

母子手帳を持って健診に訪れる母親たち

母子手帳を持って健診に訪れる母親たち(写真:JICA/今村健志朗)

尾﨑 JICAも同様にさまざまな課題を見出しており、その一つが母子健康に関する複数のプログラム間の調整でした。これには何らかの政治的な判断が必要だったので、大臣令によって「母子手帳」という共通の様式への統合が決まったことは、非常に大きな一歩でした。とはいえ、今年妊娠した女性にも翌年妊娠した女性にも…と持続的に使用されるためには、母子手帳を保健システム全体の中にきちんと位置づけていくことが重要でした。

そこで私たちはインドネシア保健省がJICAの協力期間終了後も母子手帳を継続していけるよう、さまざまな支援を行いました。例えば、母親学級など母子手帳の活用を促すモデル活動をつくる、保健従事者を養成する学校カリキュラムに母子手帳を組み込む、地方自治体や私立の施設に母子手帳の活用を働きかけるなど、協力は多岐に渡りました。

母親教室

JICAの協力による母子手帳を活用した母親教室

インドネシアを起点に世界の国々へ

近年、インドネシア保健省は JICA とともに国際研修を積極的に実施していますが、これはどのような思いからでしょうか。

プリタサリ インドネシアはすでに全州で母子手帳を展開しており、JICAによる日本での国際研修にも参加していたのですが、そこで出会った他国の保健担当官との交流を通して、私たちの経験が彼らの役に立つのではないかと気づいたのです。

そこで2007年から、インドネシア保健省が主体となってJICA専門家とともに国際研修を実施することにしました。これはインドネシアの担当官にとっても、非常に良い経験になりました。他国との交流によって、インドネシアにおける母子手帳導入のプロセスを共有するだけでなく、自分たちの保健システムの強化につながる気づきを得られたからです。

国際研修プログラム

国際研修プログラムは互いの経験や知識を分かち合う場となっている

インドネシアではこれまでに17の国や地域を招待して、15回の国際研修を開催してきました。参加国は東南アジア諸国だけでなく、パレスチナ、アフガニスタン、タジキスタン、ウガンダ、カメルーン、モロッコ、マダガスカル、ケニアなど広域に及びます。研修では地震など災害後の母子手帳の使い方や、国民健康保険制度の立上げに伴う母子手帳の位置づけなど、幅広いテーマを取り上げますが、国によってインドネシアのような地方分権型の国もあれば、中央集権型の国もあるため、互いに学び合うことで違った視点に触れることができます。インドネシアも日本の母子保健の政策にすべて倣ったわけではありません。それと同様に、他国もインドネシアの経験をそのまま取り入れることはできないのですから。

尾﨑 アジアとアフリカなど大陸を超えて人々が学び合い、交流する姿を見るのは、私にとっても本当に嬉しいことです。インドネシアの参加者たちも、他国の人たちからの質問は大歓迎だと言います。質問されることで自分たちの取り組みの意義であったり、欠けている点に気づくことができるからです。

こうした国際研修の流れを受けて、2018年には世界保健機関(WHO)が「母子の健康に関わる家庭用記録に関するガイドライン」を策定しました。このガイドラインは、母子手帳を含む保健記録の重要性を説いたもので、プリタサリさんはWHOのガイドライン策定グループのメンバーを務めました。世界の母子保健に関するプログラムは、妊産婦保健、新生児保健、出産、予防接種、栄養など複数のプログラムに分断されてしまっています。しかし国際社会はもっと団結して取り組むべきです。WHOがまとめたガイドラインはそのためにも有意義なものであり、母子手帳を自国の保健システムの中で効果的に活用したい国にとっては、このガイドラインが助けとなることでしょう。

国際研修で発言するプリタサリさんと尾﨑さん

国際研修で発言するプリタサリさんと尾﨑さん

WHO年次総会のサイドイベント

WHO年次総会で、母子のための家庭用保健記録に関する公式サイドイベントを実施

30年におよぶ協力の成果、そして新たなる目標

お二人は 30 年間の協力の成果をどのように評価し、今後の発展にどんな期待を寄せていますか。

プリタサリ 母子手帳の普及度合いと効果を測定するため、インドネシア国内の大学と協力して、積極的に活用を促した地域とそうでない地域を比較したところ、前者の妊婦の健診受診率が後者の約2倍に増えており、子どもの予防接種率や、母子保健に関する一連のサービスの利用も向上していました。今後は新たな世代の妊婦や保健従事者一人一人に対し、確実に情報が届くよう努める必要があります。

尾﨑 インドネシアにとって、母子手帳はさらなる可能性を秘めていると思います。現在JICAでは、より良い保健システムを目指して母子手帳をさらに効果的に活用する活動を試行しています。例えば、母子手帳を活用しながら乳幼児期の発達を支えるケアの一つとして、6カ月健診を現在開発中です。さらに、早産や低体重で生まれた赤ちゃんを持つ母親や家族に向けて、母子手帳に加え補助的な支援も開発しています。今後もインドネシアが保健システムのプラットフォームとして母子手帳を活用し、時代とともに変わるさまざまな課題に取り組んでいくことに期待しています。

プリタサリ テクノロジーによる分断も課題です。インドネシアは携帯電話の利用率が非常に高く、あらゆる情報がデジタル化され、携帯電話を通じて効率よく得られるようになりました。母子手帳の重要な役割の一つは、母親と医療従事者の間のコミュニケーションを促すことですが、デジタルばかりに頼るとやりとりの機会が減ってしまいます。母親が受け取った情報をきちんと理解しているか確認するためにも、まだまだ対話が必要なのです。

尾﨑 その通りですね。デジタルは私たちにとってチャンスでもありますが、すべてを紙からデジタルに切り替えるのは難しいと感じています。デジタルと紙をどのように組み合わせるのが最適か、どうすれば効率的で効果的か、どうすればインタラクティブで持続可能か——。こうした課題は日本とインドネシアに限らず、互いに学び合いたいと願うすべての国に共通するものです。その課題に向かってインドネシアとともに歩めることに感謝しています。

インドネシアはすでに、アフガニスタンやパレスチナなど他の国や地域に対してもリーダーシップを発揮しています。互いに切磋しながら、世代が変わっても私たちJICAがインドネシアのよきパートナーであり続けられること、それを切に願っています。

  • *1 前身となる「妊産婦手帳」が子ども期に延伸され、1948年に「母子手帳」となった。現在の正式名称は「母子健康手帳」
  • *2 州と県・市町村の数は大臣令の発令当時

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